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奇跡の限界集落に見た、人が限界を超える瞬間

皆さんは、佐渡の虫崎という集落をご存じだろうか。佐渡島の内海府にある17人の小さな集落、いわゆる「限界集落」だ。
しかし、お盆になると、県内外から160人以上もの人が盆踊りを目当てに集まる「無限界集落」に生まれ変わる。

先日、その盆踊りに2年連続で参加してきたのだが、そこで思ったことを忘れないように書いておこうと思う。

私は、昨年のプロジェクトスタート時から関わらせてもらったのだが、きっかけは、虫崎の公民館長である兵庫 勝さんの出会いからだった

「集落はなくなるかもしれないが、虫崎という名前を将来に、1人でも多くの方の記憶に残したい」、そんな想いから、虫崎100人盆踊りプロジェクトは始まった。
このあたりの経緯は、TABI LABOの、限界集落に100人集めた盆踊り。大成功のヒミツとは?
に詳しく掲載されているのでぜひご一読いただきたい。

佐渡に限らず、新潟県内にも、日本国内にも限界集落はたくさん存在するが、新しい動きが生まれている地区とそうでない地区がある。その違いはどこから来るのか。ちょっと考えてみたい。

ひとまず、私と虫崎との関わりを整理するため、虫崎に行くことになった経緯を振り返ってみたいと思う。

私が初めて虫崎に行ったのは2017年1月。バイクで行ったらめちゃめちゃ寒かったのを思い出す。特に泊まるあてもなかったのだが、ひょんなことから兵庫さんに出会い、そのまま虫崎の家に泊めてもらうことに。

兵庫さんのお母さんが案内してくれるとのことで、とりあえず行ってみたのだが、すごいくつろぎ感(まあ僕が勝手にくつろいでいただけという意見もあるが)。

夜は、兵庫さんのご両親とお姉さん、その娘さんたちといっしょに夕食を食べ、なぜか中学生といっしょに人生初の人狼ゲーム。驚くべきことに、ここまで兵庫さんご本人は不在。
会った人は全員初対面。

翌日はお父さん(漁業組合の組合長)と定置網の漁船に乗せてもらい、寒ブリ漁を体験。

終わったら獲れたてのイナダを捌いてもらい、新鮮な刺身をご馳走になった。

14年も東京暮らしをしていたので、日本にこういう場所があるということに改めて驚いたのをよく覚えている。

その後、兵庫さんが所属する地域活性化団体、paletteから、虫崎の盆踊りに100人集める企画を立ち上げたい、そのためにクラウドファンディングに挑戦したいとの相談があり、CAMPFIREの方を紹介、そこから虫崎100人盆踊りのクラウドファンディングプロジェクトが動き出した。

私も本番までには何度か虫崎にもお邪魔し、盆踊りの会場となる廃校の荒れっぷりも見ていただけに、ここに100人が集まるのかという絵は、正直想像できなかった。

でも、きっと兵庫さんの頭の中には色々な想いがあったに違いない。
在りし日の虫崎盆踊りの賑わいや、今自分たちが動かなかったら虫崎は数年後になくなってしまうこと、そのために今何をすべきなのか、虫崎だからこそできることは何なのか。

その想いが、兵庫さんも所属する、佐渡島内各地から集まった地域活性化団体、paletteのメンバーらに伝播し、虫崎が佐渡の限界集落の希望の光になるよう、「100人を盆踊りに集める」という一つの目標に帰結し、具体的な仕掛けとして動き出した。

そして、新潟市で実施されたイベント、「さど友つくらナイト」や、クラウドファンディングの呼びかけなどを通じ、県内外からその想いに共感する方が集まり、ボランティアスタッフとして、参加者として虫崎に訪れた、という結果につながった。

私としても一宿一飯の恩義を返すために、クラウドファンディングの支援者を探したり、メディアに売り込んだりという後方支援はできたが、物理的な距離はいかんともしがたく、結局改修は手伝えなかったのが今でも心残りではある。

結果としては、クラウドファンディングの支援額は目標50万円を上回る56万円、去年は163人、今年は165人と、信じられない程のお客さんが虫崎を訪れ、各種メディアにも取り上げられ、話題を呼んだ。

冒頭で述べたとおり、限界集落は日本中にある。虫崎は他と何が違っていたのか、それは、中の人である兵庫さん自らが、どこまでが限界かを決めていなかった、ということだと思う。

本当に盆踊りに100人以上来たらどうするのか、どこに泊まってもらうのか、何を食べさせればよいのか(虫崎には近くに宿や飲食店がない)、CFの資金は集まるのか、廃校は改修できるのか、とにかく、考えれば考える程、自分で「このあたりが限界だろう」と決めて、落としどころを作りたくなってしまう。

しかし、できないことを考えていても、どうやっても虫崎はもういずれはなくなってしまう集落だという事実を、兵庫さんたちはしっかりと受け止めていた。
そして、自分たちが動き出さなければ、待っていても何も起こらないことも分かった上で、できることからアクションを起こしていった、ということだと思う。

幸いにして、その本気の想いは、海を越えて届く時代になった。SNSなどのWEBサービスを通じて、自分の想いと今取り組んでいること、何を目指し、どんな人に関わってほしいか、それを、日本全国に、海外にも届けられるツールがあるからこそ、今回の奇跡は起こったのだと思う。

私のように物理的に手伝うのが無理なら、クラウドファンディングで支援し、それをシェアし周りの人に伝える。
あるいは、今回のように飲食物の差し入れをする、ライトなところで言えば、SNSなどでシェアをする、いいね!をする、これだけでも応援してくれる気持ちは本人たちに届くし、励みになっているはず。

クラウドファンディングのページの「このプロジェクトで達成したいこと」には、

**「この虫崎100人盆踊りは、盆踊りに100人呼ぶということよりも虫崎という集落と100人の人がこれからも関わりを持ち続けられたらいいなという気持ちで企画しました。」 **

とあるが、まさに第1回目はこのきっかけとなるイベントだったし、それが成功したから、2年目の今年はそれほど広報に手間をかけず、クラウドファンディングもやらずとも、去年を上回る方が参加してくれたのだと思う。

それもこれも、最初、全く初対面の怪しい見た目の私が家に上がり込んで勝手にくつろいでいても、それを受け入れてくれる兵庫家の皆さんの懐の深さであり、来場者には絶対にケガをさせないように安全管理に気を配り、飽きないように多彩なレシピでボランティアをもてなす、本当の意味でのもてなしの心が虫崎にあるからだなと思う。

↑史上最強のもてなし力(兵庫さんのお母さん)


そして、その価値を外の目線で再解釈、編集し、デジタルツールとリアルイベントを通じてこまめに情報発信をしてきたpaletteの存在なくしては、やはりこの奇跡は成り立たなかったと
思う。

最後に、私は虫崎を後にするとき、なるべく丁重な挨拶をしないように心がけている。
それは、また遊びに来るよ、これからもね、という気持ちでお別れをしたいからだ。

日本の人口減少はもはや既定路線であり、どうがんばっても人口をプラスに転じるのは無理だろう。大量の移民受け入れくらいしか手はない。

これはもう、行政に任せておいてもどうにもならない問題なのは間違いない。
その時代における行政に求められる役割については、また別の機会に書いてみたいと思う。

しかし、個人として、自分と関わりのある人と、物理的な距離を超えてコミュニケーションすることはできる。
そして、受けた恩や思い出も、記憶は薄れたとしてもデジタルツールを使えば残しておける。その人が新しいことを始めようとして情報を出したら、ちゃんとキャッチアップできる。

想いを持って、一歩を踏み出そうとしている個人がいたら、私も個人としてできる限りのサポートはしたいと思うし、自分もどこかで一歩を踏み出す時が来る時のために、口は出すけど金は出さない人間だけにはならないように気をつけて、楽しんで生きていきたいと思う。

虫崎の皆さん、次は別の機会に、もう少しゆっくりしに行くので、また会いましょう!

#新潟県 #地域活性化 #人口減社会 #行政 #イノベーション

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