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「やりたいことと向いてることが違う」迷い悩む生徒に向けた、先生の優しい助言とは『吉祥寺少年歌劇』

【レビュアー/bookish

町田粥先生の『吉祥寺少年歌劇』(祥伝社)は、吉祥寺にあるとされる架空の歌劇団を目指す少年が学ぶ音楽学校を舞台にした青春劇。舞台人の悩みと成長、そしてきらめきといったすべてが詰まっています。

■「やりたいことと向いていることが違う」に向き合う

女性だけの宝塚歌劇に対し、吉祥寺歌劇は男性だけで構成された歌劇です。物語の中心となる登場人物は4人の少年。それぞれの思いを抱えて歌劇の舞台を目指します。例えば第1場の中心である進藤瑞穂(しんどう・みずほ)は、男役のスターにあこがれて音楽学校を受験し、見事厳しい競争を勝ち抜いて合格します。

しかし、音楽学校の新入生は進藤だけではなく、それぞれ何かしら強みをもって選ばれた人たち。進藤を含め、優れたところもあればまだまだこれから成長を期待できるところもある。周りとの競争だけでなく、将来を見据えた学校からの要求にそれぞれ悩みます。例えば男役に憧れていた進藤も、学校側の面談で向いているのは娘役だと示唆されます。

逆に進藤の同級生、澤谷優希(さわたに・ゆうき)は娘役に憧れながら、高身長と体格、それに声の質から自分は男役しかできないと思い込んでいるタイプ。進藤も澤谷も入学直後に「自分のやりたいことと向いていることが違うとき、どうすればいいのか」という葛藤を抱えることになるのです。

もちろん学校が舞台ですので、こうした葛藤をそのままにしておきません。生徒らを導く素晴らしい先生が在籍し、迷い、悩む生徒らを導きます。

その一人が澄佳鈴(すみ・かりん)先生。悩んでレッスンに集中できない澤谷に「自分を勝手に型にはめて『なにを諦めるか』じゃない 『どう諦めないか』を考えなさいね」と助言します。

もちろん進藤という澤谷の仲間も見捨てません。進藤は「どんな男役がいたっていいだろ別に 男役っていうのはみんな一辺倒なのか?」と疑問を投げかけることで、「男役とはこうあるべき。だから自分にはなれない」と思い込む澤谷の背を押します。進藤や澤谷ら音楽学校の生徒は、ライバルでありながら同じ光を浴びるために一緒に壁を乗り越える仲間であることが強調されます。

■芸事への助言は現代の生き方にも通じる

「どう諦めないか考える」など作品に込められたメッセージは確かに芸事のために生きる歌劇団の少年に向けたものなのです。しかし、その言葉は普遍性を帯びて、現実社会で生きる私たちの心にも響きます。

それは歌劇団の音楽学校で学ぶ少年らのように私たちも日々の仕事や生活の中で、彼らと同じ葛藤にぶつかるからです。頑張ってきたことや憧れが呪いとなって自分を縛ってしまっていたり、何かに憧れてそれに向けて頑張っても報われなかったり。自分が秀でていると思っていた分野で、自分よりもすごい人に出会うことなど日常茶飯事です。

歌劇団を中心に描かれる演劇や芸事の世界の素晴らしさはそのままに、そのメッセージは私たちみんなに向けられたもの。それは現実社会はすべての感情がある舞台のようなものだからです。

そうであれば、私たちは作中で進藤らの成長からも学ぶことができる。進藤は学校側に娘役を示唆されたことで初めて娘役に興味を持ち、勉強しながら過去の映像で娘役の演技を見て、どんどん興味を持っていきます。外部からの指摘で興味を持ち、その対象にハマって学びが進むーーこうしたことは私たち社会人も身に覚えがあるでしょう。

■娘役のように短くきれいに終わる物語

『吉祥寺少年歌劇』は、単行本1巻で完結します。読み終わった直後は、トップの男役となった進藤の同級生、白井寿(しらい・ことぶき)と娘役となった進藤の芝居をもう少し観たいとも思いますが、町田先生はパッキリと1巻で終わらせてしまいます。これは、年を重ねて体つきの変化などで娘役を演じることが難しくなり絶頂期に引退する進藤の姿に重なります。

現実の宝塚歌劇団でも男役・娘役も演じられる期間は限られています。それが男性が女性を演じる吉祥寺少年歌劇の娘役はもっと顕著で、体型の変化があることを踏まえると、より演じられる期間は短くはかない。

もちろんラストシーンで示唆されるように、娘役というひとつの役が終わったあとも進藤の役者人生が終わるわけではないのですが、一旦の区切りは迎えるのです。どんなに望んでも、娘役の進藤を舞台上で観ることは永遠にできなくなるーー。ここが生身の役者がいる演劇という芸能の面白さでもあります。

生身の人間が全く違う人の人生を演じる演劇とはなにか。役者は演じるときに何を考えているのか。そして彼らの生き方から私たちは何を学べるのかーーこうした世界を垣間見たい方に、短い物語の中に演劇の楽しさもはかなさも凝縮された『吉祥寺少年歌劇』をぜひ読んでいただきたいです。