見出し画像

デザインに抵抗があるの?

ファッションって感覚的でとても抽象的なもののように捉えられていると思うのですが、ヨーロッパのデザイナーはいかにもインテリで時代性を感覚ではなく確かな論理や哲学で捉え、構築的に表現しているのが日本とヨーロッパの違いになります。

今日はそんな少し硬いお話をしたいと思います。
時間をしっかりかけてみました。
(なので、時間ある時にゆっくり読んで頂ければ幸いです。)

さらに深堀していきます。

こうした視点が正しく広まるとよりデザインに対して尊敬の念が生まれるので、デザインにお金を払うというヨーロッパ的な感覚が生まれると思うのですが、日本ではどうでしょうか?

日本はどうしても素材原価でモノを判断しているのではないかと感じています。

それはもちろん意味がり、正しいことでもあると思います。
洋服とは意匠やデザインにかけた時間と知見にお金を払っている側面もあるということを忘れているのかもしれません。

理由は衣服の文化の違い?

日本歴史的に見ると和服の文化がとても長いです。

和服はデザインはほとんど同じ、シルエットに関してはサイズが大きいか小さいかの違いでこれといって大きな違いはなく皆同です。

その代わり『染め』と『織り』といった素材で変化をつける文化がその分根付いたからだと思っています。

その結果として日本人は素材原価にこだわりが強く、デザインを軽視する構造的になったと思います。
(良し悪しの話ではなく、僕が歴史的に見た、感じたことです。)

これはこれで日本人が絶えず繋いできた歴史を育ててきた感覚であるからこそなかなか捨て去ることは難しいところだと思います。
しかしながらファッションは洋服でありヨーロッパの文化になります。

素材が大事なことはわかりますが

洋服は素材に重きを置く事も大事なのですが、デザインで表現して、シルエットで体を美しく見せるものなのです。
ヨーロッパの人達は服を着る前にまずは、体型を整える又はキープするところから考えています。

この辺は和服の文化とは似て非なるものでむしろ真逆なところだと思っています。

デザインに対してシルエットに対してお金を払うという慣習がとても自然に身につくことができます。

デザインなんて考えるだけだからタダじゃないかと思うこともありるとおもいますが、ここであげる例としては、紙とインクで1000円ってボッタクリと言うことはできますか?
言うことは難しいと思います。

正しく知って見る

私たちは本には文句を言うことはありませんが、服のデザインでお金を取ることには文句を言ってしまうのは、文化の違いでしかあえりません。


デザインにお金が払うことはおかしいと言ってしまうと、シルエット作りに金が払うことができなくなってしまったら、当然のごとく日本のファッション文化は後退して行くことは目に見えています。

ヨーロッパ的な視点を少しお話しさせて頂きましたが、インテリジェンスが正しく世の中に伝わることができたら、服の奥行きが深いものなのかとお金を払うこともできるのではないかなと感じています。

それでは〜

サポートはしていただかなくて良いので、もし投稿が気に入ったら『スキ』又は『シェア』して頂けると非常に嬉しいです。 それ以上のことは求めません。ありがとうございます。