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「失敗してもいい、挑戦しろ」に感じる違和感

 私がなぜ違和感を覚えるのかというと、挑戦することは素晴らしいし大切だと思うが失敗には二種類の失敗があると思う。

①・・・深く考えずにやってみたことによる失敗。安易な失敗。
②・・・真剣に取り組み、考え、行動したうえで考え方の変化タイミング、成功する為へのきっかけになる失敗。


 本来、失敗はしたくないし、成功したいから工夫すると思う。だからこそ失敗した時に改めてどうすれば成功するのかを考え抜くこともできる。そして、また新たな挑戦ができるのだと思う。安易な失敗というのは周りに流されて散り積も式に失敗の山を築いていってしまう。つまり何も得ることがなかった失敗だ。



 そもそも人はみんな「成功」する為に行動して、頭を使って生きているのに失敗してもいいという前提で挑戦することは違うと思うし、人生は有限なのだから成功する為に労力を使うものだと感じる。


 そして挑戦する前に整理しておく必要があるのは自身の現在地を知ることだと思う。今、自分は何を目標にしていて、何を目的に、どのくらいの位置にいるのか。と自分を振り返る時間が必要だ。

 

 私も、15年間続けてきたサッカーに去年一区切りを付けた。今までサッカーを取り柄にずっと生きてきて自慢するのもサッカー、人と差を付けたい時にもサッカーというように生活の一部だったサッカーがなくなった時に、自分はこれから何を目的とし、素の自分はどんな立ち位置に居て、サッカーから培った力をどう仕事に活かすして、どこで他人と差を付けるのかを常に考えている。

だからこそサッカーを引退した今でもこれからが楽しみだし、モチベーションを保てているのだと思う。


だいぶ話がズレてきたがもう一つ大切にしていることがある。


 私は、大学最後の試合に負けて関東2部リーグからの降格が決まった。その時は涙を流すほど悔しかったし、無力感を感じた。だが時間が経つにつれてあれだけの悔しさを忘れて「まぁしょうがないか」と言い訳をしたり、守りに入ったり、すっかり忘れてしまいそうな自分を恐れている。その繰り返しが降格という結果だったと思う。だからこそ胸にしっかり刻んで生きる事を大切にしています。


失敗の話から始まり、色々話しがズレてしまい申し訳ございません。





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