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「極論」は良くないか

良い。

よく、「それは極論だよ」という言い方がある。

例えば、

「困った人がいたら助けるべきだよね」
「じゃあ死刑になるような犯罪者も助けなきゃね」
「それは極論だよ」
「・・・確かに」

みたいな話だ。確かに極論っぽいので相槌として妥当だが、「極論だよ」と言ってしまうと、「確かに」でお話が終わってしまうのだ。いわば、議論を終わらせる万能兵器だ。

議論を早々と終わらせるため、コミュニケーションスキルとしては最強だ。そこから泥仕合を繰り広げて友達と仲が悪くなったり、無駄な議題に2時間かけてしまって行くはずだったカラオケに行けなくなることはなくなる。

しかし、結局じゃあ

「困った人がいたら助けるべきなの?どうなの?」

という問題に対して、結論が出ないというデメリットがある。「思考停止」をまねいてしまうのだ。

なんなら世の中の問題すべて「極論だよ」でさばけてしまいそうだ。

「カレーって混ぜた方が美味いよね」
「じゃあミキサーに入れたら?」
「それは極論だよ」

 ↑これは、カレーって混ぜた方が美味いかどうかが結局不明のままである。

「生き物は大切にしなきゃね」
「今食べてるほうれん草は?」
「それは極論だよ」

 ↑これは、生き物は大切にしなきゃいけないかどうかが結局不明のままである。

なので思考停止したくない場合は、「極論」という言葉は使わないようにしよう。

「いやいや、ほどほどにすればいいっていう結論があるでしょ!」

なるほど、例えば、

「困った人がいたら助けるべきだよね」
「じゃあ死刑になるような犯罪者も助けなきゃね」
「それは極論だよ」
「ほどほどがいいってことね」

っていう感じか。では、この「ほどほど」というのはどれくらいなのだろうか。死刑になるような犯罪者は助けるべきではないのであれば、では懲役何年の人まで助けるべきなのだろうか。

きっとその境界線は観測できないので答えは「分からない」となってしまう。つまり、「ほどほど」という答えでもやはり思考停止になってしまうのだ。

なので、しっかり極論と向き合おう。極論と向き合うことで、何か別のパラメータに気が付くことができ、考えが一歩前にすすむ。

例えば、

「困った人がいたら助けるべきだよね」
「じゃあ死刑になるような犯罪者も助けなきゃね」
「え、そうか、じゃあ死刑は禁止したほうがいいのか」

となる。結論の妥当性は社会通念に任せるとして、一歩考えが前に進んだ。

「困った人がいたら助けるべきだよね」
「じゃあ死刑になるような犯罪者も助けなきゃね」
「え、そうか、じゃあ犯罪者以外の困った人を助けることにする」

となったりもする。結論の妥当性は社会通念に任せるとして、一歩考えが前に進んだ。

こうやって、考えを一歩一歩前に進めていこう。「極論」を扱うことで新しい気づきをいっぱい得ることができるだろう。

「極論」は気づきの宝箱や~










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のろさとし | 実業家 | 製造業 | システムエンジニア
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