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45. 向かいのアパート

 道路の反対側のアパートには、カーテンがない。
 三階の部屋ならわたしの窓からでも見えないのでまだ良いとして、二階から下に家を持つ住人達は、その生活をほぼ余すところなく通行人に見せつけている。なんせ窓が比較的少なく小さい住居が多いこの国で、壁一面がほとんどガラス張りになっているのは、何もなくても人目を惹くのだ。
 キッチンで料理をしているだけなら大したことはないが、通り沿いに自室がある場合は大変だ。性別に関係なく平気で着替えるし、一度などは性行為が丸見えだったこともある。
 見たくて凝視したわけではない。子どもの教育云々へも悪かろう。少しは配慮してほしいものである。
 ところが、イギリスではそういうものらしい。
 私生活を隠さないのは高潔さの証という考え方があって、現代でも窓に目隠しをつくるのを良しとしない人々が、一定数いるのだ。そして向かいのアパートのオーナーも住民も、そういう思想の持ち主であるらしい。
 わたしなどはプライベートを守りたいので、カーテンは昼用の薄手と夜用の厚手の二枚をしっかり引く。それはまた、これまで受けてきた道徳に沿って行う、他者への配慮でもある。自分が見たくないものは、見せないのが正しいのだ。
 けれどそれはわたしの正義であって、実際にこの目で見たわけではないけれど、この閉め切られたカーテンを見て顔をしかめる人もいるのだろう、と思うと常識は文化に依るのだなあ、と妙に得心もしてしまう。多国籍都市での共生はまず相互理解から。はっきり言って彼らの思考を理解できる日は来ないと思うが、その努力は続けていくつもりで、できるだけ向こう側を気にしないように生活している。
 とはいえ、目の前にある建物を完璧に無視するなんてことは、難しい。
 それなりの歳月を同じ状況下で過ごせば僅かずつでも近隣への知識は溜まっていくものだし、興味のない噂話も聞こえてくる。最近では完全な自宅勤務になったものだから、自室で仕事をして顔を上げれば見えるのは例のアパート、といった具合で、なかなか望むようにいかない。
 そうして図らずも知ったのは、生活に志向を掲げる人々にとっても、向かいのアパートの方針は合うらしいということだ。
 ある家族は回帰自然主義者とかなんとかいう主義で、家の中では服を着ない(噂では、加熱した食品も取らないそうだ)。ある女性はミニマル主義、見える範囲に家具がなく、床に直接転がって眠る。
 向かいのアパートは、文字通りショウウィンドウになっている。さながら、知られざる様々な「自然派」の人々の見本市のようだ。
 わたしの自室と真向いの部屋には、男女が一組住んでいる。
 どうも、電気を使わない方針であるようだ。
 わたしには寝る前に窓を開けて空気を入れ替える習慣があるのだが、そうした時、必ずと言っていいほど通りの反対側にいる。
 ちょうど街路樹の枝が窓の上半分を覆っているためと、室内が暗いので、いつも下半身しか見えない。
 男女一組と言ったが、実を言うと自信がない。
 ふたりとも衣服は全く同じ、つるつるしたタイツのようなものを着ている。室内が暗く、この辺はオレンジ色の街灯で、しかもそれが窓から離れた場所にしかないので色ははっきりわからないが、灰色かベージュではないかと思う。暖色の明かりの中では、たまに何も履いていないように錯覚する。
 共に細身で凹凸が少ない脚なので、腰から下のみでは股間を見て判断するしかないのだが、どちらもどちらと断言できるほどの膨らみが確かめられない。比較すると片方の骨盤が僅かに丸い気がするので、対だとなんとなく思っているだけだ。
 彼らは共働きであるらしく、昼間に在宅であることはないようだ。先述の通り、わたしはそちらをあまり見ないようにしているので、これも曖昧ではある。けれど少なくとも、わたしが彼らの足を見かけるのは夜も更けてから、窓際をぎくしゃくと通り過ぎるときだけだった。
 膝を曲げずに歩く姿は、あたかも身体が曲がらないないかのようだ。身体の左右を、交互に差し出して移動するのである。衝撃で足の関節が動くので、どうしてわざわざそんな不自然な歩き方をするのか、わたしにはわからない。
 ひょっとしたら動きがぎこちないのは、日中の業務が過酷で、どこかが痛むせいなのだろうか。ともすれば治療も受けられず、電気代を惜しむほど貧窮しているのかもしれない。
 わたしはそうしたあらぬ妄想に心を傷めていたのだが、だからと言って通りの反対に住んでいるだけの人に何が出来るというわけでもない。他人の生活にむやみに嘴を突っ込むのは卑しいことだから、むやみに心配するのはやめることにした。
 電気に関しては、清貧という言葉もある。他人が勝手にレッテルを張るのは、失礼な話だ。
 そんなことを、友人で集まってバーベキューをしたときにした。
 確か、マンションの騒音がひどいという愚痴を溢した子がいて、一風変わった隣人の話題へと発展したのだったと思う。カレーの匂いしかしない家とか、3LDKに三世代暮らしているところとか、なるほど、家の数だけ生活がある。
 酔っ払いばかりだから、どんな話でもゲラゲラ笑う。
 話す方だって泥酔しているから、面白がらせようと語る知性は残っていない。わたしの話題である丸見えのアパートはそのものが珍しいから、知っている話を並べただけで、十分面白いようだった。
 向かいの家の話になって、話を聞いていた女の子の一人がぽつりと「それは、上半身がないのでは?」と呟いた。
 なんせアルコールでバカになっている連中だから、それを聞いた途端に爆笑した。発言した女の子は首まで顔を赤らめた。そして黙ってからかわれるまま、網の上で焦げ行く野菜くずを拾っていた。
 それからしばらくおしゃべりを続け、飽きて肉を焼いたり、ビールを飲んだりして、気が付くとあの女の子はいなくなっていた。氷を買い足しに行くと言ったっきり、そのまま戻ってこなかったらしい。
 少し酔いが醒めた頭で、気の毒なことをしたかな、と反省した。酒を一端やめ、冷たい水をコップに一杯煽ったところ、突然頭から胃にかけて、身体の中がざあっと冷えるのを感じた。
 自分が話した部屋の二組と、女の子の言葉と、周囲の反応。気の効いたジョークには聞こえなかった。誰かが笑い出して、たぶん別のほとんどがつられて笑っただけだ。
 わたしは向かいの住人二人の、てづつな動きを思い出す。ちょうど子どもなんかが小さなプラスチック人形を抓んで、ごっこ遊びをするような。
 何かがつかめそうなところに来ている。
 思考の中に手を伸ばすのを、少し躊躇う。そのなにかはたぶん、理解すれば後悔する。それでいて、不明を確かめずにはいられない、この気持ち悪さ。
 もやもやしながらわたしは、いなくなった女の子の連絡先を誰かに聞こうか、迷った。
 けれど冷やかされるのは明らかだったし、邪推されては嫌だったので、結局やめて、欲しくもない肉をひたすら食べ続けた。

読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。