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87. 現代における憑きものの減少について
近年で憑きものの事例が減ってきている理由のひとつに、異文化混在が原因だと言われている。
国際化が進み、他国の文化背景を十分に理解できないが、知らないうちに自文化へも影響を受けていて、それをズレと認識してしまう。「憑く」ものと「器」との間に、互いの行動原理に基づく共通点が、見つけにくくなっているからだという。
その論を支持する研究者には、近いうちに憑きものはこの世から消えていくのではないかと危惧するものもいる。極論ではあるが、減りゆく典型的例の事件数を考えると、不安はもっともであろう。
こういう事例があった。
ある少女が博物館を訪れて、古代エジプトの文字が書いてある石版にたまたま触れてしまった。
それから彼女は不調を訴えるようになり、その拙い英語で語るには、日の出になると毎日身体の一部が痛み、胃が重くなるという。
腕にできたしこりを切開してみると、ほぐれたパピルスの繊維が出てきた。その後何度か嘔吐することがあり、胃液しかないはずの吐瀉物の中に、羊毛に似た動物の毛が混ざっていたという。
これらは洗浄後保存されたが、数日して消滅しているのが見つかった。
そしてある時、誰も理解できない言語で何やら叫んだかと思うと、唐突に気絶をした後は、前述のような不調は見る影もなく消えてしまったという。
少女は抗争が続く地区で生まれた難民で、ほとんど自分の文化というものを持たなかった。国を失った人々と暮らすため、日常会話に言語を混ぜて使用するほど、基盤が曖昧である。自国の地に足をつけたことさえなく、エジプトという国名さえ知らない有様だった。
文化的に見て全くの無垢であるこの少女に、古代文化に関連する発症があったことは、この分野においてひとつの分岐点となった。
改めて、憑き物や呪いがけして自己暗示によるものではなく、第三者の意思と知識でもって被害を被る、物質で証明され得ない加害者からの具体的な被害記録が残る最新の事例のひとつとなったのである。
しかしながら、憑きものにおける双方に共通点がないと、断言することはできない。
例えば魂と呼ばれる個人の一部に、残る記録のようなものがあるとして、そこに何か通じるものがある可能性を、示唆することができるからだ。ただもちろん、これは現在科学では立証がまだ難しい。仮説の域をでない。
一方でまた、憑きものも文化習慣の一部であり、歴史と共に変化を共合う事象である。
従来の型に外れた観測がしにくくなったことを、事象が減ってきていると誤解しているのではないかと、筆者は考える。
例えば社会全体で問題になっている心身病の中には、発病で性質が大きく変わる症状がある。そこに、憑く側と憑かれる側がひとつしかないといった、憑依の前提と異する『憑きもの』が混じっているように思われるのだ。
ところがこれを、超自然的観念から観測した例がかつてない。精神病理で説明ができるため、別の分野、それも定義に反して見える研究を、する口実が内外から得られないのである。
憑きものが減少傾向にあるこ自体も否定できないが、民俗学の廃れよう目覚ましく、同時に超常現象学の台頭遅々として進まぬところに、真の問題があるのではないかと思われる。
一刻も早い、現代に添う学問への姿勢の改定が、求められる次第である。
読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。