趣味が合う人と結婚すべきか
すべきだが、最近は前より難しくなった。なので趣味が合うかどうかは潔く諦めよう。
なぜ前より難しくなったかと言うと、趣味の総数が多くなったからだ。昔の趣味と言えば、登山、テレビ、サッカー、など、言われれば「ああ、それね」ってなる趣味が大半を占めていたわけだが、現在は違う。
登山もボルダリングやらトレイルランやら細分化され、昔はテレビ一択だったのに、今となってはyoutubeやオンデマンドなど、無数のチャンネルであふれている時代にかわった。スポーツもサッカーか野球だった時代はとうに終わり、オリンピック競技も聞いたことないスポーツであふれかえっている。
このように趣味は細分化され総数が増えたにもかかわらず結婚適齢層は減っているわけだから、趣味なんか合わない合わない。もう出会い系アプリ使わないといけないくらい合わないわけだ。
なので諦めよう。
さらに、上記を拡張して考えると、「性格」も以前よりバリエーションが増えた。多様性を許容する社会になってきて、同調圧力が減り、みんな好きな趣味を気軽に選べるようになったので、性格もてんでバラバラになってきているはずだ。
なので、「価値観があうかどうか」とか「性格が似ているかどうか」という観点も捨てよう。そうでないと結婚できない。同じ性格や価値観の人とは俄然出会いにくくなっているはずである。
以上の「こだわり」を捨てればだいぶ結婚できるようになる!
おっしゃあ!
だがしかしすぐ離婚するだろう。
なぜなら世の離婚理由ランキング1位が「性格の不一致」だからだ。僕達は多様性を許容してきたので「さまざまな性格」を各人が得たにもかかわらず、いざ結婚となると「自分と違う性格クソすぎる!多様性なんざくそくらえだ!離婚だ!」ってなっている。
つまり、社会全体としては多様性を許容しているが、個人としてはまだまだ許容していないのだ。なんだかアホくさい話だ。
「うーん!それでも僕は結婚したい!結婚して子孫を残して生物としての幸せを享受したい!」
と言う人は、多様性を個人でちゃんと認める必要がある。相手がどんな趣味でも、どんな性格でも、尊重し共存する気概が必要だ。その道たるや現代の社会においてはいばらの道だ。
なので、相手がお風呂でおしっこするどころか、玄関でウンコするような人でも結婚していい!そして離婚してはいけない!尊重するんだ!
相手が食器を洗わないどころか、ウンコした後おしりをふかないような人でも結婚していい!そして離婚してはいけない!尊重するんだ!
この気概だ!この気概さえあれば結婚して子孫を残して生物としての幸せを享受できる!!
そりゃ少子化にもなるか。