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ジョブズ亡きアップルは創造性を失ったのか?創業の原点から考えるには『スティーブズ』を読め!!

※本記事は、「マンガ新聞」にて過去に掲載されたレビューを転載したものです。(編集部)

【レビュアー/角野信彦

つい先日、6月10日に「WWDC2015」で、Appleが発表を行った。ハードウェアの発表がなかったせいもあるが、僕のTwitterやFacebookのタイムラインに「残念」とか「もうアップルはクリエイティブじゃない」などのネガティブなコメントが並んだ。

ところで、やはりアップルはスティーブズ・ジョブズを失い、それとともに創造性を失ってしまったのだろうか。例えば、ソニーや任天堂などの日本企業は、「創造性を失った」と言われ続け、業績も悪化し続けている。

プロダクトがクリエイティブであることとビジネスの収益性

『スティーブズ』第2巻では、創造性とビジネスの収益が健全に両立する地点がどこなのかを考えさせられる場面が続出する。創造性の化身としてのジョブズ、ビジネスの天才としてのゲイツ。それぞれを象徴する場面も強烈だ。

ジョブズがアップルに与えていた創造性を明快に表現しているのがこの見開き一コマだと思う。

一方、ジョブズの永遠のライバル、ビル・ゲイツを象徴する場面はこうだ。
ゲイツがつくった「BASIC」が無断でコピーされ、「ソフトウェア産業の破壊」について怒りを爆発させる場面だ。ジョブズが「アートとテクノロジーの交差点」なら、ゲイツは「ビジネスとテクノロジーの交差点」に立っていたのだろうか。

群像劇としての『スティーブズ』の魅力

日本人は群像劇が好きだ。戦国時代、幕末、仁義なき戦いなど、魅力的なキャラクターが複数出演し、それぞれのストーリーラインがぶつかり合う魅力には抗えないものがある。『忠臣蔵』がこれだけ長い間愛され続けているのも、魅力的なキャラクターが展開する複数のストーリーラインがあり、それぞれのストーリーラインに感情移入できる完成度の高さがあるからだ。

そういう視点からこの物語を眺めてみると、これからますます面白くなるに間違いない要素が山盛りだ。例えば、サン・マイクロシステムズの創業グループでは、マイクロソフトを「悪の帝国」と呼んだ創業者のスコット・マクニーリー、ゲイツを超えるプログラミングの天才と言われたビル・ジョイ、シスコシステムを経てグーグルの最初の投資家になるアンディ・ベクトルシャイム、後にグーグルの会長になる技術者エリック・シュミットがいた。

マイクロソフトにはゲイツの後継者となるスティーブ・バルマーがいる。ゲイツとジョブズも併せて、ここまでに名前が上がった人材は全て1954年から1956年の間に生まれている。アップルコンピュータが設立された1977年には、全員21~23歳だったのだ。若い逸材揃いで、経歴も多彩とくれば、魅力的な群像劇になる要素が揃っている。次はだれが出てくるのか、楽しみでしょうがない。

地平線の先まで見る目がありながら行く方法を知らなかった若者たち

スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツという巨人たちの死闘がこの2巻でようやく始まったが、事実に基いたストーリーが展開されているので、IT産業の経営戦略を考えるという面でも、とてもおもしろい。そういう意味で、僕が一番興味深かったのは、ゲイツがアップルの先見性に疑問を持つこの場面だ。

パソコン産業がモジュール化し、ハードディスクやメモリーやCPUなど、それぞれに最適化した企業が割拠する中で、OSやアプリケーションのチャンピオンがマイクロソフトだった。ここから20年以上、司法省から反トラストの訴訟を起こされるくらいシェアをとり、稼ぎまくった。

単純に言えば、そうした流れに反し、コンピュータなどのハードに自前のソフトを搭載し、モノとソフトを併せて販売してきたのがアップルである。現在はご存知のように、絶倫だったマイクロソフトにも苦境が訪れているように見える。

ビル・ゲイツがマイクロソフトのフルタイムの会長職を退いたのは、2008年6月30日、iPhone 3GS がWWDC 2008の基調講演で発表された2008年6月9日から3週間後のことである。そうしたマイクロソフトとアップルの攻守交代がこのときだったのではないだろうか。そのときビル・ゲイツがマイクロソフトの未来に見ていたものはなんだったのだろうか。そんなことまで考えされられる味わい深い一場面だった。

『スティーブズ』の各話のあいだには、「地平線の先まで見る目がありながら行く方法を知らない」というコラムが掲載されている。ジョブズやゲイツなどのビジョナリーが、実現すべき世界に向かって苦闘していく群像劇を表すタイトルとしてこれ以上のものはないと感じる。全てを見通していたのではないかと思わせるゲイツとアレンのコンビだが、アレンも自身の著書「ぼくとビル・ゲイツとマイクロソフト」のなかでこんなことを言っている。

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私たちがもし、もう少し年を取っていて、分別があったとしたら、その仕事(アルテアで動くBASICの開発)に取り組むことなく逃げていたかもしれない。だが、私たちはまだ若く、世間知らずだったのだ。
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みんな20代そこそこの若者で、不安で必死だったのだ。そんな青春の成功と蹉跌の群像劇がつまらないわけがない。ぜひこのストーリーで、その後、世界を制覇するIT企業の勃興期、苦闘する若者たちの青春を疑似体験してほしい。