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noteを始めるにあたって。

思えば、自己紹介を最後にしたのはいつだろう。
仕事で日々「名刺交換」はしているけれど、それはきっかけの一つであってきっと自己紹介とはいえない。
いつから、好きな食べ物を人に発表しなくなったのだろう。いつから、自分の特技をはっきり口に出さなくなったのだろう。あの「初めまして」の緊張が懐かしく思ったのはいつからだろう。

誰にも読まれない文章かもしれないが、簡単な自己紹介をしようと思う。

現在24歳。社会人2年目。
私は、少し特殊な業界の、少し特殊な人の傍で、少し特殊な仕事をしている。
そしてそんな「特殊」のなかに居て「平凡」な自分に時々鬱々とする、何の変哲もない、もうすぐ25歳になる24歳。

小学生の頃は、とある一冊をきっかけに本が大好きになった。この一冊に出会えていなかったら、私は今日まで読書を好きになることはなかったかもしれない。少なくとも、家に本棚を2つは置かない。

中学生の頃は、10年間続けたクラシックバレエを辞めた。この10年の名残は今も残っていて、気づくと体が勝手に動いているときがある。リズムに敏感になった。(踊れと言われたらそれなりに踊れると思うくらい体に染みついている。)

高校生の頃は、何かに熱くなりたいという理由でソフトボールを始めた。やったことも、ましてや観戦したこともない。ルールも知らない。勉強は苦手だったが、学ぶ楽しさに目覚めてからは、学年最下位からは想像できなかった進路に進むことができた。

大学生の頃は、アメリカに留学に行ったり、ゼミ活動で「多様性」や「対話」について学んだりしていた。サークルにも入り、アルバイトも複数種やって、色々な経験ができた。

そして2年前、Twitterをきっかけに今の仕事に就き、今日まで働いている。同じ仕事をしている人は誰もいない。

ざっと振り返ると私の24年間はこんな具合だ。
経歴にしてしまえば、飛び抜けて凄いことなど何もない。そんなふうに思うわけだけれど、その時どきで感じること考えることや日々の暮らしは私だけのものだという当たり前のことに、最近ようやく気が付いた。私は確かにこの24年間を生きてきているのだという、本当に当たり前のことに。

だとすれば、それらを素直に書き留めておく場を日記以外にも設けてみたかった。

noteを始めた理由はシンプルで、「今の気持ちを残したい」、そして「後から読み返したときに少しでも自分のためになる記しをしたい」と思ったからだ。

人はきっと思っている以上にいろんなことを考えて生きている。
私は、例えば、お風呂に入っている時、街を歩いている時、ご飯を食べている時、夜寝る前など、日常のふとした時につい考え事をしてしまう。そしてそれらの殆どが、誰にも話されることがないまま不燃ゴミとして脳みその彼方に捨てられていく。それらは大抵、例えば、”ニュースやSNSで流れる社会問題についての確固たる意志”などではなかったりするから、私の場合簡単に忘れてしまう。

そんなふうに、考えなくても生きていけることを考えてしまう自分の性格をずっと「面倒くさい」と思っていた。頭でっかちで、小難しい。けれど、私は自分自身をもっと知りたいからなのかもしれないと気付いた。
たとえ、いつかまた辿り着くであろう自分の考えだとしても備忘を怠りたくない。読み返して、少しでも自分のためになる記しをしたい。記録は財産だと思うから。どんなに拙い言葉でも、この文章が後にどんなに黒歴史になろうとも、書きたいことが出てくるうちは素直に色々なことを綴っていきたいなと思う。

他にも、気に入ったお店を見つけたとか、好きなものについて書いてみたりだとか、書き方にもこだわらず、力を抜いてとりあえず続けてみることにする。

今日は雲ひとつない快晴だった。
あの空から約12時間のいま。一日は本当にあっという間だなと思える毎日を過ごしたい。

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