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遭難したから死んだ幼女を丸焼きにして食うーー。極度の自己防衛本能から発症するソシオパスという病『マイナス 完全版』

「ソシオパス」という言葉をご存知だろうか。

社会病質者と呼ばれ、反社会性パーソナリティ障害の一種として最近注目を集める精神病の一種である。

あまり聞き慣れない言葉だが、「他者のことをまったく考えない。人を巧みに操り利用する。法やルールを軽視し、罪の意識が乏しく衝動的な行動に走る傾向がある(カラパイアより引用)」という点で、よくサイコパスとの類似性を指摘される。

ノーカントリー』のアントン・シガーや『アメリカン・サイコ』のパトリック・ベイトマンはサイコパス、『ダークナイト』のジョーカーや『時計じかけのオレンジ』のアレックスはソシオパスとして分類されるらしい。

ただし、二つの明確な違いについてはいまだ学術的には定義されていない。

1.日常的に法を犯す、または法を軽視している
2.つねに嘘をつき、他者を騙そうとする
3.衝動的で計画性がない
4.けんか腰で攻撃的
5.他者の安全性についてほとんど考慮しない
6.無責任で、金銭的にルーズ
7.良心の呵責や罪悪感がない

上記項目のうち、3つ以上に該当すると反社会性パーソナリティ障害と定義されるらしいが、『マイナス 完全版』に登場する主人公・恩田さゆりは、そんなソシオパス性を持った主人公ではないだろうか。

幼少期に植え付けられた「嫌われる」ことに対する過剰な恐怖

1996年にヤングサンデーで連載が始まった同作は、『サイレーン』や『シマシマ』といったドラマ化作品を多く持つ人気漫画家・山崎紗也夏(当時は沖さやか名義)の初期作品だ。

事故で亡くなった幼女を焼いて食べる回が話題となり、回収騒ぎにも発展した奇作である。

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『マイナス 完全版』(山崎紗也夏/ナンバーナイン)三巻より引用

グロ注意だが回収騒ぎを起こした幼女を焼くシーンは一読に値する。特に盛り上げるでもなく、サラッと焼いて食うところが不気味さを助長している。

幼少期の父親からのDVがトラウマとなり、ちょっとしたことで「嫌われた」と思ってしまう新任教師・恩田さゆり。嫌われたくないあまり、他者の(例えそれが生徒であっても)ちょっとした挙動に過敏になり(さゆりにとって)相手から信頼を回復する行動を取る。

基本この繰り返しなのだが、信頼回復のための行動が常軌を逸している。例えば、「先生とやりたい」と書かれた答案用紙を見て、断ると嫌われると思い、それを受け入れSEXに及ぶ。そこから嫌われないために裸に首輪をつけて廊下を走ったり、鍵のかかった教室で一人自慰行為をしたり、生徒の命令に従順に従い始める。

翻(ひるがえ)って、相手から好意を感じると一気に興味は消失。生徒の父親とのNTRを決め込み、家庭は崩壊し最終的に引っ越し・転校へと追い込んだ。

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『マイナス 完全版』(山崎紗也夏/ナンバーナイン)一巻より引用

目を開けたら下着姿の女教師。トラウマ級の出来事である。

恩田さゆりは、特定の人物に「嫌われた」と感じると、その人の機嫌を回復させるためなら第三者を傷つけることすら厭(いと)わない。

学校の物置場にわら人形を打ち込む女子生徒(その時点でこの女子生徒も相当ヤバい)から「見損なった」と言われ、許しを請うために、その女子生徒が呪いをかけていた人たちに物理的に攻撃を仕掛ける。

最後に悲劇をもたらすことになるのだが、その直後に発した「許してくれないのねッ…こんなことまでしてあげたのに……」というさゆりの言葉には戦慄が走った。

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『マイナス 完全版』(山崎紗也夏/ナンバーナイン)二巻より引用

主人公も大概だが、この漫画の登場人物はクセがすごい。犯罪を犯しているという認識も罪悪感のかけらもなく、彼女はあの手この手で自身の立場を守ろうと必死になる。他者の目線が気になって仕方ないさゆりだが、校内最大の権威である校長に取り入ることができれば、自分の地位を揺るがすものはいなくなるだろう、という結論に至る。しかしそれも上手くいくのは途中まで。徐々に綻びが生じ、極度の不安と不信に苛まれていく……。

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『マイナス 完全版』(山崎紗也夏/ナンバーナイン)五巻より引用

他者の目を気にし過ぎるさゆりには『嫌われる勇気』を献本したいくらいだ。

別の側面から見るとソシオパスは被害者でもある

平気で法を犯し、他者を騙し、衝動的で無計画で、攻撃的で、他者の安全性について一切考慮せず、良心の呵責や罪悪感もない。

金銭的にルーズかどうかは描かれていないが、恩田さゆりは少なくとも6つは該当しているソシオパスだ。

彼女のソシオパス性は、最後の最後で快方に向かう。それも、拍子抜けするほどあっさりと。彼女をサイコパスではなくソシオパスとしているのは、前者が先天的な病で後者が後天的な病だからだ。別の側面から見ると、幼少期の虐待がトラウマとなり人格形成に影響を与えたと考えると、彼女自身も被害者と言える。その意味では、あのキ◯ガイじみた主人公(褒めてる)の行動にも原因と結果があり、最終的にハッピー(?)エンドとなってくれたのは何よりの救いだった。

『マイナス 完全版』を描いていた当時の山崎紗也夏先生は、新人だったこともあり、週刊連載の重圧に精神的に追い込まれていたと聞いた。

よくロックバンドのファーストアルバムは初期衝動が詰まったマスターピースとなると聞くが、「新人時代の緊張感」や「一番描きたいものを描く衝動性」などいくつもの状態が重なって生まれたこの作品も、同じように当時の山崎先生にしか描けないマスターピースのような作品だったのではないかと思う。

レビューのために改めて読み返したが、これまで読んできた漫画史上五指に入るレベルの「理解不能なキャラ」だった。グロ描写もなかなか激しいものがある。いかに自分が平凡で平穏で平たんな生活を送ってきたのか、痛感させられる。紙で絶版となっていた同作は、電子化によって再び読むことができるようになった作品だ。

マンガZERO」というアプリでは、ユーザーコメント欄の中で「見てられない……」「怖すぎる」などのショッキングな反応が多い一方で、「この気持ちちょっと分かる」といった共感の声も少なくなかった。

そこに僕は希望を見た。

連載当時から20年以上の時を経て電子書籍として復活し、リアルタイムで読むことができなかった人たちの手に届いた本作。末永く語り継がれることを願っている。

WRITTEN by タクヤコロク(ナンバーナイン編集長)

※「マンガ新聞」に掲載されていたレビューを転載
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