見出し画像

10.本とヒトと境界

 とにかくわたしは、幼少から境界の曖昧な子どもであった。
 常識と言い換えることもできるのかもしれない。物事の線引きが難しくて、しょっちゅう苦労していた。
 例えばわたしは、食品と食べてはいけないものの区別をうまくつけることができない。
 もちろん、乾燥剤など「食べられません」と表示があるものに手を出すほど愚かではなかったが、なぜパンが食べられて石はいけないのか、あるいはりんごの皮と同じようにバナナの皮、食品包装のビニールを、なぜ口に入れるべきではないのか、よくわからなかった。
 正直に言えば今でも自信を持つことができず、だからわたしは外食、特に誰かと食事をすることが苦手なのである。
 姉のわたしはこのような有様だったが、対して妹は明るく社交的で、唯一の欠点があるとすれば、アレルギーが強い体質だったくらいだった。
 妹は決まったものにアレルギー反応を起こすのではなく、時によって様々な原因から、発疹を出しては寝込んでいた。昨日食べれたものが今日は食べられず、先週アレルゲンとなったものを今週にはおかわりまで平らげる、といった具合で、これには医師も首を傾げていた。
 わたしは妹が食べてはいけないものがなんとなく感覚でわかったのだが、説明が上手く出来なくて、結果、いつも母から邪魔にされていた。
 父はいつも、忙しくて家にいなかったので覚えていない。病弱で可哀そうな妹に付きっ切りの母は、いくら注意しても変な行動ばかりとるわたしが、多分うっとおしかったのだろう。あまり構ってもらった記憶がない。
 小学校に上がると、わたしは放課後、図書室に入りびたった。
 閉館してからも、校門が開いている間はずっと校内に残って、どこかで本を読んでいた。読書をして怒る教師はいなかったし、学校にいるという条件下であれば、母は門限をうるさく言うことはなかった。
 相変わらずわたしの境界は曖昧で、熱中してしまうような物語では、つい本の中に入り込んでしまうことが往々にしてあった。
 活字をなぞっていくと、ふと、その場面、世界に落とされてしまうのだ。
 目の前には主人公がいて、前文までの行動をとっている。けれど、次にやるべきことはまだ読んでいないので、わたしにはわからない。予想できることもあるが、まだ幼いので、何をしてよいのか知らないことも多かった。
 そもそも、物語の中核に触れないことも多かった。その世界にぽつりと落とされたわたしと、登場人物の誰とも面識がないのだから、当然だけれど。
 ぼうっと立っていたら村の子が誘ってくれて遊ぶ、というのが定番で、多くの世界で、子ども達はとても優しい。学校や教会へ行くのも楽しかった。
 また、物語によっては戦争に巻き込まれて、怪我をすることもある。
 一番最初は成すすべもなく、逃げられるだけ逃げて、殺された。そう思った途端、現実に戻っていた。切られた跡は、みみず腫れになって数日残った。
 死んだ恐怖は相当なものだったけれど、それを表現する力がわたしにはなかったので、誰にも相談できなかった。しばらくは、どんな小さな争いがある内容でも怖くて、話に入り込むことができかった。けれど、喉元すぎれば何とやら、あるいはまた、死と生の区別がよくわからなくなって、すぐに本の中へ戻るようになった。
 物事を理解するようになって面白くなったのは、自分が必ずしも、決まった行動をしなくても良いということだ。
 例えば一度普通に読んだことがある本があって、あらすじを覚えている。だからわざと、それに反した行いをするのだ。戦争を起こさなくしたり、主人公の悩みを取り除いてカルタシスを起こさなくさせてしまったり。
 すると気が付いたとき、本は以前とは、別の内容になっている。
 その世界に属しないからだろう、わたしが行ったことがフィーチャーされることはあまりない。けれどそれが原因となって起こったことは、発展して問題となる。あらすじが書き換わるのだ。
 改訂前の物語の方が面白かったとしても、それはすでに存在しない。きれいさっぱり忘れ去られて、どこの本屋でも、図書館でも、見つけられなくなる。それは残酷で、悲しいことだった。
 いつの間にか、本の中でもわたしは、息を殺して過ごすようになる。
 ある日、女の人と出会った。
 いつも通り本の中の風景を眺めていたところ、急に吸い出される感覚があって、気が付いたら学校の正門の前に立っていたのだった。ひょろっと背の高い女の人は、夕日を逆光に、上から覆いかぶさるようにわたしを見つめた。
 その時は軽いパニックになった。知らない女の人が、自分に危害を加えるかも、わからない。勝手に学校の外に出て、怒られるのも怖かった。数分の間、じりじりと、ただ立ち尽くした。
「ひと様の作った世界を、勝手に弄るんじゃないよ」
 とその人は言った。不機嫌そうな顔をしていたけれど、わたしはなぜかほっとした。
 女の人はそれ以上何も言わず、黙ってわたしの手を引き、町を後にした。
 それからずっと、森の中の小さなかやぶきの家で暮らしている。
 師匠となった女の人は、面倒面倒とぼやきながらも、色々なことを惜しみなく教えてくれた。怒られることは多かった。けれど、その知識のおかげでわたしは、ずっと生きていくのが楽になった。
 未だに本は好きで、時々入り込んでしまうことはあるけれど、改ざんはしないし、紙の中でおとなしく、でも結構楽しくやり過ごしている。
 師匠は何年経ってもわたしのことを、「やせっぽちのちび」という。多分、師匠なりの冗談なんだと思う。背はあの頃よりぐんと伸びて、習った薬の調合も一通りできるのだ。
 最近では学習に関しても別のアプローチ、応用が効くようになった。
 欲しい効果のある薬や呪いを作るとき、逆算して材料を作る。わたしは相変わらず食べて良いものと悪いものの区別がつかないので、普通なら選ばない猛毒や汚物を使用することがあって、でもそれが他の人たちにとっては盲点であったりすることがある。
 薬を褒められたよ、と言われると少しうれしい。
「おまえはやっぱり、ヒトとは性が合わなかったんだねえ」
 なんて師匠は苦笑するけれど、わたしはじゃあ、師匠はヒトではないのかしら、と不思議に思う。
 不思議に思って、でもいつも、確かめるのを忘れてしまう。


読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。