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 年々、都市部では行方不明者の数が増加していると聞く。
 けれども減った人口の分だけ、すぐさま別のところから労働者がやってきて補完するので、傍目には気が付かない。加えて、転居も激しいのである。だからよほど近しい間柄でもないかぎり、不当に姿を消した人があることはわからない。
 人がひとり、どこへどのようにして消えるのか。
 話が少し脱線するように見えるかもしれないが、レイキに関する個人的な経験について触れたい。
 たまたまその単語を知り、興味を持ったはいいけれど、サークル活動みたいなのは面倒だった。そこでいくつかのソーシャルネットワークで面白そうな人をフォローして、内容を比較しつつ、しばらく独学したことがある。
 レイキと言うと一般人がどういうものを想像するのかわからない。ひょっとしたら、かなりニッチな知識かもしれないので一応説明しておくと、東洋の信仰から発生した療法のひとつだ。手を通して霊気エネルギーを送り、患者の自然治癒力を増幅させることを基本とする。
 僕の場合は、特にストレス緩和を期待していた。
 様々な『流派』があり、民間療法に分類されるものもあれば、スピリチュアルに系統するものもある。
 特に精神を重視する人々は我が強い。
 ある説に対して、だいたいは賛成するけど、一部に関しては真っ向から対立し、結果認めない。百人いれば、百人通りのセオリーがあると思ってかからなければならない。
 同じ視点を持っていると思ってコンタクトを取ってみても、話をすり合わせるうちに手厳しく拒絶されるなど、けっこうな頻度であったのだ。
 そんなアクの強い面々の中で一人だけ、とても穏やかで話しやすい人がいた。
 インターネット上の交流だから、外見を知らなければ、性別も確かではない。けれど会話で推測するに、男性だと思う。女性口調が混ざるので時々混乱したけれど、とにかく感じが良く、馴染んでよくチャット会話をしたものだ。
 アイスランドに住んでいるというので、直接会うことは叶わなかった。しばらく回線がつながらないところへ行く、と挨拶が送られてきて、交流が途絶え今に至る。
 その人が教えてくれたことは、正直言うとレイキに含んでいいものか、少々怪しい。誰でもできることではない、言うならば奥義みたいなものなので現実感がないのだ。話半分に聞いて、と語り手本人も言っていた。
 その人の考えでは、レイキは生き物が持つ科学で観測できないエネルギーを、物質に影響させる技術である。だからもちろん、霊体を回復させる、つまりある種のストレスを軽減させることは十分可能であるはずだった。
 けれども施術するにはまず、それを知覚あるいは触診できるようにならなければならない。ところが現時点で技術習得の方法が画一化されていないため、そこに辿り着くまでが至難の業なのだ。
 様々な”修行”を試して運がよければ、その境地に達することができる。そうなれば簡単で、精神的であろうが肉体的だろうが、患者の身体を見れば治療すべき場所が自ずと知れるという。
 その人の師匠だったか、そのまた師匠だったかは忘れたが、ホンモノを現実に知っているという。整体師だそうだ。本当に神懸った腕前だったと聞いている。
 必要なツボを押すだけで体調を改善させられる程で、必要なら手術を行うこともあったそうだ。
 患部の上から押した手が体内に入ったと思ったら、手品のように肉の塊を取り出したのをその目で見た。壊死した腕を切除したこともあるらしい。両手で軽くひねってみせた、断面はまるで最初から腕がなかったかのように滑らかだったという。
 話を聞きながら、ひと昔前の超能力ショーの出し物だな、と訝しんでいたのがスクリーン越しでもわかったのか、その人は苦笑して、だから話半分で、と繰り返した。
 その師匠に言わせれば、自分で自分の身体に行うなら、それらは案外簡単にできるらしい。
 他人が促すから不思議だが、歯が生え変わるなど劇的な成長過程を始め、周囲環境へ適応していくのは人間に本来、自然と備わっている能力だ。人体は悪いものは排出し、失われた部分は補う。
 ただ近年、自己確立を難しいと感じるような社会では、この能力が暴走しがちなのだという。
 そこで文頭に戻るのだが、行方不明者の中には恐らく、少しずつ自分を失っていった人が、一定数いるのではないかと僕は思うのだ。
 これは全く自論ではなく、その人が似たようなことを言っていたので連想した。だから彼なら失踪者への見解にしても、理解を示してくれるだろうと確信している。
 人が突然、ひとり消えたら大事だろう。けれどすり減っていくのなら、目立たない。
 古傷を庇っていつの間にかどこかを痛めてしまっていた、という経験はないだろうか。
 無意識が、身体の不調を自覚するだ。けれど通常通りに生活するために、それに気が付かないように意図的に阻む意識もある。そして、体内に負担だけが蓄積していく。
 そして何かのはずみに、身体がその部分を機能しない、不必要な箇所であると思ってしまう。そうして切り離した末端がなくなれば、その近傍が新たな末端として、なし崩しに全身が失われる。元の形がわからないほどに、細片となって崩れ落ちてしまうのだ。
 これはレイキの人の師匠の患者の話なのだが、背中に点線のようなものが入っていた。
 不思議なことに痛みはなく、血もほとんど出ないが、切り傷であるらしい。背中なので患者自身はそれを知らなかったのだが、訓練生として診察を見学していたレイキの人にも見えて、実際に触れたと言っていた。
 その人は弁護士で、デスクワーク寄りだというのだがよくある肩や腰に不調は感じず、何故か下半身ばかりに凝りがある。乞われてマッサージをしてもちっとも良くならず、また正体不明の点線も日を追うごとに増えていく。
 最後に見たときには、背中は肉屋にある食肉解体図そっくりになっていたそうだ。傷口も深さはわからなかったけれど、触れただけでぷつぷつとちぎれる感覚があったらしい。
 そしてある日、予約の時間に来なくて、それっきりだったそうだ。
 このケースが自論の証拠にはならないけれど、そんなふうに無自覚に、自分をバラバラにしてしまう人はいると、想像する手助けにはなるんじゃないかと思う。
 また別に、意識があるべき肉体から、思いがけず零れてしまうことがあるらしい。
 手を伸ばしたコップにふと自分が持っていかれて、気が付かないまま指がなくなる、などだ。
 どこかに置き去りにされたチェーン店のコーヒーカップがあったら、中を覗いてみると良い。全部にではないかもしれないが、時々歯や指や、唇が入っているはずだ。公園のゴミ箱には、爪が落ちている。プールのゴミ受けに、髪の毛に混じって耳が入っていたりするみたいに。
 僕はそういう身体に欠損がある人に気がついたことがないのだけれど、すれ違う人をじっと見る訳に行かないので、同じように注目されないのだろうと思う。
 それに実際、その時肉体の一部を失くしているわけではなくて、そこのレイキが欠損しているんだと思う。つまり中身は、スカスカの空なのだ。
 見かけは五体満足の、けれど実際の身体をどこかに落とし忘れてきた人々が、たくさんいるのではないかと睨んでいる。多分、自分をおざなりに扱って、今現在は、本人も失くした部分を知らないのだ。
 けれど、それに気が付いたとき、肉体は霊体へ吸い寄せられてしまう。その瞬間に四散して、その場から身体が消えたように見える。
 これは子どもにもよくあることで、僕は小さい頃どんぐりを拾っていて、指が入っているものを見つけたことがあった。集中して物事に熱中するあまり、身体ごとのめりこんでしまうらしい。
 けれどレイキ師匠に言わせれば、子どもなどは肉体と意識の優位順列が確立していないから、まだ簡単に元に戻せる。肉体に接続していないだけで、どこかには存在しているのだから、手繰り寄せれば帰れるのだ。
 手間は違えど、誰でもそうだ。理論上は、元通りになる可能性が十分にある。
 だから行方不明者の話を耳にすると、気の毒でならない。
 消えた人々の何割かはそう見えるだけで、バラバラだけどまだ存在しているはずだ。だというのに、引っ張り戻してくれるひとのひとり、持たないのである。
 僕なら心細くて、きっと寂しい。


読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。