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百年文庫の百冊を読む 001・55「空」

ポプラ社から百年文庫という『1冊で3人の文豪の傑作が読める、日本と世界の名短篇アンソロジー』(百年文庫サイトより引用)を知ったのは一ヶ月ほど前のこと。100巻完結したのが2011年10月と今より9年も前なのだけど、これまで聞いたこともなかった。図書館に全巻あったので借りて読んで感想を100巻分書いてみようと思う。

初回なので、百年文庫の特徴なども書いておきたい。

100巻はそれぞれ漢字一文字のテーマがあり、例えば55巻目は空。読後にテーマについて思い返すと、北原武夫と藤枝静男は確かに空な感じはするものの、ジョージ・ムーアはどうだったか、など振り返って考えるのも面白い。

カバーにはテーマの漢字がデザインされている。一つの漢字が濃淡が異なる墨色で構成されているのが美しい。カバーをはずすとオリジナルの木版画が現れるそうだ。しかし図書館の書籍はカバーがはずせないようにラミネート加工されているので確認できない(残念)。

また、サイトには記載がなかったが、3人の文豪の関係図?が星座のように示されているのが意味深。恥ずかしながら、3人については全く読んだことがなく、想像上の関係性についても一切思いを巡らせることができない私自身が残念。

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空というテーマは、前の投稿「The Personal Is Political」でも書いたように9月から始めたドネーション付きTシャツプロジェクトつながりで選んだものだ。

『毎年大きな災害が起こる今日。同じ空の下で(Under The Same Sky)『出来事』が起こったことを、Tシャツを通して思い出せるように、というのが企画の成り立ち。』

空がどのように表されていたか書いておこう。
一作目では、朝の光の空を見て決断する若い女、『光のように陽の燃えている深い、静かな』朝の空を見て決断する8年後の女。

二作目では、病気療養のためにアメリカから故郷アイルランドへ帰った男が淋しげな村に、『雲が日ざしを拭い消し』『雲は通り過ぎ、日はふたたび輝く』空の下で顔なじみの女性と出会う、女性を捨ててアメリカに戻り、結婚、子の独立、妻の死を経験した男が暖炉の火を見つめながら思い出す記憶の中の故郷。そこには、緑の丘、沼地、葦、湖、青い丘のつらなり、の記載しかないが、帰郷した際の雲が通り過ぎ日がふたたび輝く空を思い起こさずにはいられない。

そして三作目では、車窓から空の下に広がる景色を眺めて自分の死後の空想が湧く男(作家自身の体験)というように空が多く登場する。妻の死を経験し、故郷の親戚が眠る墓地で黙考する描写が忘れがたいものだった。

齢老いた今になって、私は自分が嫌悪し憎んできた放埒な彼等によって逆に浄化され続けてきたような気分に陥りはじめていることを感じていた。浄化は大袈裟だけれど、生来もって生まれた穢れが却って彼等によって溶かされ薄められてきたような気がするのである。自分の汚れの投影として長いあいだ憎悪し嫌悪してきたものが、実際にはその人々の一生と死とを追想することによって、すこしずつではあるが剥がされて行ったように思われることがある。そして今はその人を懐かしみ、詫びたいような気になることがあるのである。過去の自分のよろめいた姿が、彼等と同じ道をたどってきたものとして心のなかに浮きあがってくる。そしてそういう私の生も、これから何年かすると終わり、私の何もかもは停止し、消滅して無機物に変換されてしまうのだ。

自分が嫌悪し憎んできたのは私も同じだが、それが自分の汚れの投影であり、それが嫌悪し憎んできた彼等によって薄められてきたという見方には、とても驚かされた。まだそういう心境にはなれない私は混乱すると同時に、心に留め置いて咀嚼していきたいと思う。藤枝静男、他の作品も読んでみたい。

なお、妻の死は、二作目、三作目に共通するが、故郷の墓に入りたいという男の願望も共通する点であった。ウチは震災後に改葬(お墓の引っ越し)したので、これも想像できなかったのだけど、考えてみると、両親、私ともに別な町で生まれ、一箇所に止まったことがないので、故郷に対する考え方にはだいぶ開きがあるのかもしれない、など思った。

今回は恣意的に 空、水を選んで借りたのだけど、もっと機械的に?借りてみようと思い、10月14日からのAirTのイベントで展示する「Count Up Number Project」で足りてない数字 71、93を今度は選んでみた(これはこれで恣意的とも言えるが)。以下は、イベント詳細。よかったら来てください(Facebookライブ配信もあります)。


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