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旅をする木

スイスに来て1ヶ月が過ぎました。

目が覚めてベランダに出ると、朝日に照らされた真っ赤なアイガーの稜線が迎えてくれます。その壮大な景色はまるで日常になっているようで、しかし、実際はただただ圧倒されるばかりです。私はこの先きっとこの自然に馴染むことはないのだろうと思わされます。

観光シーズンの真っ只中で、せわしなく移動する観光客にもまれて(またその人たちと行動を共にする仕事をしているのもあって)私の心が毎日忙しく落ち着いていないせいかもしれません。心が追いついていないのです。

以前、こんな話を読んだことを思い出しました。たしかアンデス山脈へ考古学の発掘調査に出かけた探検隊の話です。大きなキャラバンを組んで南アメリカの山岳地帯を旅していると、ある日、荷物を担いでいたシェルパの人びとがストライキを起こします。どうしてもその場所から動こうとしないのです。困り果てた調査隊は、給料を上げるから早く出発してくれとシェルパに頼みました。日当を上げろという要求だと思ったのです。が、それでも彼らは耳を貸さず、まったく動こうとしません。現地の言葉を話せる隊員が、一体どうしたのかとシェルパの代表にたずねると、彼はこう言ったというのです。
”私たちはここまで速く歩き過ぎてしまい、心を置き去りにして来てしまった。心がこの場所に追いつくまで、私たちはしばらくここで待っているのです”
「旅をする木 ”ガラパゴスから”  /  星野道夫」

日本食が恋しいし、会いたい人たちもいるし、はやく日本に帰国したいとも思う反面、あの忙しい東京に戻るのか…という寂しさもあります。私の血液が流れるスピードで、太陽が東から西に傾くあいだに草木が風になびくリズムと同じように、きっとぴったり落ち着く生活があるはずだと信じているのです。でも豊かな場所にぽいっと放り投げられても、心を置き去りにしたままではきっと私を満たすことはできないのでしょう。

ただ、不思議な縁ではじまったこの旅を通して、何らかの変化の気配を確かに感じることができるだろうという自信があるし、その先もずっと心の動かされる方へ旅を続けるのだろうと思います。明日からの生活も楽しみです。

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