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FOOLAB CO., LTDを退職し、本帰国します。

2019年7月から2年と8ヶ月在籍し、初めてマネジメントを経験したカンボジア🇰🇭にある日系飲食企業FOOLAB CO.,LTDを退職し、3/1に本帰国いたします。自分がカンボジアに来る理由となったジャパンハートでの1年から数えると23歳~26歳の間の3年9ヶ月いたことになります。

プノンペンの日本食レストラン数は150店舗以上あると言われている中で、たくさんの国籍のお客さんに愛される複数の店舗のマネジメントを20代前半で経験せてもらったことは本当に幸運でした。あの時あの段階のこの会社に出会い、入社することができたからこそでした。ご縁に感謝です。

この機会に、今までやってきたこと、これから考えていることをnoteにしたのでよければお付き合いください。

入社のきっかけ

FOOLABに入る以前は、割烹で2年半弱板前として修行をし、その後2年ほどの休憩を経てジャパンハートで栄養管理部の立ち上げ期の責任者としてカンボジアに渡航し1年間活動していました。

ジャパンハートでは1年の任期で事業を立ち上げて(お金と施設と人をどうにかして)給食施設が運営開始した後は後任に引き継ぐ予定でした。当時プノンペンに知り合いが全然いなかったのでアラサー会と言う名目で開催されたBBQに出席して肉を焼いていたら、横で一緒に焼いていた今のオーナーでした。「飲食やってたの?うちで店長やってよ!」と誘ってもらったのがきっかけで、半年後からバイトとしてSaKaNa LaB(海鮮居酒屋業態)で働き始め、そこで行った小さな改善や新商品がうまく行き自信になり「板前の経験と事業立ち上げの経験が活きるかも」と思い入社の意思を固めました。

やってきたこと

2019  海鮮居酒屋の店長として就職~新店舗立ち上げ

ジャパンハートでの任期を経て、英語の勉強方法を知るためにフィリピンに2週間留学に行きその後7月ごろ入社した。入社初日、メンバーは全員年上のカンボジア人で、英語スピーカーが1人しかいなかったキッチンチームの年上のスタッフたちにまずはオペレーションを教わる。
就職した時には3ヶ月後に焼き鳥業態の新店舗開店を予定していたが、まずは既存店のオペレーションを覚えるところから。

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入社直ぐとはいえ”カンボジアにある日経飲食店の日本人店長”なので、お客さんから見たら店の代表になる。どんな場面でも堂々とできるように、店のことやお客さんのこと、全てを把握できるようになろうとしていた。
小さい頃から父の洋菓子店でクリスマスに手伝いをしていたことから、父の会社のマニュアルやオペレーションの緻密さが頭にあり、それと比較し業務の改善や足りないパーツの穴埋めをしていった。たまたまいくつかがうまく行き、就職後3ヶ月で歴代最高売り上げを更新し続けられたのは自信になった。
既存店の立て直しをしながら、数ヶ月後に迫った焼き鳥業態立ち上げのために"カンボジアで一番美味しい焼き鳥"を目指しずっと焼き鳥と向き合う日々。
鳥の卸売業者のところに行って鳥の捌き方やそれぞれの部位の処理方法、保存や輸送方法を教える所から初め、同時に鳥の切り方、串の打ち方、サイズ、”焼き”の最適な加熱温度と中心温度を探求。
手探りで色々とやっているうちにタンパク質摂取量も増え、胸板も成長していたのは完全に一石二鳥だった。うちのそれぞれの焼き鳥にはロジックが詰まっていて本当に美味しくて、作っている自分が一番好きだと思う。中でもうちのつくねはやばい。

初めての店舗立ち上げの経験は”完璧”とは決して言えないけどあの時の自分のベストだった。

↑新店舗開店〜その後までに頑張ってた時のnoteめちゃ大変だったけど、スタッフのみんなと現場で実際に料理しながら奮闘してた。

多国籍のお客さんに子供っぽく見られないために自宅にベンチプレスを買い、初めて本格的にヒゲ🧔‍♂️を生やし出したのはこの頃から。胸囲と共に、お客さんからの信頼も積み上げれてきていたことを実感し始めた。たまに酔って暴れてしまうお客さん対応にもヒゲと胸板さえあれば自分にも自信がついて大体どうにかなった。ありがとう胸板とヒゲ。

2020 居酒屋業態統括GMからCOOに

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↑就職後半年で多くのことを経験しヒゲ🧔‍♂️も胸板も心も成長した。

当時弊社は4店舗(居酒屋2店舗、寿司屋2店舗)運営しており、1店舗に1人日本人マネージャーがいる体制だった。自分は居酒屋業態の統括だったが、寿司業態を横目に色々と改善案が思いついていた。
勇気を出してオーナーに提案したら受け入れてくださり、全店舗のGeneral Managerに。
居酒屋業態で運用しているマニュアルを横展させて全店舗の料理とサービスの底上げに注力し、グループ全体のPL改善を始めた。
その頃、"顧客への認知向上"のことに注力し、PR業務も着手し写真撮影や編集、SNS広告の運用など伸びそうなことは手当たり次第、本を読んだり詳しそうな人にDMして即実践してみていた。
とはいえ、梨泰院クラスのチャン・デヒ会長も言っているように、飲食企業はレストランの営業が一番大切なので"店舗のクオリティー向上"ももちろん両立しなければならない。

気づいたら会社内の日本人メンバーがオーナーを除き1人になり、カンボジア人スタッフたちだけで店を運営できるように制度やオペレーションを構築する経験を積んだ。当時は頼れる人もおらず、ひたすら1人で頑張るをしていた。
「最近は鶴瓶みたいな笑顔をしているが、当時は人を殺す目をしてた。」と帰国直前の送別会で友達に言われた。未熟で恥ずかしい。

コロナ云々の影響もあり低迷期に。できることはなんでもやろうとしていたが、全店舗のデリバリーのオペ構築対応、諸々の交渉や対応だけでだいぶ手を取られ、業績は下がっていくばかり。
自分の無力感と”1人では何にもできない”事を心の底から知る。キツいことを伝えなければいけない全スタッフとの1 on 1で逆にスタッフに励まされて涙したこともあった…。

下半期から状況が回復した。どんな状況でも”なんでもどうにかする”事をしていたらCOOというポジションをいただいた。
この頃社員数100人が見えてきたので、本腰を入れて人事、PR、経営企画の立ち上げも行い、作った業務をスタッフに渡して、自分はより新しく必要なことに注力するための権限委譲の方法を学んだ。
カンボジア人のマネジメントを通して、オペレーション運用に綺麗事は通用せず、ひたすら泥臭く回し切ることが重要だと骨の髄から学んだ。

この年の個人的に一番大きな分岐点になったのがアシスタント(現Corporate Operation Manager)の採用。それまで現場オペ以外は個人のマンパワーでどうにかしていてゲッソリだったけど、いい意味で諦めて人に任せる方にシフトできたのが大きかった。その時に採用できたのが、英語ほぼネイティブでラーニングスキル超高い当時20歳の女性。カンボジアの未来は明るいと思わせてくれるくらい彼女はすごい。1人目のバックオフィスの採用が彼女で本当に良かった。

2021年 5店舗目の新店舗開店、社員が100人を超える

📈📉📈な感じの1年。コロナ真っ只中での新店舗の開店、100人を超え拡大した組織の整備、会社として今後大きくなるための制度を整えた1年だった。上半期は現場とバックオフィス両方ガッツリみていた為忙殺しておりほとんど記憶がない…。日々邁進していたらインタビューや講演依頼をもらえるようになり、やっと自分の過去の経験だけではなく、今を見て評価してくれる方が増えて本当に嬉しかった。

↑YaKiToRi LaB開店に合わせてJetroさんにインタビューいただいた記事


日常で起きる業務を”2回目以降は誰かにやってもらおう”となんとか型化して(実際は5回以上自分でやってしまう)、途中からは会社の必要なパーツを整えることができて、下半期にはやっと1日8時間に業務量を収めることができていった。
タフな環境の中で胃カメラを飲むことが数回あったが、自分の大好きな飲食業をカンボジア人たちと運営することは本当にエキサイティングだった。
どんどんと市場の状況が良くなり、それにつれて上がっていく売り上げを見て自信になった。12月にはグループとして前年比売り上げ171%を売り上げて過去最高を大幅に更新することができ、1人で祝杯をあげた。

退職の意は8月ごろにオーナーに伝え、それ以降半年間は少しづつ引き継ぎを進めていった。

2022年

引き継ぎを経て組織体制を大幅に変えることになったが、結果、クメール人店長たち、フィリピン人スーパーバイザー達が成長し組織の力をグッと強めることができたと思う。特に自分の退職が決定してからオーナーと今まで以上に組織やオペレーション改善に取り組み、緩かった土台を固め、次の成長のために備え、会社全体が強くなって行く所を経験することができた。

ハイライトとしては、近所の幼稚園の調理師さんが陽性になり、子供たちへのお昼ご飯提供の依頼をいただいた事。この状況下で私たちに外部からこのような依頼が来ることが誇らしかった。

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感じたこと

変化が著しく中央年齢25,6歳のカンボジアの市場で、前半1年は店舗や業態のマネージャーとして、後半1年半は役員として、良いときも悪いときも真ん中で幅広い業務に携わらせていただきました。2年半の間で売り上げは2倍以上、スタッフの数は3倍以上になり、FOOLABは”個人店”ではなく”日系飲食グループ企業”としてカンボジアの地で愛されるようになりました。
毎日私たちのことを選んでくださり食事をしてくださるお客さんの期待に応えられるように、日々の泥臭いことや苦難にも向き合い切り、日々の小さな積み重ねでしか成果は出ないのだと身をもって感じました。めちゃ大変でしたがお客さんの声やスタッフの成長がやりがいでした。

いつも厳しく接してくださったオーナーのユウゴさんからは毎日のミーティングを通して”商売とは”という本質の部分を常に教わった気がします。味をローカライズしないと決めている弊社の料理ですが、私たちの店舗を通して”日本食”と言うものをカンボジアに住むたくさんの国籍の人たちに広められたのは心の底から意義を感じました。ジャパンハート時代の”支援”とはまた違う”商売”を通してカンボジア人のスタッフたちが成長していく過程をたくさん見られたのはとても幸せでした。


なぜやめるのか

いろんな気持ちがありますが、自分の将来と今の年齢を考え、このタイミングで本帰国する決意をしました。
今思えばカンボジアがコロナ禍になり香港やドバイの飲食企業の方からお誘いを受けたことが転職を考え始めたきっかけです。

以前はぼんやり「自分は一生海外でレストランマネージャーとして働くんだ。」と意気込んでいましたが、30代になったら、より一層大きくなるために、27歳を目前にもう一つ新しい領域に挑戦したいと考え出し一度立ち止まってしっかり考えたら帰国することを決意しました。

サバイバルでエキサイティングなカンボジアでの仕事も自分は割と適性があるとは思いますが、3年半以上在住し、さまざまなことを感じる中でやっぱり自分は今の段階では日本で生きていたいんだと気づくことができました(カンボジア🇰🇭は大好きです)。

今後

転職を考え出した頃、朝の散歩中に色々と考えてざっくりこんな方向性を見出しました。

-小売か飲食をDXしている会社(経験から仕事内容が想像しやすい&父の会社にもフィードバックできそう&ソフトウェアの知見を会得したい)
-現場のオペレーションどうにかする系(過去の経験活きる)
-リモートもok
-ずっとぼんやり憧れてたスタートアップ界隈

いろんな方法で会社を探していたら、心の底から入社したいと思える会社に巡り会うことができて、内定いただくことができました!!
5月から株式会社10Xという小売チェーンのEC立ち上げを支援するスタートアップに入社する予定です。
(今の所入社予定が5月からなので少しフライング気味ですが)

全く新しい領域へのチャレンジですが、本当に憧れの会社だったので内定をいただいた時は画面を見ながら喜びで声が出ました。今からもうすでに入社後が楽しみです。4月中に東京に移住し、半年は東京にいるつもりです!

これから住む場所や関わる人、温度全て変わるので(カンボジア時代のクローゼットの中には長袖を持ってなかった。)心も身体も健康に頑張れるように気をつけながら新生活に挑みたいと思います。まずは日本の海鮮🐟🍣いっぱい食べます。


おわりに

ジャパンハート時代からFOOLAB時代までカンボジア生活を駆け抜けられたのは私に関わってくださった全ての方々のおかげです。本当に自分はご縁に恵まれているなぁと実感しました、本当に本当にありがとうございました。
日本に帰国しましたがこれからもどこかで何かの機会でご一緒させてもらえますとありがたいです。

そして日本の皆さん、(特にカンボジア期間で疎遠になってしまっていた方たち)また仲良くしていただけると嬉しいです😊。

これからもよろしくお願いします!!!

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↑一番お世話になったオーナーのユウゴさん
(本当にありがとうございました!!!!!)

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最後に宣伝させてください。もしカンボジアに旅行に行く際ちょっとでも日本の居酒屋が恋しくなったらFOOLABの店舗が断然おすすめです!!

そして、2023年以降まだまだ拡大していくと思うので、飲食業界の方、海外で経験を積まれたい方にはエキサイティングな場所かと思います。もし気になった方は僕にご連絡ください!!!!






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