高等学校の国語の授業 論説文編⑥ 『水の東西』の妥当的論証の再構築

Aの「演繹的な推論」の「理由づけ」について考えていきます。当然この「理由づけ」は省略が許されれるような常識的なものではありませんので明示する必要があるものです。そして、常識的ではない以上「どうしてそう言えるのか」という根拠を示す必要があります。
生徒にはここを考えさせていくことになります。生徒たちは今までの経験等から想起して、例えば「メトロノーム」や「時計の振り子」等の時を刻むような具体物を考えることができるでしょう。
このようなものを位置づければ、以下のように「演繹的ではない推論」の「帰納」によって「理由づけ」が導かれた構造になり、「理由づけ」の蓋然性が高まりAの推論全体が妥当なものとなっていくことになるのです。

   <A´>
 ・メトロノーム
 ・時計の振り子
    ↓ *帰納
 「せき止め」「刻む」ことは流れを強調する(推論Aの「理由づけ」)

Cの「演繹的な推論」については「データ」の蓋然性を高めることが大切になります。これも「どうしてそう言えるのか」という根拠を示す必要があります。
Aと同様に生徒にここを考えさせていくと、「生け花の精神」や「禅僧の修行の在り方」等を具体例を考えることができるでしょう(ここはAと異なり生徒の経験から想起させるのは難しいので調べさせてもよいでしょう。ただし、多くの時間を割いて書物やインターネット等を用いて調べさせていくことは国語科としては望ましくありません)。
このようなものを位置づければ、これも以下のように「演繹的ではない推論」の「帰納」によって「データ」が導かれた構造になり、「データ」の蓋然性が高まりCの推論全体が妥当なものとなっていくことになるのです。

   <C´>
 ・生け花の精神性
 ・禅僧の修行の在り方
    ↓ *帰納
 日本人は行雲流水的な感性を持つ(推論Cの「データ」)

このように、論証を構成するすべての推論の妥当性を検討していき、妥当でないものは妥当となるように再構築していくことによって初めて『水の東西』が読めたことになるのです(再構築された全体構造図はNOTEでは複雑になり表現できないため省略しました)。
本マガジン①で示した中教審答申の指摘である「教材の読み取りが指導の中心」(教材への依存度が高く、主体的な言語活動が軽視され、依然として講義調の伝達型授業に偏っている傾向)の授業はこのような指導を通して改善されていくでしょう。
また、新学習指導要領で求められている「主体的・対話的で深い学び」という観点から見ても、妥当性の検討や再構築はまさにその実現のためにもふさわしい指導となることであると言えるのです。

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