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終わらないで、夏

夏が終わってしまう。

誰でもいいから夏が終わるのを止めてほしい。そのへんの政治家に頼んで止めてもらうことはできないだろうか。地球上にあるすべての核爆弾をぶっ放して、どうにか夏のままでいさせることはできないのか。くそっ、人間とはなんと無力なのだ。


僕は冬がめちゃくちゃ嫌いだ。

事の発端は、小学3年生の冬休みだった。
寒冷地の生まれではないので、冬休みは12月23日から1月7日までだ。よく覚えてるなと思う人もいるだろう。僕は1月8日の到来を、それこそ祈るような気持ちで待っていたから。

我が家は「教育」というものに関しておおらかというか、結構てきとうな家庭だったと思う。100点を取れと言われたことはないし、人に迷惑をかけなければ怒られることはなかった。

だが、家族それぞれに「変なこだわり」があった。
例えば、父は掛け算を覚えさせることにとても固執していた。本来なら小学2年生で習うはずのものを、僕は5歳で叩きこまれた。そらで9の段まで言えなければ、湯船から出してもらえなかったのである。「うちの子にもやろう!」と思ったママさんは考えを改めるべきだ。おかげで数学が大嫌いになり、高校数学の平均点が12点という天才児に育ってしまうのでおすすめできない。

こういった「こだわり」は、母にも祖父にも祖母にもあった。言い忘れたが、我が家は二世帯なのだ。
もっとも、父のこだわりは母にとってはどうでもよく、その逆もまたしかりだった。
要するに、この「こだわり」をクリアするためには、たった一人を納得させればよかった。

その「こだわり」が、年に1回だけ重なる時期があった。冬休みである。
正確に言うと「冬休みの宿題に出された書初め」だった。
今はどうか知らないが、僕のときは「小学2年生までは硬筆。3年生からは毛筆」という決まりがあった。

ちなみに硬筆はおかんのこだわり対象だった。
「かわいいねといってこねこをだきました」という一文を綺麗に書くためだけに、おかんは「ジャポニカ学習帳を日に3冊消化しろ」というブラック企業も真っ青のノルマを課したのだ。「うちの子にも」と考えるママさんがいるかはわからないが、やらせて二日目に2階の窓から脱走して、裸足のまま隣町まで走って逃げる野生児にしたくなければやめるべきである。

そんな感じだったので、3年生に上がった僕は「これで硬筆の地獄から開放されたぞ!」と大喜びしていた。この解放感を文章で説明するのは難しいので、よかったら「ショーシャンクの空に」という映画をご覧頂きたい。ただ現実が映画と違ったところは、地獄の先はジワタネホに通じていないということである。

1月1日の朝。和室に新聞紙を引いて、習字道具を用意した僕は豪語した。
「こんなの楽勝だぜ!」
当然だ。毛筆にジャポニカ学習帳は必要ないし、和室は1階だったからだ。
さっそく筆を握った僕は、お手本も見ずにきったない字を書いた。よかった、これで宿題は終わっ

「きったない字やな!」

ふすまをぶっ壊す勢いで入ってきたのはおかんだった。硬筆だけでなく、毛筆にもこだわりがあったのだ。これは後からわかったことだが、なんと書道の有段者だったのである。

このとき僕の脳内を駆け巡ったのは、課題の「日の出」という三文字をどう綺麗に書くかではなく、「脱走」の二文字をどうやって成功させるかだった。ブチ切れながら筆を走らせるおかんの小言など耳に入っていない。書き順なんかより、靴なしで悪友のタカヒロ宅まで行くにはどのルートを通ればよいかのほうが重要だった。

おかんの小言が始まって50分ほど経ったころ、今度はおとんが入ってきた。おかんの熱血指導はリビングまで響いていたらしい。
念のため説明しておくと、おとんは厳しい人ではなかった。厳しかったのは掛け算だけであり、めったに怒ることはなく、オヤジギャグを連発する優しいおっさんだった。

僕は救世主が入ってきたのかと思った。ケンシロウに出会った時のスミス爺さんもこんな感じだったのだろうか。ははーん、さては釣りとか買い物に行こうってんだな?俺も連れてってくれよ、ケーン!


「なんてきたねえ字だ!」

違った。

おとん(ラオウ)はおもむろに筆を握ると、なんとお手本を書き始めた。「俺のほうがお手本より上手い」と言うのだ。おとんは有段者ではないが、確かにめちゃくちゃ上手かった。おかんより上手かったかもしれない。
ただ、おとんの字はやや行書体寄りだった。これに待ったを入れたのはおかんである。

「課題は楷書なんだから、行書で書かせていいわけないでしょ!」
「うるせー上手ければなんでもいいんだよ!」

終わりの見えない戦争が始まった。
この戦争は2時間ほど続いたが、その間僕はトイレすら行くことなく、ただひたすら「日の出」を書き続けた。さすがに大人二人から逃げ出すことは不可能だ。僕はタカヒロの家でスマブラすることを諦め、それと同時に「二人どちらも納得のいく字を書くのは無理だ」と思っていた。課題は「日の出」だが、この戦争に日の出は訪れそうにない。

50枚入りの半紙が初日にしてなくなりそうだった。そうだ、半紙を買いにいくふりをして逃げよう。
そう思って立ち上がった矢先、今度は祖父が入ってきた。

僕は悟った。終わった。


「きたない字やなあ!」

いちおう弁明しておくと、僕だって汚い字のまま提出するのは嫌だった。
にもかかわらず、たった一枚で書初めを終わらせようとした理由は「なんとしても祖父に捕まる前に終わらせる」という至上命題があったからに他ならない。

祖父はめちゃくちゃ字が上手い。どこぞの議員から頼まれて書くようなレベルである上、普段使いからして筆ペンなのだ。おまけに戦争を乗り越えた、テンプレそのままの頑固じじいである。

そんなじじいに捕まったらどうなるか。
孫が初めて筆を手に取ったのだ。朝から晩までつきっきりで書道を教えたいのが親心、いや、じじい心というもの。限界まで書かされるに決まっている。書道界のターミネーターから逃れることなどもはや不可能。

そう、僕の冬休みは終わったのだ。

ここから先に休みなど存在しない。
祖父は追加の半紙を100枚ほど持ってきて、書とはこういうものであると解説しだした。おかんなど比にならない熱血ぶりである。達筆すぎて、祖父の「日の出」は「うなぎ」に見えた。御年80歳を超えようかという老体の、いったいどこにこんなエネルギーが隠れていたのだろう。きっとこっそりうなぎを食っていたに違いない。

もちろん、2国間の戦争が三国志大戦に発展したことは言うまでもない。コーエーテクモと違うところは、キャラクター全員の武器が筆という点だけだ。

僕は戦火の中で「日の出」を書き続けた。
おかん、おとん、じじいの三国による大戦は7日間にわたり、消化された半紙が500枚を超えたあたりで数えることを辞めた。膝と手首にはテーピングが施され、書道セットの安っぽい筆はたった3日で使い物にならなくなった。ひたすらに「日の出」だけを書き続ける、人型書道マシーンの完成である。

だが、無敵の書道マシーンにも弱点があった。
我が家はちょっと昭和チックなつくりだったため、和室には暖房が無くとても寒い。
そんな環境に七日間も朝から晩まで居続けたせいで、休み明け初日からインフルエンザにかかってしまったのだ。
そのせいか寒さを極端に嫌うようになってしまい、今でも冬は大嫌いである。

その後、やっとこさ治して登校したものの、宿題の提出期限はとうに過ぎてしまっていた。
大戦が終わって平和になった和室には、渾身の「日の出」を握りしめて朽ち果てたマシーンがうずくまっていたという。

家族としてもこの悲劇に心を痛めたのだろう。
「来年からは一枚で終わらせてよい」と言われた僕は喜んだ。マシーンが人の心を取り戻したのだ。言葉にできないほど辛く苦しい7日間だったが、もしかしたらよい経験だったのかもしれない。「日の出」しか書いていないはずだけれども、字はけっこう綺麗になった。

翌年の正月、和室にはウキウキで筆を握る少年(元マシーン)がいた。
なんたって一枚で終わりなのだ。
今年はとても有意義な冬休みになるだろう。めいっぱいゴロゴロして、おせち食べて、こたつでプレステやり放題だ。こんなものさらさらっと完成させて、はい、これで終わ




「きったない字やな!!」



和室に、祖母が、入ってきた。

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