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37. 夜落ちる

 夜になると、首が落ちる。
 もちろんあたしだって、首が落ちればヒトは死ぬことくらい知っている。フランス革命のギロチンで習ったし、日本の侍だってハラキリの後は首を落とされて殺されていた。そう、普通は死ぬとわかっている。
 けれどあたしはいつも十二時になった途端、ぽたっと頭を落としてしまう。
 痛くも痒くもない。落ちて、そのままだ。
 いつもと違うことがあるとすれば、目で見ているのと同時に、胴体の方も周囲の物を認識できているということ。多分コウモリみたいに超音波か何かだと思う。鮮明な映像ではなく、何かがあることがぼんやりと察知できるのだ。
 そうして落ちた首を拾って、寝ることにしている。
 大体、遅くまで起きていること自体、あまりない。だって日付が変わってしまうし、そんな時間まで夜遊びしているなんて、不良がすることだからパパとママに叱られる。
 いつも十時には部屋に戻ってベッドに潜り込むのだけれど、この間は明日の用意をしているときにうっかり忘れていた宿題が出てきて、仕方がなかったのだ。思ったより時間がかかって、終わらない宿題へ向ける眠い目をこすったら、頭がズレてもげたのだ。それで自分の特異体質が、明るみになったというわけ。
 本当はお医者さんに行くべきなのかもしれないけれど、こっそり夜更かしをしていたことがばれたら怖いので、まだ誰にも告白していない。取れた首は朝にはくっついているので、困らない。急ぐ必要はないと思う。
 それにひょっとしたら、パパとママは知っていたかもしれない、とも思う。
 寝ている間だからといって今まで頭が落ちていなかったとは限らないし、それに何より、去年病気が流行って修学旅行がなくなったとき、二人してこっそり「良かったね」、と話し合っていたのを聞いたから。
 あたしの落首は体質かもしれないし、病気かもしれない。
 クラスにシーモアという子がいて、チェス好きの大人しい子なのだけれど、この子は少し変わった病気を持っている。
 身体の一部が透明になってしまうというもので、普通はシシュンキに発症するそうだけれど、だいぶ進行が早くてもう頭と右腕の全体が見えなくなっている。でも見えないだけで、そこにちゃんとあるのだ。ドッジボールも出来るし、算数のテストは誰よりも早く解く。
 「自身を否定する感情が周囲の認識に干渉し、それをないものと錯覚させる」という説明は正直訳がわからないけれど、原因がまだ説明できない難しい病気が世界にはいっぱいあって、そのどれもに罹らないという保証はないことを、あたしはよく知っている。それにこの「病気」が、治せるとも限らない。だからどんなに恐ろしい症状に見えても、怯えず平静でいることが第一で肝心。
 隠れて慎重に、インターネットで調べてみたところ、飛頭蛮というおばけを知った。
 何でも、昔の中国の妖怪であるそうだ。似たような伝説が日本にもタイにもあるので、これは本当に存在している(少なくとも存在していた)未確認生物なのだろう。
 ただ、どれも首だけで移動できるということだったので、あたしの症状とは異なる。胴体に主点を置くなら、デュラハンも似ている。これは首だけでは動けないようだから、今のところあたしの状況に一番近い。でも首がないと詳細や色がわからないから、やっぱり首なしではない気もする。
 これ、と断言することはまだ出来ない。
 たとえば、家系にこうした生き物が混ざったことがあって、あたしの代で先祖返りを起こしたのなら、不具合があっても当たり前だと思うし。DNA検査には遺伝子がどこから来たものか、わかるものがあるらしいから、いつか調べてみるのも、いいかもしれない。でも今はまだいい。
 正直に打ち明けるなら、まだ真実を知りたくないのだ。
 もうずっと前、文学の授業で習ったとき、隣の席だったシーモアにこっそりと、首無し騎士はかっこいいね、と耳打ちした。それに対してシーモアは、
「そうかな、本当にいたらきっと怖いよ」
 と応えた。制服の襟から上は透明で見えないので、どんな顔をしていたのかはわからない。正直な感想だけれど、軽々しく言うんじゃなかった、と後悔した。
 だからまだ、あたしが何なのか、知らなくていい。
 別に、シーモアがなんて言ったって、そこまで気にしたわけじゃないけど。

読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。