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うつわに会いに奈良に行った

 うつわに会いに奈良に行った。

 いや、正確には「うつわが大好きで奈良に移住したきょうこさんに会いに行った」である。
 きょうこさんと出会ったのは、と言ってもネット上でのことだが、2020年末に開催した「あなたの人生会議の物語、書いてみませんか?」という企画でのことだった。

 この企画は、「人生会議」つまり「何か大きな病気になったり、死に直面する状況に陥ったときに、その人らしい人生を全うするために、自分と自分の大切な人と、そしてできれば医療者と、自らの人生を振り返りながら自分が大切にしてきた価値観や死生観をシェアしていくプロセス」について、何か新しい啓発ができないかな、と考えて始めたもの。

「人生会議」というと、やたらに死が強調されたり、仰々しく話し合いの場を作って・・・とか捉えられがち。
 でも、それは違うと思っていたから「あなたと、あなたの大切な人の周りにある、暮らしの中で見つけた大切な言葉と物語を教えてください」という形で人生会議を表現してみた。そういった日常の会話の中にこそ、その人の価値観がにじみ出るものだと思ったから。それを大切にしてほしいと思ったから。

「わたしたちの暮らしにある人生会議」と名付けられたこの物語募集の企画に応募してくれた一人がきょうこさんだった。
 きょうこさんが投稿してくれた『食べれなかった餃子の味。』の物語は、文章も、構成も、まるで一遍のショート・ムービーを見ているみたいにとても美しくって、その中に込められた後悔に僕らも涙してしまうような作品だった。

 こんな美しい文章を書く方は、どんな人なんだろうと思って活動を追っていると、どうやら奈良に移住してうつわ屋さんをやりはじめたという。

 そのうつわと、それを紹介していく文章がまた美しいのだ。本当にうつわが大好きなんだなあ、とひしひしと伝わる言葉たち。
 いつか会いに行けたらいいなあ、と思っていたところで、今年たまたま奈良に行ける機会ができたので、「わたしたちの暮らしにある人生会議」の企画で優秀賞を受賞した際に連絡して以来、約2年ぶりにきょうこさんへ連絡をし、会いに行くことができたのだった。

100年前の暮らしが息づく空間にうつわが映える

 レンタカーを借りて、奈良の生駒に着いたのは、お昼の少し前。
 大きな道路から少しだけ外れた場所にあるそのうつわ屋さん「草々」は、車のスピードでは追い越してしまいそうな、古民家の一画にある小さな入口の奥にある。

 その小さな入口の向こうに広がる世界に、僕は簡単に引き込まれた。
 人生においては、行かないともったいない、という場所がいくつかあると思うが、ここもそのひとつだ。
 100年前に建てられたというコンクリート造りのそれは、元々オーナーのおじいさんが建築会社の事務所で使っていたが、その方が亡くなられてからはずっと物置になっていたのだという。

 何度も取り壊されそうになっていた、その部屋を記憶しているものはもう誰もいない。
 それでも、そこで過ごしてきた人たちの息遣いは遺る。

 タバコを吸いながら過ごしたのであろう小さな部屋、部屋の壁に数字を書きつけた跡、子どもが貼り付けた昭和時代のシールなどなど・・・。
 古びた金庫や、黒電話が置かれたであろう棚や、いまはもう使えない時刻表までもがそのまま残る空間に、今はとりどりのうつわが広がっている。

「うつわが大好きで、奈良の作家さんたちとも関わっているうちに、自分も関わっていきたいなと思うようになったんです。素晴らしい作品たちがたくさんあるのに、知られていない。だから文章を書くことで、その魅力を伝えていけたらなって」

 そうして最初は、他の仕事をしながら時々文章を書き、発信してきたが、最初のうちはあまりうまくいかなかったのだという。
「そのうち、うつわの仕事に専念しようと思うようになって。自分でお店を開きたいなって。そうして探しているうちに見つけたのがこの場所だったんです」
 まさにご縁。小さくて、使いにくくて、アクセスも良くは無い。そんな物件はなかなか借り手もつかず、オーナーさんも困っていた・・・というところでのきょうこさんとの出会い。この出会いが無かったら、早晩、建物ごと無くなっていたかもしれない。

「でも、この建物が本当に美しくって。窓の枠もきちんと『面取り』されて凝っているし、ドアの蝶番やコンセントプラグもドイツやイギリスから取り寄せたものみたいで・・・。室内窓が並んでいるところも、額縁みたいで面白いですよね」
 そう語りながら店内を紹介してくれる、きょうこさんの雰囲気が、またこの建物とフィットした柔らかさで、心地よい。

「西先生がされている、暮らしの保健室の活動も興味深く見ています。実はこのお店も、そういう場所になれば良いなって思っていて。ここはうつわ屋ですけど、平均すると皆さん30分くらいは滞在していくのですよね。そこで色々とお話をするんですが、その中には苦しい思いを抱え込んでいる方もいたりして。子どもから大人まで、多くの方の居場所のひとつになれれば」  
 大好きなもののひとつ、と出してくれたあんこ入りもなかを頂きながらお話を伺い、「これこそが、僕がいいなあと思っている社会的処方の姿だなあ」と感じていた。

 社会的処方の取り組みも、人生会議と同様に、医療者が中心となって孤独・孤立の問題を「解決する」発想になりがちだ。
 でも、本当に目指したいのは、専門家たちだけが社会的弱者に対して「癒しを提供する」社会ではない。専門家ではない、まちの喫茶店のマスターや、趣味で俳句をしているおじいさんや、うつわ屋さんを開いているきょうこさんのような方々が、その暮らしの中にある関係性をもって、市民同士「お互いの」孤独・孤立を認め合っていく社会である。

 孤独や孤立、死や喪失も、暮らしの中に当然としてあるものであり、それを無くすことはできない。だから僕たちは一人一人(程度の差はあれ)同じ苦しみを共有する市民として、お互いにできることをやっていきましょう、と思えることが大切なのだ。
 仮に誰かの孤独や悲しみがあふれそうになったとき、暮らしの保健室に来てくれる場合もあるだろうけど、その人は当然、喫茶店にも行けば、うつわ屋さんにも行けば、道ばたでおじいさんと立ち話をすることもある。そのときにあふれだす苦しみを、ちょっとだけ共有することができたら、その人にとっては「また、このまちで生きていこう」と思えるかもしれない。
 ただ、そこで重要なことは、あふれる苦しみを受け止める側も、また苦しみを抱えているかもしれない、ということだ。人の思いを受け止め続けていると、自分の中の苦しみをため込んでしまって、いずれは自分の方がつらくなってしまう。だから、受け止めている側の苦しみがあふれそうになったときには、また別のどこかで誰かが受け止めてくれたらいい。その連鎖がずっと続いていく社会、それが暮らしの中で当たり前にある社会であったら良いなと僕は考えている。

 もし皆さんも、近畿方面に行く機会があったら、ちょっと足をのばして奈良、そして「草々」へきょうこさんとうつわの世界に会いに行ってほしい。

(宣伝)そんなきょうこさんの文章をはじめ、他の受賞者の方々、そして写真家の幡野広志さんや小説家の浅生鴨さんの人生会議の物語も掲載された本はこちら↓です。

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