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親日国家トルコと日本の間に125年続く「善意の連鎖」『テシェキュルエデリム~ありがとう』 『もやしもん』作者が描くエルトゥールル号遭難事件

※本記事は、「マンガ新聞」にて過去に掲載されたレビューを転載したものです。(編集部)

【レビュアー/小禄卓也

確か司馬遼太郎さんの「明治という国家」に書かれていたと思うのだが、1940年代の戦争で潰れてしまう明治国家の青春時代、1868年の明治維新から日露戦争が終わるまでの期間に、奇跡のように真摯に国際法を守ったのが日本だった。

その最大の理由は、西欧列強と徳川幕府が結んだ不平等条約の改正だったし、民衆の段階では、単に「外国人には親切に」というレベルでの理解だったのかもしれない。

ただ、その健気さが現在にまで続く国同士の友好を生み出した。大ヒット作『もやしもん』の作者が描いたのは、そういう奇跡のストーリーだ。

国家間の親交とひと括りに言っても、結局は人と人との信頼関係が大切であることに変わりはない。エルトゥールル号遭難事件が起きた1890年に、紀伊大島の村長が「あの助かったトルコの人たちは、遠いこの国で丸裸で放り出されたんや。出来る全力の事をやってやらんとあかん。それが当たり前やし、そうでもしてやらんと気の毒や」と話す内容がすべてを物語っているのではないだろうか。

目の前に困っている人がいたら、助ける。

この善意が次の善意を呼び、連鎖していく。

日本とトルコの間では、個人レベルで始まったこの「善意の連鎖」がいつしか国同士の絆を深め、120年以上もの長い間深い親交が続いている。

エルトゥールル号遭難事件とは、1890年にオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が、現在の和歌山県串本町沖で遭難し、500名以上の死者を出した事件のことだ。運良く海岸まで辿り着いた負傷者たちは、その後紀伊大島の地元の村人たちが発見。応急処置を施し、決して豊かではないが自分たちが蓄えていた食糧もすべて無償で提供し、69名の命が救われることとなったという。

それから100年近くが過ぎ、1985年のイラン・イラク戦争である。「48時間以降イランを飛行禁止区域としこれを飛行するすべてを無差別に攻撃する」という当時のイラク共和国サダム・フセイン大統領の宣言により、日本人がイラン国内に取り残されてしまった時、トルコ政府のみが日本人のイラン国外脱出に協力してくれた。

作者の石川雅之氏は、本作の冒頭で「人の営みは『選択』と『決断』の連なりである」と記す。

2011年の東日本大震災の際にトルコが最後まで被災地にとどまって救援活動を行ってくれたのも、トルコ大地震が起きた時に真っ先に日本が救助隊を送ったのも、振り返ってみると1890年のエルトゥールル号遭難事件、そして1985年の事件の時に両国が下した決断がもたらした恩恵であることが分かる。

漫画のタイトル『テシェキュルエデリム(teşekkür ederim)』は、トルコ語で「ありがとう」を意味する。

シンプルで、ちょっと気恥ずかしいこの気持ちを持ち続けてくれているトルコと、そのきっかけを作った村人たちに感謝と尊敬の念を抱かせてくれる。こういう関係を作り続けることこそが、外交の真の目的なのではないだろうか、そんなことを考えさせられた。5月31日まで無料配信されているので、じっくり読んでみてほしい。