子どもの未来を考えるために、過去を振り返ること

前回の投稿からかなり間が空きました。


最近、こういう本に出会いました。

宮原洋一さんが書いた『もうひとつの学校』という本です。

昭和40年代半ばの子どもたちの生活の様子を写真とともに綴ったものです。


とある研修の講師の方が紹介されていて、「オモシロ!!」と思って、その研修の話を聞きながら、すぐにAmazonでポチりました。


昭和40年代半ばということは、西暦にすると1965~1975年あたり。

私の父親が1961年生まれなので、父親がちょうど子ども時代を過ごしていた頃を写真に収めた本です。


さて、タイトルになっている「もうひとつの学校」とは、何か。

それはこの当時、教育の役割を担っていた学校と家庭に加えて、地域社会の持つ教育機能に目を向けて「もうひとつの学校」と称しています。


地域社会とは、本書では目次にあるように、空き地や道路、路地裏、公園、資材置き場、工事現場など、その当時の地域にはどこにでもあり、なおかつ子どもの遊び場に限らず、大人たちが生活のために使っている様々な場所を❝地域社会❞としています。

昭和40年代は、戦後の高度経済成長のピークでもあり、3C(車、カラーテレビ、クーラー)などの普及率も大幅にアップ。

大量消費、大量廃棄の時代でもありました。

日本全体が戦争後の疲弊した状態から、徐々に活力を取り戻していった時代です。

僕は生まれていないので、その当時の雰囲気や地域の様子は本で読んだり、人から話を聞いたりして想像することしかできません。


でも、恐らく街は活気にあふれ、近代化に燃え、世界の国々に食らいついていくぞ!というエネルギーが日本中に充満している時代だったのではないかと推測します。

映画『ALWAYS 三丁目の夕日』が昭和30年代頃の話だったと思うので、あれから10数年後ということを考えるとそんな感じでしょうか。

そんな時代にあって、子どもたちは学校や家庭以外の場所でどんなことをして遊んでいたのか?どんなことをして過ごしていたのか?ということが本書の写真と、宮原さんの飾らない言葉から伝わってきました。素晴らしい一冊でした。


幼児教育の観点からもこの本について少しだけ考えてみました。

この本を推薦している東京大学大学院・教育学部教授の汐見稔幸先生は、書評の中でこう書かれています。

『子どもたちは、これまでの時代、本書に生き生きと写し取られているように、家庭と学校以外の「もうひとつの学校」でも育ったのだ。そこで、たくらむ、冒険する、工夫する、仕掛ける、協働する、反省する等々の行為を、それこそ身体ぐるみで体験してきた。』


この太字部分『たくらむ、冒険する、工夫する、仕掛ける、協働する、反省する等々の行為』が非常に重要です。

この当時はまだ地域のあちこちに子どもたちが大人の目を気にせず自由に遊べる場所がたくさん残っていたことは本書を読むとよく分かるのですが、

そこでは、子どもたちは年上の少年少女に混ざって、異年齢の集団での遊びを楽しんでいたのだろうと思います。

その中で、例えば

「これを燃やしたらどうなるかな・・・」とたくらみ

「あの塀の向こうなら燃やしてもバレないかも」と冒険したり

「そこにある雑誌を焚きつけに使おうぜ」と工夫したり

「魚も焼いて食べてみたいね」と罠を仕掛けたり

「おまえちょっとそっち持ってて!」と協働したり

そして一連の遊びを大人に見つかって「こらぁ!おまえらぁ!」と叱られて反省したり


こうした一連の流れは決して大人に求められたり強制されたりしていることではなく、子どもたちが自ら主体的に取り組んでいるという点で遊びであり、

子どもたちはこうした遊びを学校と家庭で過ごす以外の時間を使って取り組んでいたという点で生活でもあるのではないでしょうか。


まさにあの当時の子どもたちにとって遊びが生活であり、生活が遊びでもあったということです。


私の父親曰く

「あの頃は、遊ぶものなんて何にもなかったから、そのへんにあるもので遊んでたなぁ・・・」という言葉にすべてが表れている気がします。

つまり、当時の子どもたちは自分の周りにある環境(それは決して子どもたちのために用意された整えられた環境などではない)に対して、どうにか遊びに使えないか、どうしたらもっと面白くなるのかということを考えざるを得なかったのだと思います。

幼児たちも、自分では上手くできなかったとしても、異年齢集団であるがゆえに、年上の子どもたちがしていることを見て、そこから学んでいったことがたくさんあったのでしょう。

そして、こういった地域社会での学びは、学校で教わることとは違い、やらされるわけではないから面白い。しかし一方で、ケガやケンカは自己責任。

周りで見ていた大人たちも寛容であり、滅多なことでは口を挟まなかったのだと思います。むしろ大人は大人で、より良い社会を作ることに必死だったのかもしれません。


兎にも角にも、そこで考えたり工夫したりしながら生活としての遊びを楽しむことを通して育つ力が、彼らの生きる力となっていったのではないかと私は思います。

そこで得た力は、きっと粘り強くしなやかで柔軟で、彼らがその後の社会を生きていく上で、芯となる力となったことでしょう。



さて、話を現代に戻してみると、今の地域社会にはかつての子どもたちの創意工夫を生んだような遊び場はありません。

たしかに公園などは整備され、形としての遊び場はその当時に比べて整った環境として用意されています。

でも、そこは本当に子どもたちにとって、本当の意味で遊び場になっているのでしょうか。

「ボール遊びは禁止です」

「他人に迷惑をかけないようにしましょう」

と大きく張り紙がされた公園のなんと多いことか。


ルールの上にルールができ、禁止の中に禁止が生まれ、がんじがらめです。



さらに、子どもたちを朗らかに見守ってくれていた大人たちも姿を消し、

「危ないから外で遊んじゃダメよ」

「知らない人に声を掛けられたら大声で叫びなさい!」

なんて親や学校は教えます。

ケガやケンカから子どもたちを遠ざけ、転ばぬ先の杖を子どもより早く親が出してしまうということも少なくありません。


そんな地域社会では、子どもの自由が制限され、知恵と工夫の出番はなく、結果、あの当時に子どもたちの中に輝くように育まれていった生きる力が育ちにくい状況になってはいないでしょうか。


これも時代の流れ、と言ってしまえばそれまでですが、たしかに大きな時代の流れには逆らえません。

ICT化が進み、1人に1台スマホやタブレットの時代。

人に聞いたり本で調べたりしなくても指先一つで何でも答えが分かってしまう時代。

宮原さんの指す『もう一つの学校』はすっかり影を潜めてしまっています。



幼児教育に携わる者の一人としてかつて地域社会が包括していた、学校や家庭では経験できなかった『もう一つの学校』の持つ教育力。


これを学校である幼稚園として、補っていく必要性を強く感じています。

幼稚園や保育園はこれから先、園児とその保護者のみに目を向けていれば良いわけではなく、地域のコミュニティとしての役割も果たしていく必要があると言われています。

もしかするとそれは、こういったかつての地域社会が与えていた

不便から生まれる知恵や工夫

周りの大人にゆるりと見守られながらも自己責任で冒険したりケンカをしたりすること

地域の中で営まれる大人の文化や生活に遊びを通して参加すること


こういった経験ができるように人的・物的環境を整え、保護者や地域の人へと門戸を広げ、子どもたちがより豊かな経験ができるようにしていくことなのかもしれないと思います。



で、あれば!

先生の言いなりになって全員同じ絵を描くといった画一的な指導をしている場合じゃないはず!!ということを声を大にして言いたいところですが、これは長くなりそうなのでまたどこかで。

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