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全てのファンの熱い気持ちの代弁に涙。ファンとクリエイターの、作品に対する葛藤を描く。『みどりの星と屑』

【レビュアー/栗俣力也

私は泣き虫だ。

本を読みながら、映画を見ながらしょっちゅう泣いてしまう。
 
その涙の理由は登場人物への感情移入。

経験や感情がリンクし思わず「わかるっ」と気持ちが溢れ涙になり流れ落ちる。そんな私が最近一番涙を止められなくなった作品が『みどりの星と屑』だ。
 
2巻まではクリエイターの葛藤と妬みやひがみ、そしてそこからの成長の物語を見せるこの作品は、3巻でもその大筋は変わらずにいる。

しかしその中の1つに漫画ファンとして感情が揺らがずにはいられない、ひときわ目立つエピソードがあった。
 
SNSなどで、自分が手掛けた漫画や小説などの作品を、その「作者自身」がけなしている場面に出くわしてしまった。という読み手は少なくないのではないだろうか。

今ならもっと登場人物を活かせたのになどの愛のある後悔ならいいのだが「あの作品なんかもう見たくもない」「あの作品は最低だ」なんて言葉もしばしば。
 
実際私も子供のころから何度も読み返してきた大好きで大切だった作品を、作者自身が失敗作だと思っているという話を聞いて、心にぽっかり穴が空いてしまったような気持になった事がある。この時の悲しさ、辛さは忘れられない。
 
もちろん自分自身が作った物語をどう言おうとそれは作者の自由だというのはわかる。そこには読み手にはわからない裏側の事情があるのだろう。

しかし、同じ読み手同士としての批判は仕方が無いと割り切れるし、反論も出来るが、作品の神様的な存在である作者自身がその作品をけなしている場合、読み手はその立場から受け入れざる得ない。作者自身の作品批判は「大きな意味を持つ発言」として心に突き刺さる。
 
みどりの星と屑の3巻にはそんな想いを体現し、作者自身にそれをぶつけるようなエピソードが描かれている。

「私の好きな作品をボロクソに言うのは描いた本人でも許さないから」この言葉に思わず目頭が熱くなる漫画好きは少なくないだろう。

この想いを理解してくれている漫画家さんがいる。それだけでイチ読み手として漫画好きとして報われる想いになった。
 
この作品は瀬崎ナギサ先生が自分自身の想いや感情を込めた物語だと私は勝手に感じている。クリエイターの悩みや葛藤もリアルに描かれ熱量が半端ない。
 
この作品はきっと私にとって一生の宝物の1つとなるだろう。

もしこの作品が気になったならぜひ手に取って読んでもらえたらと思う。

きっとこの作品に共感する想いがあなたにもあると思うから。