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争いは、「異質のもの」ではなく、その存在を恐れる人間の不寛容が起こす『ダーウィン事変』

【レビュアー/南川祐一郎】

人間ってなんだろう?

幸せってなんだろう?

生きていると一度は考えたことがありますよね。

自分は特別な存在だと感じて幸福な気持ちを感じたり、

逆に自分は取るに足らない存在だと感じて絶望したり、

人間の心は本当にジェットコースターのようにめまぐるしく変わり、

それが楽しいことでもあるけれど、多くの人にとっては苦しいことの方が多いんじゃないかと思います。

近年流行をみせているマインドフルネスは、仏教的な瞑想に由来するものですが、これも過去の幸福や不幸に囚われず、未来への希望も不安も持たず、今この時の感情の起伏も手放してただあるがままの今の姿を受け入れるというものです。

この思想が流行る理由も、人が考えすぎる、感情豊かすぎることによって争ったり苦しんだりしているからなんじゃないかと思うんです。

今回紹介する『ダーウィン事変』は、そんな人間の人間らしい姿を突きつけてくる、色々と考えさせられる漫画です。(考えすぎだっていうことを感じさせるのにまた考えさせるというのも人間らしい矛盾ですがw)

動物を解放せよ! 食用や実験のために動物を虐げるな! 彼らにも生きる権利を!

そう訴える動物愛護団体が過激化し、とある動物実験施設を襲った時に、そこで子供を身ごもったチンパンジーを助けます。

ただ、そこから生まれてきた子供はなんとチンパンジーと人間のハーフ、ヒューマンジーだったんです。

そのヒューマンジー・チャーリーが本作の主人公ではあるんですが、彼はその出自によるものなのか、極めて動物的な思考を持っていて、つまり人間が持つ様々な感情や葛藤、その根拠となる人間的常識とは一線を画しています。

自らをただ、一個体であるという認識と、本能的な感情の動きでただあるがままに生きるチャーリーは、もしかしたら何も起こらない自然の世界の中では何のドラマも生み出さない存在で、そういう意味では主人公っぽくないキャラです。

ただ、彼のその特殊な出自によって、彼を取り巻く人間たちが勝手に主義や思想を語り、争い、ドラマが生み出されていってしまう…そんな皮肉たっぷりな漫画なんですね。

でも、ペシミストよろしく人間ってやつは…なんて思っていても、結局我々は人間であることをやめられないわけです。

チャーリーが突きつけてくる、いや、チャーリーのまわりで勝手に人間たちが盛り上がるそのドラマを見つめながら、また人間らしく余計なことをたくさん考えさせられて、彼の世界がどう動いていくのかを見守っていくことになるでしょう。

自我を持ったロボットが人間との交流を得て、人間らしい感情や愛のようなものを理解していくといったストーリーはよくありますが、おそらくチャーリーの物語はそこには向かわない気がしています。

だからこそ、この漫画がどういう結末を迎えるのか、今からとても楽しみでなりません。