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40歳を過ぎた「老人」を消し去るシステムが生みだす経済成長とそれぞれの正義『テンプリズム』

老人と若者、豊かさと環境「文明の衝突」が始まる

人間が「神話」を求めるのは社会に不満があるとき。為政者が「英雄」を求めるのは、説明の難しいルールを人びとに根付かせようとしているとき。「文明」が衝突すれば、そこにはふたつの正義があらわれ、それぞれの正義が歴史を生みだす。

『テンプリズム』が面白い。何が面白いって、曽田正人が「文明の衝突」を描いている。正義と正義の衝突を描いている。曽田正人は「ライタイト」が代表する文明(骨の国)に、若者を重視し、社会は進歩し続け、自然をコントロールすることを可能だと考える人びとを象徴させ、「オロメテール」が代表する文明(カラン王国)に、若者と老人の共生、自然と社会の進歩との調和を重要だと考える人びとを象徴させている。

アメリカのような人工国家では、「若い」ことが価値である。移民一世のおじいさん達より、アメリカ生まれの若者のほうが、より「自由・平等・博愛」の価値が身についていると考える。奴隷解放宣言のときに生まれたおじいさんよりも、公民権法が制定された1960年代の若者のほうがアメリカ的だとみなされる。

ディズニー映画における「親」の存在感の希薄さ、役どころの逆進性は、『白雪姫』や『シンデレラ』で子供の人生に負の影響しか与えない親たち、『アナと雪の女王』で、冒頭であっという間に死んでしまう両親を見るまでもなく、アメリカのような人工国家の社会的無意識のなかに定着していると言っていい。

また、共産主義国家、例えばポルポト政権下でのカンボジアでは、「より共産主義的な」子供たちに、親の世代を告発させ、たくさんの人たちが虐殺された。人工的に、イデオロギーで結合された国家では、構造的にこうした現象が起こりやすい。曽田の『テンプリズム』における、骨の国の描写が恐ろしいのはこういう点をリアルに描いているからだ。 

一方で、伝統的な価値を維持したまま、社会を進歩させるというのも大きなチャレンジである。たとえば、日本では、都市部で電気洗濯機が50%の普及率を上回るのが1962年、農村部では1965年である(経済企画庁「消費貯蓄の動向」1966年)。理由は、姑たちが「水を無駄にする」などの理由をつけて、嫁世代の家事負担を軽減することに反対したからだと言われている。
実際の社会で起こっている、「伝統」と「進歩」をバランスさせる難しさみたいなものが、このファンタジーの中で再現され、社会が葛藤しているのと同じように、著者の曽田正人も葛藤しているのではないか。そんな切実なファンタジーがこの『テンプリズム』なのだ。

そして「伝統」と「進歩」にどう折り合いをつけるかを全身に背負っているのが主人公のツナシである。スターウォーズの元ネタになった、『千の顔を持つ英雄』を書いたジョセフ・キャンベルが「ヒーロー」について書いている文章がある。

「ヒーロー」、すなわち伝説上の英雄が模範とされるのは、英雄が一定の習慣をもたらし、それが部族の中に定着して、部族の生活が楽になったり、すばらしいものになったりするからだ。ときとしてその「習慣」はその部族にとって「新しい」ものではなく、天災や戦争のために不幸にして忘れ去られた過去の「復活」であることも多い。(世界の神話文化図鑑−英雄の時代P210)

しかし、ツナシはジョセフ・キャンベルが言うような、神話の世界の「英雄」ではない。もっとリアルに葛藤し、自分自身が力に誘惑され、調和ではなく自身の目指す世界を「急進的に」実現しようとする誘惑に取り込まれそうになる。

このエピソードを読むと、44歳でフォードの社長に就任したロバート・マクナマラのことを思い出す。ベトナム戦争当時のアメリカの国防長官で、彼がハーバードを出たてのとき、東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイの部下として、統計手法を活用して爆撃の効果を最大化した男である。彼は彼自身の回顧録のなかで、ベトナム戦争を指揮した国防長官として、自身の心境をT.S.エリオットの詩を引用して表現している。

We shall not cease from exploration
And the end of all our exploring
Will be to arrive where we started
And know the place for the first time.

われわれは探求をやめぬ
あらゆる探求の終点は
出発の地に達し、その地を初めて知ることだ

戦争でキャリアをスタートしたマクナマラは、ベトナム戦争で失敗したことで、やっと戦争の本質を理解したと言っている。

ツナシが自分の「力」で骨の国を倒したとき、その「力」の避けがたい誘惑を本当に理解するときが来るのかもしれない。そう思うと、これほどまでに葛藤が尽きない物語を単に「ファンタジー」と呼んでしまっていいのだろうか。そう思わせるストーリーがようやく佳境に入ってきた。主人公といっしょに「文明の衝突」について考えていくことが楽しくてしょうがない。ファンタジー以外の漫画読みにもぜひオススメしたい作品だ。

WRITTEN by 角野 信彦

※「マンガ新聞」に掲載されていたレビューを転載
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