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66. 人の皮を被るなにか

 人間の皮を被るなにかの話をしよう。
 僕は七人兄弟の下から二番目なのだが、一番上の兄とは十五ほど歳が違う。共に遊んだ記憶もなく、物心ついたときにはすでに家にいなかったから、親戚のおじさんみたいに思っていた。敬遠しているわけではないのだが、とにかく同席する機会が少なくて、親密になれなかったのだ。
 この人がスコットランドで羊を飼い、その乳でチーズを作っている。
 動物医療を学んでいる僕は、牧羊のある伝染病についての研究に興味を持って、この兄に連絡した。前年に病気にかかった個体を見せてもらえることになって、トントン拍子に牧場を訪れる約束を取り付けた。その時の僕は、実際に罹患後症状を持つ羊を診察できるということにのみ希望を抱いていて、兄には多くの期待をしていなかった。
 ところが隣国を訪れてみて、羊の実物と触れ合うこともさることながら、兄の暮らしぶりを目の辺りにしたことこそ、有意義だったのは嬉しい誤算だった。あれは僕ら兄弟にとって、関係が変わった分岐点であった。
 クリスマスなどで見かける兄は無口に、隅の席でウイスキーを舐めているばかりだった。職場の兄もあまりおしゃべりではないが、ここぞと言う時には大声を張り上げる。牧羊犬と仲が良い。村では若者の部類に入るので良くも悪くも頼られ忙しく、けれど四の五の愚痴を言わない姿も好ましかった。
 牧場は、友人と共同経営しているらしい。
 なんでも学生時代の同級生が相続した土地なのだが、あまり身体が強くないので、兄が力仕事を一挙に請け負っているということだった。代わりに煩わしい書類は全て任せているといって、兄は笑った。
 兄と同じ家で生活しているので、友人とも自然に親しくなった。愚直という言葉を人にしたような人で、押し付けない親切がとても良かった。都会っ子の僕と比べてもひょろりとして頼りない風貌なのに、意外なほどの酒豪で、毎晩晩酌を浴びるように呑むので驚いた。
 数日間滞在させてもらい、十分に羊が観察できて明日の午後には帰ろうという夜、餞別に兄の友人はとっておきの蜂蜜酒を出してくれた。
 地元の七年物、と紹介されたが明らかに瓶がピクルスの空き容器だったので、ひょっとしたら密造酒かと思ったけれど、黙ってごちそうになった。とっておきには変わらないのだから、つまらないことを言っては野暮だ。
 まだ秋も始まったばかりの頃だったが高地の夜は冷え、僕は暖炉の前を陣取って寝ている犬を傍らに、ちびちびと甘い酒を呑んだ。
 実は甘党であるという事実にその数日間で気がついた、兄はあまり杯は進んでいなかったが、いつもよりも飲量が多かった。少しだけ饒舌で、どうやら弟の帰宅を惜しんでくれているらしいとわかり、名残惜しさをぐっと飲み込む。
 僕は滞在の礼を何度も言い、その都度二人は穏やかに微笑んで、夜が更けるまで他愛のない会話を続けた。
 おもむろに犬が立ち上がり、入り口のドアを掻いた。
 兄が出してやろうとするのを、友人が止める。何やら話にくそうに僕を盗み見ながら、声も低く耳打ちする単語を拾ってみると「実は」「例の」何かが「山から戻ってきていて」近所で「目撃された」という。名前ははっきり拾えなかったが、元々言わなかったように感じた。例の、と言った瞬間の二人の目配せには、暗黙に了解の文字が浮かんで見えるほどだった。
 友人は接待には細やかな人だから、恐らく何か危ないものが出没していて、もうじき帰ってしまう僕を怖がらせないために隠していたのだと、すぐに察しがついた。だが兄は気遣いに気が付かないのか、単に気にしないのか、
「まあ、構わないさ」
 とさっさとドアを開けて犬を外に出してしまった。
 いつもならそれで犬が用を足して帰ってくるまで放って置くのだが、今日はついていくと言う。
「行くか」
 と聞かれれば何か珍しいものでも見えるのかと是非もなく、外套を羽織って返事の代わりにすると、友人も心配顔で「じゃあ、おれも」とついてくる。
 二人が石づきの杖に、散弾銃を手に取ったときはぎょっとした。やっぱりやめる、と言わなかったのは、酔っぱらって気が大きくなっていたこともあるし、数日間ですっかり二人を信頼していたこともある。強く止めないのなら、あとは彼らに万事任せようと思った。
 雲ひとつない湿った月夜だった。
 牧場は家と小屋、放牧地に分けられる。
 家の周りに大きな庭があり、これは家庭菜園でもあるのだが、そこの雑草を自由につまむ鶏たちの舎が隅にしつらえてある。
 うさぎよけに低く積まれた石を境界に、家庭と職場が分けられる。乳を絞ってチーズに加工する小屋は少し外れている。小規模工場とはいえ場所をくうのと、衛生のためだ。
 小道を挟んだ家のすぐ隣には、夜間に動物を収める小屋が、いくつも並んでいた。ここの牧場は羊が主なのに、キツネや野犬を警戒して、小屋の敷地周りは厳重に囲いがしてある。
 普通はもう少し生活圏から離すものだが、問題があればすぐ対応できる距離においているのは、二人が羊たちをただの家畜以上に大切にしている証拠だった。
 その愛情を受けて動物たちは、信頼も深く安らかに眠っているようだった。
 兄と友人が落ちている枝を拾ったり、敷地内に異常がないか様子を気にしたりするのを感じながら、きんと冷たい空気に耳を済ませる。月は半分も肥えていなかったが、外灯がなくても周りは十分見える程度に明るく、視力にも聴覚にも、怪しい気配は見つからなかった。
 小道の向こう、丘を超えて山の手前までがここの牧草地だ。牧場としては小規模である。
 どこまでも続く緑の絨毯の、ところどころに古い崩れた石垣がある。比較的近いところに低木がちらほらと立ち上がり、右手に大きな柳が生えていた。
 この後ろには見えないけれど、小川が流れている。
 水が近いから大きく枝を広げた雑木林があって、それを越えると隣家だった。草原の中には数本並んだ木が、衝立のように土地を分断して点在する。今は暗くて、眺めても良く見えなかった。
 いつもなら犬は、門を出てすぐの垣根辺りで用を済ませ、痩身の犬だけが通れる隙間から入り込んだだだっぴろい草原を、何度か駆け回って排便の高揚感を発散させる。
 ところが今日は土をかけることさえせず、そそくさと戻ってきた。
 何かあるのかと近づいて確認した門は閉まっていたが、隙間は通常通り十分にあり、外出を妨げるものはないように思えた。犬は僕の太ももに顔を突っ込んで、何がしたいのか、動こうとしない。
 ふと、丘の上に動く影を見つけた。
 木陰から木陰へ、月光の当たる牧草地を通り過ぎる姿は、稚拙なストップモーション映画ようだった。
 男のように見えた。
 腹が突き出ていて小太り、しかし腕は骨から肉の一切が削ぎ落とされてもかくや、という細さである。と、いうことがわかるということはつまり、この寒さに防寒具を着ていないことを意味する。
 それが、ばたばたと腕と足を振り乱して移動していた。
 僕はちょっとゾッとして、後ずさった。背後に隠れていた犬とぶつかって視線を交わすと、犬は返事の代わりに鼻の頭に皺を寄せる。しかし威嚇というより、困惑した表情に僕には見えた。
「あれは誰の羊かな」
 いつの間にか横に立っていた兄が、手をかざした。遠目にそれが追いかける、前方の動物を見極めようと、目を細める。兄には奇妙な人物を前にしても慌てた様子がなかったので、僕は肩の力を自覚して無理に抜き、もう一度丘へ視線を投げた。兄の友人は小道の途中で立ち止まって「アンダーソンさんとこの仔だろう」とため息をついた。
 それから友人はちょっと躊躇った後、あれが老人の皮を被っているものだと教えてくれた。
 この辺は昔から牧羊が盛んだったから、家と家の間が遠い。日常的に近所付き合いがないところもあって、孤独死して発見の遅れることが、たまにあったのだそうだ。
 そういう遺体の中には、時に皮を剥ぎ取られていたものもあった。あるいは立ち上がれもしなかったはずなのに、影形なく消えてしまった者もいたらしい。
 そういう時は誰ともなく、あのけだものにやられてしまったのだろう、と噂した。
 あれは普段、山に住んでいるのだそうだ。
 友人の叔父の話では、山を降りてくるときにだけ動物の皮を剥いで被り、それに擬態する習性を持っているらしい。
 たまに山に入ることもあったその叔父は、年配の猟師から再三、これに気をつけるように忠告されていたのだが、彼は結局遠目に見るばかりで接触がなかった。けれど、進言した猟師自身が崖から落ちて、体表を盗まれているのが発見されたということだ。
 小柄な老人を無理やり伸ばして着ているため、皺が伸びて本人よりも若干若く見える。中身の関節の位置やそもそものプロポーションが異なるので、外面を盗んだところで普通はあまり人間には見えない。けれど猟師の形はこの個体に合ったらしく、通常のそれよりもずっとスムーズに動けるので、それからずっと、同じ皮をあの生き物は被っているらしい。
「あんまり気分が良いものではないだろう」
 と友人が気を使ってくれたが、兄としては別の意見があるらしく、どうも僕に慣れさせておきたいような風だった。
 後から知ったことだけれど、この地区のやつらは人型を好むものが多いけれど、一般的には羊の形を借りて、群れに紛れ込む。他の家畜に卵を産み付けどんどん増える。だから兄は畜産に携わるなら遅かれ早かれ対応を知っていなければならないからと、この時見せておこうと思ったのだろう。
「街の中にもいる」
 兄は落ち着かない犬の背中を荒く撫でてやりながら、片時も丘の向こうのあれから目を離さない。
「最近は、アジア人に擬態している」
 しかしそれについて詳しい説明はなく、僕たちは犬を追い立てるようにして、家に戻った。
 次の日の朝早く、三人で牧草地を確認しに行ったところ、前の晩に見たよりぐっと下った場所に、子羊が死んで横たわっていた。
 促されるままにしゃがみ込み、毛皮の薄くなったところに顔を近づけると、内側で蠢く何かがあった。
 内側から僕の顔を撫でようと手を伸ばし、皮の柔軟の限界がきてそれは叶わなかった。僕にはそう見えた。思わず飛びのくと、傍らでしゃがみ込んだ兄が目元だけで笑った。
 友人の話では、羊の元の飼い主のアンダーソンさんに連絡して引き取って貰うそうだ。そして大抵、焼却処分する。この村では、それがルールだということだった。
 僕はそれを見届けられないまま、電車に乗って自宅へ帰った。だから今でも、丘の中腹に子羊が横たわっているような気がする。

読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。