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93. 中庭のミミズ

 子どもの頃、大人に内緒でミミズを飼っていた。
 小学校の三年生の頃の話だ。
 始まりは、僕の学校にその次の年まで、初等部より前のクラスがなかったことにある。それはでも義務教育の前だから、当然といえば当然、おかしいことではない。普通であれば、保育園や幼稚園に通っても良いし、就学していないからといって、誰に責められることもない年齢だ。
 しかし、私学のことだ。
 小学校に入る前に、ある程度の基礎に触れさせておきたい、と願う親は多いらしい。また、仕事があるので子に構っていられない。一度預けたら大学に入るまで教育が一貫されていて、世話をする必要がない学校が、有利かつ重宝なのだった。
 カトリック系の学校だから、教会だった遥か昔には、元々孤児院が併設されていた。
 当時聖堂に付属するレクリエーションルームとなっていた、その小さな建物をリフォームして、まずは五歳の子たちを預かることが決まった。順調に行けば段階をおいて、三才からのクラスができると言われており、僕が学校を卒業した年には実際、その通りになっていた。
 前書きが長くなってしまった。
 その頃僕は聖堂と反対にある建物の、角の部屋を教室としていた。位置でいえば、北東にあたる。
 校舎の中心には正方形の中庭があり、北半分が幼児用プライグラウンドに変身することになった。新しい鉄柵で区切られるなど設置工事は、僕らがいる教室のすぐ横で行われたわけだ。
 学級委員ジェシカの母親は、騒音が勉強の妨げになると校長室に怒鳴りこんだらしい。確かにほぼ一年間、音が煩わしく感じられることもあった。
 けれど、署名活動は行き過ぎだったように感じる。僕と友だちは内心ではそういう輩を軽蔑し、工事をおおむね歓迎していた。
 中庭は本来、修道院の薬草園だったという。その後英国式バラ園となり、学校になる頃にはシンメトリーの花壇の骨組みしか残らない、中庭となった。
 薬草は貴重なものだったから、かつて入園は禁止されていた。
 初等部より上の年齢が使う、南館は元は広場に面していた建物だった。来客が多かったので反対側には多くの出入口があった。代わりに、北の庭に面した廊下には窓さえ少ない。中庭は西の職員棟と初等部一階に教室がある、三年生だけのものだった。
 しかしそれまでは、それはなんの優位でもなかった。
 建物に囲まれた庭はいつも薄暗いし、花壇は一部が栽培観察や実験に使われる以外、殺風景で面白くもなんともない。走り回るには不向き。秘密めいた、とするには敷地が狭くて見通しがきき、人目に付きすぎる。中途半端な場所だった。
 ところが工事が始まると、そこは一転してとても面白いところになった。
 運び込まれた煉瓦やセメント袋、小さめの建機、見たこともない工具の数々。他の子たちもそうだったが、僕たちのグループは一年生の時にミニカーが好きで集まった男子ばかりだから、この魅力的な光景には完全にノックアウトされた。
 建築で段階的に使われる機械の、次に来るものが何なのか、どんな働きをするのか、動力は何か。誰がそれを使うのか(作業員が使える道具はヘルメットの色で違った。資格があるとかで、区別していたのだと思う)当てっこゲームをすることもあったが、ただ見ているだけでも飽きなかった。
 もちろん仕事の邪魔をしたり、近寄ったりしたりは危ないから禁止されていたけれど、時々それを破って柵の傍に落ちている、釘や木片を拾って集めた。親指の頭くらいある六角形のナットは本当に気に入って、筆箱に忍ばせていた。女の子たちは、小さめのそれを連ねてブレスレットを作っていたようだ。
 最初に更地にされた元花壇に、アスレチックを設置し始めたのは冬の始めのことだったように思う。
 新築部には土台にコンクリートを入れ、清潔な砂の上に人口芝生と柔らかい床材を敷き詰めるということで、掘り出された古い土は一時的に柵のこちら側に出されることになったのだ。
 かつて、周辺の貧しい病人たちの命綱であった、薬草園の土である。作業員の中でも気さくな人が、霊験あらたかな土だから、畑にでも混ぜたらどうだ、と僕たちをからかった。黒くて湿った、いかにも滋養のありそうな土だった。
 けれども、勝手をしては怒られるだろうと、心配だった僕たちはおざなりな生返事をし、けれどせっかくの推薦をふいにするのも悪い気がして、なんとはなしに土をほじくり返していた。
 そこから、一シリング硬貨が見つかった。
 たちまち色めき立ったのは、言うまでもないだろう。残念なことにコインはそれひとつっきりだった。けれど数日の休憩時間を費やして行った大がかりな捜索の末、古い海軍のボタン、ビー玉というには歪なガラスの塊、見たことない瓶の王冠などが出てきた。
 僕らはたいそう満足した。
 そうした宝物には目もくれず、投げ捨てられた方の土塊を熱心に観察していたのはファーブだった。
 理科が一番好きな彼は、そこで見たこともないミミズを見つけた。そこでひとっ走りして給食室から空き瓶を貰ってくると、水飲み場できれいにし、珍しいその無脊椎動物を捕らえることに成功した。
 ミミズは確かによくある肉色のぶよぶよしたものと違い、体型がスマートで、メタリックな輝きを含んでいた。
 通常個体の胴の途中にある腹巻は、環帯というらしい。そこが二つ連なっていて、頭の先が矢印に似ている。これよりもずっと後、コウガイビルという生き物を知ったのだが、あのハンマーみたいなシルエットよりはでっぱりが控え目で鋭く
、明らかに違う生き物だった。
 そもそも我らの虫研究家の意見では、こんなにも気温が低いのに、元気に動いてることからして、まずおかしい。
 新種かもしれない、とファーブが言うので、同じように瓶を貰ってきてグループの五人全員が、それを捕まえて持ち帰ろうと決めた。どこか研究施設に報告する、という案が出てこなかったのは、子どもらしいかもしれない。
 この珍しいミミズを、誰が一番大きく育てることができるか、という話になった。ちょうどハーフターンの前だったので、二週間の試験休暇の後、一番大きく太っていた虫の飼い主が勝者と定められた。
 余計な話かもしれないが、僕はミミズのことをよく知らなかったので、オリーブの入っていた瓶に半分ほど土を入れ、餌は自分のおやつを分けて与えていた。
 グミやチョコやりんごやハムサンドのひとかけは、実際に食べているのを見たことはなかったが、いれてしばらくすると土の上から消えた。土が湿る程度に水を足し、たまに身体に良いような気がして、牛乳も垂らした。
 一週間くらいするとペットの方も慣れたのか、宿題に向かう僕を、デスクの上から見るようになった。
 餌のせいだろうか。その頃にはミミズは丸々太って体表の様子が、色の順番がおかしい虹色の縞に変化していた。
 ワーミーと名前をつけ、せっせとお菓子を分けてやり、たまには葉っぱを拾ってきて入れ、甲斐甲斐しく世話を焼いた。かわいかったし、同時に気持ち悪くもあった。決して触ったりはしなかったけれど、ガラス越しに指と尾で叩き合って遊ぶくらいはしていた仲だ。
 ある夜、アーサーから電話がかかってきて、ファーブが入院したと聞いた。
 どこかに変な腫瘍が出来て、摘出するという話だった。
 お見舞いには行けないから、ミミズの写真を取って送ってやろう、とアーサーからの提案に、僕は首を縦に振って強く同意した。ほんの少し、色の素敵な自分のペットを自慢したい下心もあった。
 けれど、彼のミミズはひょっとしたら上手く写真に映らないかもしれない、とアーサーは言った。なぜかと聞き返すと、世話の時にふと爪の間から入り込んできて、今は手の中で飼っているというのだ。
 実際に彼と会うことはなかったので、それがどのような状態だったのかは、はっきりとしない。けれど、確かに手の中で、とは聞いた。それは憶えている。僕はそれで、両手で大事に温めているイメージを想像したのだ。
 アーサーは彼のミミズは、すでに小指くらいの太さになっている、と言った。とぐろを巻いて動き回るので長さは正確には測れないけれど、二十センチ以上は絶対ある、と。それがどういうことなのかわからず、僕はただ素直に感心して、彼の偉業を褒めたたえた。友人は大威張りで、僕にも「写真をいちまい咬ませてやろう」といった。
 休み明けに写真を持って登校したら、教室に入る前に校医の先生に呼び止められ、医務室へ連れていかれた。そこにはグループで一緒にミミズを飼っていた、仲良しの子も一人で待っていた。一番気弱な子で、震えながら座っていたのが気の毒だった。
 ファーブもアーサーも、あと一人のジェイもいなかった。
 三人とも入院している、と顔は知っていてもあまり交流のない校医の先生は説明した。他の子たちは、酷く弱っている。病気の原因と思われるのが、グループで飼っていたミミズのようだから、提出しなければならない、と言う。
 もう一人の男の子はすぐに頷いたけれど、僕は困ってしまった。
 悲しいことに、瓶は前日に捨てられてしまっていたのだ。
 散歩へ行っている間、部屋に入った母の手によって、ミミズ瓶は僕の石コレクションと共にゴミに消えた。僕は怒ったし、泣いたし、悲しかった。けれどもそれまで部屋の片づけ命令を散々無視してきた余罪を追及されてしまえば何も言えず、せめてミミズの遺影を友達に見せて慰めて貰おうと思い、登校した矢先のことだったのである。
 先生は僕の話を信じず、家へ電話をかけて両親に事実を確認した。それから電話をかけては切り、なにやら相談や指示を受けていた。
 その後、僕と友達は病院送りとなり、三日ほど検査入院をさせられてから、家に帰った。
 久しぶりに見た家の花壇はめちゃくちゃに掘り返させていて、母は保健所にクレームをつけてやる、と息まいていた。
 僕ともう一人は幸い同じ病室だったので、虫下しを飲んではおまるで用を足すという拷問めいた日々を、何とか耐えることができた。僕たちからは、なんの異変も見つからなかった。
 普通に登校する日々に戻った。
 しばらくして復学したジェイの話によれば、アーサーから電話で話を聞き、大いに対抗心を燃やした。自分のミミズも大きくしようと身体に寄生させようとしたのが上手くいかず、緊急病院へ搬送された。摘出手術を受け、しばらくビニール張りの病室で生活したそうだ。
 繰り返す問答でうんざりしていたから、誰を調べなければいけないか、という質問に洗いざらい吐いてしまった、と頭を掻いていた。謝罪してくれたので、僕たちは変わらず友達グループで居続けた。
 学校の中庭は立入禁止のあと、全体がコンクリートに覆われ、いくつか彫刻が置かれた前衛的な庭に生まれ変わった。巨大オブジェに登ったりできて、それはそれで楽しかったが、木がないので、夏は蒸し風呂のようだった。
 ファーブとアーサーは帰ってこなかった。


読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。