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36. ハミルさんの横道

 自宅から駅へ向かうのに、ある敷地を通り抜ける。
 そこは『ハミルさんの横道』と呼ばれている。私有地である。
 昔そういう名前の人が住んでいて、家を建て花壇を作ったのだが、勘違いしていて隣の家との間に二メートルほどの隙間を作ってしまった。細部まで設計された庭だったので変更するのも面倒になり、地を均してそこを抜け道にした。それからそのままになっているのだ。
 公道ではないけれど、検索エンジン地図にはちゃんと、『ハミルさんの横道』で印がついている。
 その後の家主たちも道を開放してくれていたので、近隣の利用者は多い。事情を知っている者は静かに小道を通り、時々掃除をして礼を返している。
 ハミルさんの横道は袋小路に通じていて、駅前通りへ向かうのとは反対方向、行き止まりにはレンガの壁に囲まれ、遠目にも荒れた屋敷がある。
 連続殺人犯が隠れ家にしていたとか、錬金術師が実験を繰り返した研究所だったとか、色々噂されている。
 実際には十年ほど前まで、男が一人で住んでいた。そいつは足が三本ある以外は、ごく普通の配管工だった。クリケット派であることは頂けないにしても、悪い男ではなかったと思う。
 男が引っ越していってから怪異が始まったので、稀代の極悪人のように囁かれているようだが、実を言うとそうとは言い切れない。罪の是非は分からないが、実のところ、異変は昔からあったらしいのだ。
 怪異と出会うには、ハミルさんの横道を通らなければならない。
 それに脅かされたことがある全員が、そこで何か踏んだ感触がしたが、床には何も落ちていなかった、と証言する。またある人は明らかに「何かを通り抜けた」感覚があったというので、あそこが一種の門になっているのだろうと推測される。
 では元凶はハミルさんか、というとそれも確実とは言えない。通行者の誰もが体験するわけではなく、また一度それを目撃したとしても、二度目があるかないかは、個人に依るのである。疑わしきは罰せず。たぶん、ただそういう素質のある場所なのだろう。
 反対側に団地が出来て、利用者が増えたことで必然的に、それを見る人が増えただけなのかもしれない。
 昔からの住民の中には、以前から近寄るなと言われていた人もいるそうなので、その人の記憶が正しいのなら、かれこれ八十年近く前からそれは起こっていたらしい。
 また、空き家になってすぐに、屋敷の塀を覆っていたラズベリーが撤去されたことも大きい。屋敷の前にごみ収集コンテナーが置かれることに決まって、道にはみ出していた植木を取り除いたため、庭の奥まで見通せるようになったのだ。家の前の塀だけは低くなっているので、棘がなくなってしまえば、子どもの侵入さえ容易なほどだった。
 門の前に空っぽの花壇が侘しく鎮座している他に、芝生しかない表庭である。
 管理をしていないのに、いつも青々と茂っているのは奇妙だが、住宅街全体の外観を考えると歓迎できる。屋敷は住むものがない建物の道理でうらぶれて、奥のレンガ塀に至っては、大きくひび割れて今にも崩れ落ちてしまいそうだ。
 ここに、生首が並ぶ。
 三つから、最多で五つくらいまで、列を作るらしい。敷地に入るとたちまち消えてしまうので、遠目に眺めるくらいしかできないが、どれもがっちりした猪首だから、中年の男であるだろうということだ。
 壁に集中せず、自然に通行していて、ふと気が付くと出現しているという。
 首は瞬きしたり、何か話したりする。ところが距離があるから、単語をはっきりと聞こえることはないらしい。たまに、笑い声が届くこともある。それを語った人はしかし、あまりに密やかなので、ひょっとしたら別の家で生身の誰かが笑っているだけかもしれないと言葉を濁してはいたが。
 ここまでの文が伝聞形であることからもうおわかりだと思うが、わたしは首の怪異に遭ったことがない。
 学校を卒業してからあまり通ることはなくなったけれど、中学校在学中は毎朝のように、それに出会う日を楽しみにしていた。けれど結局それを目前にすることのないまま、卒業して就職して別方向にあるバスを使うようになり、すっかりそのことを忘れていた。
 それが、木曜日の朝のことだった。
 七時少し前に、牛乳を買いに出た。朝早くに開いている店は限られるので、もちろん駅へ向かったわけなのだが、そしたら少女が一人、屋敷の前に佇んでいたのだ。
 北の島国、夏ならばすでに日も高くなり始める時刻ではあるが、秋が始まった途端に打って変わって暗く寂しい朝となる。近づくまではちょっと緊張したが、やはり少女は怪異ではなかった。テニスボールを持って屋敷の様子を伺っている。
 どうやら、お仲間であるらしい。
 おもむろにラケットを構えたので、それが確信に変わった。ボールを天高く投げ、打つ。なかなかの威力だが、所詮子どもの腕力か、壁の一歩手前でそれは落ちた。土の上には、黄色の玉が散らばっていた。
 話しかけてみると思った通り、生首にボールをぶつけようとしているところだった。
 わたしの在学していた学校で、まこと密やかに囁かれていたジンクスであった。生首のどれかにボールを当てると、球技が上達するというのだ。
 学校は別の地区にあるので、なぜそれが伝わっていたのかは不思議だったが、少女も全く別の学校、しかも私学に通っているというので驚いた。多国籍都市は教育機関が多く、基本的に何かよっぽどのつながりか共通点がない限り、学校同士の交流はないのに。
 サッカー部だったわたしは近所の強味で何度も横道を試したのに、ついぞ一度も生首の顔を拝んだことはなかった。今も、少女が見ているそれを目視できない。けれど待望の瞬間であることに間違いはなかったので、頼んでしばらく見学させてもらうことにした。
 見知らぬ大人が傍にいるというのはプレッシャーであるだろうに、この子はとても球の扱いが上手く、何回か投げるうちに、だいぶ壁に当たるようになった。
 聞けば、畑違いのわたしでも知っている大きな大会に、近く出場する予定であるという。プロというのは言い過ぎだが、それを目指している「卵」ではあるそうだ。
 次々と投げ出されるボールは、だんだん壁の上部に近づいていく。ちなみに取りに行けないことは予想していたので、球はクラブの廃棄物を貰ってきたらしい。まだ籠に、山盛りあった。
 ひょっとしたら、あのジンクスは遠方まで上手くコントロールできるようになるまで練習に励めという意味だったのだろうか。ぼんやりそんなことを考えていたら、テニスボールが壁の端に当たり、「えっ」と女の子が叫んだ。よもや首を落としたか、と興奮に沸いたが、残念ながらそうではなかった。
「あれ、おばさんみたいな声」
 中年男の首と聞いていたので、それは少し意外だった。これまで誰も、それに気が付かなかったらしい。随分と貫禄がある女性なのだろうか。
 知ってしまった以上はそのまま続けさせるわけにいかず、わたしは少女に声をかけて、もうやめるように促した。
 少女は怪訝な顔をして、なんでですか? と首を傾げる。
「だって、女だったらボールをぶつけてはいけないという、道理はないでしょう」
 そう言われては、二の句が継げない。本来であれば、ヒトに物をぶつけること自体が間違いなのである。相手が女だとわかった途端に考えを変えようとした、自分を恥ずかしく思った。
 惜しい所まできているという少女を置いて、自宅に戻った。
 もう牛乳を買いに行く時間はない。食事は抜きで慌てて着替え、バス停へ向かう。反対方向なのでハミルさんの横道の入り口も見えないが、かすかに球が弾む音は、まだ町内に響いているような気がした。
 バスに揺られながら、か弱い女性にさえ球をぶつけられる精神力を持てという教訓か、と思いついてみたのだが、それもあの子に反論されそうな気がして、そっと心中の口を閉じた。

読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。