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『ブラック・ジャック創作秘話 ~手塚治虫の仕事場から~』あの天才漫画家、手塚治虫にも売れない不遇の時期があった!?天才は凡人が考えつかない程の努力でそれを最終的には乗り越えてしまうのだ!!!

※本記事は、「マンガ新聞」にて過去に掲載されたレビューを転載したものです。(編集部)

【レビュアー/堀江貴文

手塚治虫について解説はほとんど必要ないだろう。

誰しもが認める現代日本のストーリー漫画の礎を築いた人物だ。彼については彼の弟子や後輩漫画家達が様々な作品で言及しているので、トキワ荘時代の超人的な努力だったり、もともと大阪大学の医学部を卒業して医学博士であったりとか、とにかく面白いエピソードに事欠くことがない人物であるのは間違いない。

しかし、この創作秘話は違う。『ブラック・ジャック』と銘打っている通り、異色医学漫画である『ブラック・ジャック』創作時のエピソードを中心にその周りにいた人物に丁寧にインタビューをして構成されている。

『ブラック・ジャック』は秋田書店の基幹漫画雑誌であった『少年チャンピオン』に連載されていたのだが、そのスタート時手塚治虫は人生最大の苦境にあったことはあまり知られていない。

もともと手塚治虫は鉄腕アトムやジャングル大帝などの少年少女向けの漫画で漫画界のスターダムにのし上がった。

膨大な数の連載を抱えて寝るまもなく漫画を量産し続けてきた。

そして彼の憧れの存在であるウォルト・ディズニーにならい日本初の本格的アニメーション製作を手がけることになる。その母体である虫プロダクションは当初こそヒット作に恵まれていたが、結局手塚のコダワリとクオリティ重視の姿勢、またその制作費の多くは彼の漫画の売上収入から賄われていたこともあり、過酷な現場は疲弊し遂には倒産してしまう。

実はそんな状況で『ブラック・ジャック』の連載はスタートするのである。

手塚に作品を依頼した少年チャンピオン編集長の壁村耐三は手塚に引導を渡すために最後の作品は自分が責任をもってやろうと考えて依頼したというエピソードすら出てくる。

そんな作品が大ヒットして手塚は少年少女向けの漫画家から本格的な大人も楽しめる本格的なストーリー作品を描ける漫画家として復活することになる。

いや、復活というにはおこがましい。大活躍をするのである。ライフワークになった『火の鳥』や『ブッダ』『アドルフに告ぐ』や『陽だまりの樹』などの名作は『ブラック・ジャック』のヒットなしには生まれなかったことだろう。

そんなターニングポイントをよく知ることが出来る、文句なしに手塚評伝本のナンバーワンと言える作品だ。

若くして彼のような才能を失ったことが残念でならない。医学の進歩は天才の命を救うには遅かった。