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95. いつかの見ないクラゲ

 子どもの頃、ある喫茶店の常連だった。
 裏通りにある古びた店で、店名は誰も知らない。看板が風かなにかで落ちて、そのままになっていたからだ。両親は一度も入ったことがなかったので、ひょっとしたら彼らはあそこを、熱帯魚店か何かと思っていたかもしれない。すべての窓際に水槽がおいてあって、外から見えるものといったら、水草とカラフルな魚ばかりという店だった。
 祖父がそこへ、足しげく通っていたのだ。
 毎週水曜日の午後に来訪するのを決まりとしていた。その日にわたしを迎えに行くよう頼まれたら、学校から帰宅せずそのまま店へ向かうのが常だった。心臓の発作だったのでその時までは元気だったから、前日も一緒に入り口のベルを鳴らしたのを憶えている。
 ティールームなのにコーヒー豆にばかりこだわって、紅茶と言えばアッサムとアールグレイしか置いてなかった。茶菓子の日替わりケーキは手作り、一日に二ホールしか焼かずなくなったら終わり、という潔さで。けれど、わたしの水曜日のおやつといえば、この店の焼き菓子と決まっていた。店長が特別に、取り置きしてくれていたのだと思う。
 店長は臙脂色のベストに、揃い布のギャルソンエプロンをしていた。店に一人しかいない店員の、ユニフォームのつもりであったのだろう。年のわりに豊かな髪をきちんと後ろになでつけ、口ひげを長方形にいつも整えていた。清潔で古風な、いかにもイギリス風の服装に身を包んでいた。
 顔の印象は残っていない。
 人好きする穏やかな初老の男性、と記憶していたけれど、その割に髪に白いものは混じっていなかったように思う。それにひょいひょい重たい金魚鉢を動かしていたので、実際にはずっと若かったのかもしれない。分厚いフレームのべっ甲メガネや蝶ネクタイなどのアンティークなアイコンに、偽装されたモンタージュである可能性は大いにある。
 店長と祖父が懇意にしていたのは、趣味を同じくしていたからだ。
 二人とも、熱帯魚が好きだった。彼らはいつも二人っきりで会話に花を咲かせていたので、同好会で知り合ったわけではなさそうだったが、それではどこで出会ったのかというと、訊く機会を失ったので不明である。
 とにかく水生の動植物なら、なんでも興味があるような人たちだった。
 けれども、
「英語でクラゲのことを、メデゥーサとも言いますでしょう。一説には、打ち上げられて乾ききって見えるクラゲでも、触ると刺すことがあるからなのだそうです。蛇女の首も、切り落とされても石化させる力が残っていましたから、どちらも死んで尚「ひとを害することができる」ということで」
 という雑談からもわかるように、なんといっても二人の一番のお気に入りは、半透明のあのまあるいクラゲたちだった。
 アクアリウムをかじったことがある人なら知っているだろうが、クラゲは水質にうるさい生き物で、海水であれ淡水であれ、長期飼育が難しい。不器用な祖父は自分では手に余ると自宅に水槽設置を諦め、喫茶店にクラゲを見に来ていたらしいところがある。
 店長と祖父は時々、連れ立って旅行をした。
 行先は大体東南アジアの方向へ、現地の熱帯魚を観察に行くためだった。そういうとき、祖父はご自慢のカメラで撮影することが目的だったが、店長は独身者の潤沢な娯楽費と趣味に裂ける生活全般の自由を駆使し、できる限り採集しては持ち帰った。
 国を跨いで動物を移動させる、しかもそれが野生個体である場合は容易なことではなく、時間はかかるし、郵送代ひとつ取ってもかなりの金額となる。そうして苦労しても、生き物だから検疫の間に死んでしまったり、没収されることもしばしばだ。
 数々の困難を潜り抜け、無事に喫茶室の水槽でお披露目されると、店長は誇らしげにそれを説明してくれたのだが、客の多くはあまり関心がなさそうだった。中には、あからさまにどうでもよいという態度を取るものもあった。けれどどんな客に対しても、店長は一貫して丁寧に、新入りの熱帯魚を紹介するのだった。
 わたしはカウンター横の六十センチ混泳水槽にいる、プラティとサマーセットグラミーが気に入って、前の席を陣取っては、そこでビクトリアケーキを食べたり宿題をしたりしていた。
 どちらもありふれた熱帯魚だが、活発で色鮮やかだから、子どもの好みにピッタリ合う。それにグラミーは好奇心が強く頭の良い魚なので、顔見知りとなると、ガラス越しにヒレと指を合わせるくらいには仲良くなれるのだ。
 わたしが何十分でもそうして時間をつぶしていられる子どもだったことも、祖父が喫茶店に連れてくる理由のひとつになっていたのだろう。
 水の世界に没頭する孫をおいて、祖父はよく喫茶室の奥を見学へ行っていた。
 プライベートスペースであるそこには、店主がこれまでに集めた珍しい熱帯魚、あるいは彼が愛してやまない、クラゲの水槽が置いてあるということだった。多くがデリケートで、管理にうるさい。店長は喫茶業務で手が離せないから、少しでも信頼できないと思われる人には、けして進入を許可さなかった。
 生前の祖父に、一緒に連れて行ってほしいと、ついぞ頼んだことはない。
 何となく、願うことさえいけないような気がして、奥へ向かう祖父の背中をただ見送った。物欲しそうな顔はしていなかっただろうけれど、何があるのかは興味があった。
「マミズクラゲには性差があります。しかしシストを形成したポリプがすでにあれば、移動した水域で無性的に繁殖することができる。水鳥の足に付いていくなどしてね。もし仮に、ひとつの個体からのみ発生した群しかないのであれば、それらの全てはオスかメスしか存在しないことになるんです」
 その特別な部屋には、祖父の死後半年経って、初めて足を踏み入れた。
 連れて行ってくれる保護者がいなければ、喫茶店など縁のない小児なのである。送迎係を失ったのを機に一人で登下校をするようになったわたしは、その日偶然校門の前で、店長と出会った。
 声をかけられ、一言二言話をし、喫茶店に誘われた。
 今思えば知人とはいえ、ほいほいと後をついていくべきではなかった。けれどわたしにとって店長は物心がついた頃からの知り合いであり、彼の飼育する魚たちは、気のおけない友人のようなものだった。あの小さな宝石たちがどうしているのか、ずっと気になっていたのだ。
 店主は以前通りにティーセットを供してくれたが、もちろん支払いをすることはできないので、わたしは慎重に断った。注文もしない子どもが魚を見に来ることを許容してくれているだけで、わたしには十分すぎるほどだったのだ。
 けれど店長には店長で、別の考えがあった。
 美しい熱帯魚たちには、それを認め称賛してくれる存在が必要だというのである。
 それが直接的な言葉である必要はない。純粋に、ただそれを美しいと認める視線ひとつないだけで、小さな水生世界はほんの一瞬で崩壊することだってありうる。
「だからね、時々でいいから、ここに魚を見に来てほしいんです」
 ケーキはその報酬だから、遠慮なく食べてほしいとも言う。
 確かにわたしが最後に見た頃よりも、店内の水槽は色あせて見えた。窓際のグッピーはいなくなり、コリドラスは水草に隠れて元気がない。
 けれどこれは恐らく、趣味の友人を失って気落ちした店長が、本人が気づかない程度に世話を怠ったのが原因だろう、と思った。店長は寂しいのかもしれない。祖父を失ったわたしと、同じように。
 わたしは再び、喫茶店に通うようになった。
 水曜日の放課後に訪れて店長と雑談をし、しばらく水槽を眺め、店長から魚の話を聞く。いつの間にか、それがルーチンになっていた。
 飼育や熱帯魚の特性に関する解説は幼かったわたしにはまだ難しかったが、できるだけ理解するべく心がけた。祖父の代わりに聞くことで、話し手の孤独が少しでも安らぐと同時に、自分も癒やされるような気がした。
 店長との会話はレクチャーに近く、自身の知識をすっかり後継させるかのようだった。
 実際の水槽を前に、感想や改善点を尋ねられたこともある。答えられるときは答え、できなければ正直にそう言った。どんな返事でも、店長は重々しく頷くだけだった。
「古代ギリシャだかの怪物女に、メドゥーサというのがあるでしょう。クラゲにちなんで、蛇頭をそう命名したと。逆なのですよ。女の頭がまずあって、水に浮かぶそれに似ていると思ったから、クラゲをメドゥーサと呼ぶようになったのだと、わたしは思うのです」
 そんな話をしたこともある。
 確か、奥に初めて通された日の話題だった。
 珍しく神話についてだったのでよく覚えている、と言いたいところだが、その後のことが衝撃的だったので、内容はよく覚えていない。わたしが漠然と抱いた印象だけいえば、クラゲと女の美しさは同じものである、ということ。
 だからだろうか、店長はクラゲの代名詞に『彼女』を使う。
 そろそろ、と店長が口を閉じ視線でそれを促されると、わたしは冷めた紅茶を一気に煽って、立ち上がる。それも習慣になっていた。
 開けてもらったカウンターに潜り込んで、奥への廊下へ踏み入れる。本日の講義で疑問が湧けば、その時に質問する。
「じゃあ、淡水のクラゲ自体は珍しいことではないのですか?」
「珍しいとは言えないでしょうね。このクラゲが発見されたのは、十九世紀のリージェントパークのことですから」
 店主はわたしの知識発達を重視しないが、それでも興味を持って質問されれば、いつも嬉しそうに答えてくれた。けれども当初の言葉通り、わたしからは彼のアクアリアムを愛する以上のことは強要せず、「クラゲたちも、君と知り合ってから美しさが増しましたね」と満足そうにしていた。
 正直にいえば、店長自慢の秘蔵クラゲたちは、初対面でわたしを非常に怯えさせた。
 彼らは光を嫌う。元はよくいる種類らしいのだが、店長がそのように実験的飼育をしていたのだ。だからズラリと小さな水槽が並ぶ奥の部屋でも、そのまた奥の小部屋にいて、入り口は二重の遮光カーテンで覆われているという厳重さで保護されていた。
 飼育室内は、ものの輪郭がわかるくらいである。
 小さな部屋の二辺に備え付けられた棚に、大ぶりのガラス鉢が並んでいて、そこに動く隙間もないほどに肥大化したクラゲが、水の中に揺れていた。
 それがひとの頭にそっくりに見えたので、わたしは叫び声をあげ、つい付き添ってくれていた店長に抱きついた。店長はふふ、と喉の奥だけで鳴らすような声で笑った。
 ブロブフィッシュという深海魚がいる。
 全身がゼラチン質なので、陸に上がると圧力の違いで細胞が崩れ、人面のように見えるのである。
 暗闇で表情の見えない店長は、いつもの優しい口調でそう説明した。このクラゲたちにも、その素質がある。以前と生活環境の圧力を変えて、育てる実験をしていたそうだ。
 恐怖する理由がないと諭されほっとしたわたしは、近づいて彼女たちをよく見ようとしたが、できなかった。店長には辛うじて細部が見えているらしいのが不思議だった。自分が軽い夜盲症を持っていると知ったのは、かなり後になってからのことである。
 強い光に当てるべきではないといっても、急にフラッシュでも焚かない限り、問題はないことが多い。鑑賞も管理も、見えなければどうしようもないのだ。もう少し室内に明かりを足すことは十分可能だった。
 けれど、店長はあえてわたしには、暗いままの彼女たちを見せることにしたらしかった。
 触手が髪に似た細さなので、誤解を助長させるらしい。先入観が、クラゲたちをグロテスクに見せる。店長はわたしに、今そこに見えるものに、美点を見つけてほしかったのだ。
 わたしは今でも、クラゲたちが真実どんな姿をしているのか知らない。記憶の中のイメージは全て、影から想像したものだ。
 けれども球体の上部に大きなひだのある金魚鉢、ひたひたに入れられた水をほのかに揺らしてゆったりと回転する仕草は優雅で、それを見てわたしは彼女たちから、美とは姿形だけに宿るものではないということを学んだ。人柄は仕草に出るもの、であればクラゲの内面は、そのとおり穏やかで繊細ということではないか。
 そうした思った通りのことを、わたしはクラゲの鉢一つ一つに向かって余すところなく、かたって回った。
 暗室の中では、視線などわからない。わたしには、赤裸々に自分が感じた彼女たちの魅力を、口に出す他に愛を伝える術がなかった。鼻のようにみえる凹凸の曲線の柔らかさ、揺れる髪の柔らかさ。全ては自分の空想によるものではあったけれど。
 そうしてまた、半年ほど過ぎた。
 私設水族館内がうっすらと生臭く感じられる初夏、学校の夏休みになる二ヶ月はロンドンを離れることになっていたので、店長にその報告をした。
「そうですか。寂しくなりますね」
 店長は視線を落として、小さく呟いた。けれども、落ち込みに引きずられるということもなく、その日は淡水フグの食性についての講義があり、その後クラゲたちにも会わせてもらった。
 いくら考えても、何も思い当たるところはない。何の変哲もない、水曜日の午後だった。
 九月に街に帰ってきたら、店はなくなっていた。
 入り口と窓のあったところがトタン板に覆われ、『危険 進入禁止』と張り紙がされていた。店名がわからないので転移したのか調べようもなく、店長はあまり交流を持たなかったのか、近隣の店に訊いても事情はなにもわからなかった。
 わたしの中で、喫茶店での記憶は年々曖昧になっていく。
 現在唯一残っているアクアリウムとの繋がりは、秋になると頻繁に公園などの池を訪れて、クラゲが湧いていないか調べることだけだ。
 今のところ、一度も発生に行き合わせたことはないが。


読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。