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38. もう遊ばないよ

 小さい頃、近所で仲が良かった女の子がいて、よく一緒に遊んでいた。
 なんとかいう冒険者の映画が上映された年だったから、子どもなんてそれの真似をするに決まっている。毎日、公園で木に登ったり、子どもだけで行ってはいけないと散々言われていた川で遊んだり、それがバレて怒られたりしていた。
 それでも懲りずに、廃墟に入り込んだことがあった。
 と言っても、崩れかけた古城なんかじゃない。町の外れにあるけれど、ちょっと不便な所だから誰も住んでいなかったところに、数年前放火があってそのまま捨てられた家だ。
 土台がしっかりしているので、燃やされて黒くなってしまった後でも、しっかり家の壁が残っていた。それでも中に入るのは危険なので、僕たちは妥協して、庭を探索することにした。
 正直なところ、鉄柵が折れた門から人目を忍んで侵入する、というだけで幼い僕らには十分すぎる刺激だったので、少し散歩したらすぐに帰るつもりだった。よく見る雑草が背丈まで伸びているのも珍しく、雰囲気があって面白かった。
 そこに、古井戸があった。
 お転婆な女の子はこれを見つけ、水を飲もうと言い出して、つるべの縄を引っ張った。石が積まれた丸い井戸の、上部の金具は腐っていたらしく引いた衝撃で支柱が落ちた。女の子を巻き込み、ついでにいくつかの石と共に。
 一瞬の出来事だった。
 慌てて走り寄ったものの、井戸は深くて底が見えず、転がり落ちた石が山になっているのが、かろうじて分かるくらいだった。穴の中に女の子の手も足も、衣類の一部も見当たらない。
 すぐさま家に戻って事情を話したのだが、おかしなことに家族の誰も、話をまじめに聞いてくれなかった。
 あらそう、早く手を洗ってきなさい。宿題は終わったの? 何を言っても叫んでも、母はそんなことしか言わない。
 埒が明かないので警察に電話したが、こちらも話が嚙み合わない。イライラしながら、とにかく女の子が大変だから早く救出してくれと繰り返していたら、姉に見つかって通話を切られてしまった。父はまだ帰らない。家の中では、もう打つ手がなかった。
 後に頼れるのは女の子の両親ばかりと、家を飛び出し家を訪ねた。
 門限をとっくに過ぎた時刻だというのに、その子の母親は全くいつもの調子だった。ドアから顔を覗かせ「あら、どうしたの?」とのんきな声を出すのだった。
 女の子の危機を伝えようとしたその時、その子自身が母親の背後からやってきて、片方の眉を上げて僕を見た。
 もう今日は遊ばないよ、と冷たい声で言う。
 有無を言わせない迫力に、僕はちょっと面食らったけれど、怪我もなく家に戻っていたのなら良いことだ。無理に自分を納得させて、腑に落ちないまま帰路についた。
 そしてそれっきり、というわけでもなく、少しずつ疎遠になっていった。
 後から思えば、子どもが感じた以上に、劇的な変化であっただろう。
 女の子の黒目勝ちの丸い目は、いつの間にか尖った。しかし外見など序の口で、甘党だったのが極端に塩気の強い、脂っぽいものを好むようになり、子どもの目にも慇懃無礼に振る舞い始めた。
 無関係になった今、少なくとも傍から見て、彼女はまるで別人となった。明らかに異常だった。
 それなのに、そうした息子の訴えに僕の母親は、「女の子は本当に突然、成長するものだから」といってにべもない。もう話しても無駄だと悟って、母親とも距離を取るようになった。
 女は信用に足らない。

読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。