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41. 水中にイス

 わたしの生家のすぐ前には水路があるのだけれど、ここは五十年ほど前に集団自殺の現場となったことで有名なのだそうだ。
 水路というものは河川とは違い、水の張りが管理される交通経路であるから、水深は大体一メートル、船が常駐する関係でそれ以下になることはけしてない。定期的に底をさらってゴミを排除するので、水もそれなりに澄んでいる(これはもちろん、絶対ではないけれど)。
 その水深一メートルの水路に、入水した男女が七人いた。
 発見したのは犬の散歩をしていた近所の女性だった。水路の真ん中らへんに一列に並んで、溺死していたそうである。重りはなし、人体は沈まないから、明らかに不自然だ。
 全員が全員、水中の椅子に座っていた。
 脚の高さがあるから、ただ腰を掛けていては窒息するはずがない。だから頭を揃えた膝の前に垂れて、腕は落とすままに下がっていたということだ。ちょうど、飛行機の非常時のポーズのような。
 半世紀前の話なのでもちろん遺体はもうないのだが、椅子群は未だに、水路の中に見ることができる。
 木片を組んだだけのシンプルな椅子が、不思議な事に腐りもせず残っている。色だけは真っ黒に変色して、ところどころ付いた水草はなぜか赤茶色に育つ。
 水路の水は晴れて日が射す時でさえ、底にヘドロが溜まっていて黒い。夏季にアオコが発生して全く見えない場合を除いて、色の異なる椅子の輪郭は、暗い水中に浮かび上がって見えるのだった。
 長い歳月の間、一体どれだけの船がその頭上を通り過ぎたのかは分からない。椅子はただ整然と並んでいる。絶対に水から出ることもない。移動させても、いつの間にか戻ってくるという話だった。
 水位を管理され、定期的に泥さらいが行われる水路で、それがどれだけ奇妙なことか。
 けれど恐らく、水路に身近でない者にはピンとこないあろうし、逆に当たり前に生活の中にあって慣れ切ってしまっていたら、不思議とも思わないのだろう。
 椅子は何かにぶつかるなどして、倒れることがある。
 小学三年生の冬、わたし自身がそれを実際に動かしてみた。
 もちろんこんな小心者が、自発的に行ったわけではない。周囲に押され、仕方なくである。
 小柄で、進級を重ねても人見知りの治らなかったわたしはクラスで浮いていて、言うことを聞かなければ遊びの仲間にいれてもらえなかった。今になって思えば完全に虐めだったのだが、当時は命令をこなすことに必死で扱われ方に疑問を持ったことはなかっただったのだ。
 椅子を動かした者には、という噂は当然のようにあった。
 だが起こりうる祟りのバリエーションが多すぎたので、本当には何が起こるのか、いじめっ子たちは検証したかったものらしい。わたしはそれを知らされておらず、ただ水路に連れてこられて、本当に椅子は倒れるのかやってみろ、と学校から盗ってきた箒を押し付けられた。
 すっかり先が薄くなった掃除具は長く、柄が太くて重かった。けれど、そのおかげでか弱い子どもが少し突いただけで、椅子はすんなり倒れてくれた。椅子は列始めから三番目、それを狙ったわけではなく、少しだけカーブになっている岸から、最も近いのがそれだったのだ。
 椅子が揺れた途端、他の子どもたちは逃げて行った。口々に祟りを恐れる言葉は、どことなく笑って、気楽なものに聞こえた。
 わたしは背後が寂しくなるのを感じながら、水を含んでずっしりと重たい箒を投げ捨てることもできず、しばらくそのまま耐えた。わたしの腕では、箒の長さを足しても中央近くまでは届かない。全身を伸ばし切っての体勢では、重さは全て両腕に乗った。
 椅子が傾くと唐突に抵抗は軽くなった。
 そこに柄を通して直接伝わるのとはまた違う、別の何かが崩れ落ちる感覚を、わたしは確かに感じた。それが何なのかは見えないのでわからない。重さもない。ただ手中の水の動きと、わたしの認識の中だけに存在する、何かがあった。
 夕方、人気がなくなるのを見計らっての頃だったので、すでに陽は建物の影に隠れてしまっていた。それでも僅かに残る光が水草を照らし、葉色の赤を強調させ揺らめく様は、燃えているようだった。
 椅子が完全に倒れても、わたしは水路で立ち尽くしていた。気が付かずに落とした箒は水中で見えなくなり、空手のわたしは手持ち無沙汰に、次の指示を待った。
 呪いが何だったのかは、はっきり言えない。
 それをやらせたいじめっ子たちの中には、呪いの噂通りに事故にあって不具になった者も、家族に不幸があった者もいる。でもあれからもう十年は経っているので、ただの偶然と言われれば否定できない。世界中で毎日、事故があり火事が起こり、また様々な別の理由で人が死んでいくのだから。
 わたし自身には、特筆すべき不運はなかった。
 けれど特別に幸福な人生を送っているとも言えないので、呪いがあったのかなかったのかは、聞いた人が好きに判断してくれて構わない。

読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。