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92. 吊ったはいいが

 首を吊ったはいいが、戻れない。
 否。こちらとしても覚悟の上で選んだ道なのだから、簡単に元通りになるなどとは、もちろん微塵も思っていない。そうしたいとも思わない。ただ少しばかり、予想と違っていたので戸惑っている。
 戻れないというのは、地表へである。
 枝に紐をかけたときから、空へ向かって浮かんでいる。浮かんでいるというか、落ちている。上下が逆さまになったみたいに、月がある方向へ重力を感じるのである。
 もう苦しくはないから、引っ張られていること自体は別にいい。
 風船のように木に引っかかって、なすすべもなく揺らされていることだけが屈辱である。誰の意思でもない。自然の力によるものであっても、業腹は業腹だ。わたしは揺れて居たくないのである。
 ここからは街が見えるわけではないけれど、さりとて特別に山深い森というわけでもない。昔の狩猟場だった場所がそのまま保護区となった公園で、郊外とまでは言えないが、市内というには鄙びている。人の通りは、まあほどほど。
 肉体のわたしの身体は、もうとっくの昔に発見されて、降ろされここにはないはずだ。
 池からすぐ近くの枝を選んでしまったからだ。最期に見た水面の月が名残惜しくて、自分もそこにありたいと思った。その時は辺り一面暗闇だったけれど、朝になればきっと目立ったことだろう。
 身体は恐らくもう、燃やされてこの世に存在しない。
 それなのにまだ、わたしはここで首を紐に引っ掻けたまま、ゆらゆら空を浮いている。変な話だ。変だし、理不尽な。
 わたしは子どもの頃に見た、叔父が飼っていた犬のことを考えた。
 テリアの雑種で、肩の部分にだけ縞模様のある、大きな犬だった。太い皮ベルトに、金属製の棘がついた首輪をしていて、小屋に繋がれっぱなしだった。無精な叔父があれを散歩へ連れていくのを、わたしは一度も見たことがない。
 攻撃的な犬だから、わたしが近づくと突撃してきた。紐の長さには限界があり、当然そこで(文字通りに)自分で自らの首を絞めることになる。けれど愚かな犬だったから学習をしない。わたしが視界に入れば突進し、いつも派手に転倒するのだった。
 そして、何がいつもと違っていたのか、ある時倒れて動かなくなった。
 たぶん、首の骨が折れたのだと思う。わたしは庭から大声で、叔父を呼んだ。酔っぱらった叔父はめんどくさそうにちょっと窓から顔を出し、それだけで即座に判断を下した。
 大きなゴミ袋を手にやってきて、荒く息をするだけで動かない犬を、収容して口を縛った。足でビニール袋を突っ張らせた犬は、しかしそれでも動かなかった。
 あれは夢だったのか、それとも本当にあったことだったのか、わたしにはわからない。
 借金で首が回らなかった叔父は、わたしが小学校に入る前に、車に跳ねられて死んでしまった。多分、自分の意思で車道へ飛び込んだわけではないと思う。
 家族には、あまり良い思い出がない。
 そんなことを考えていても、仕方がない。ここはきっと、紐を外して空へ落ちるべきなのだということはわかっている。
 紐を手繰って枝を掴み、地面へ登ることも考えた。しかし、現実的な策と思えない。繰り返しになるけれど、地表へ戻る必要もないのだ。多大な労力と時間を費やして、そうする道理がない。
 正解がわかっていて、他に選択肢もない。それなのにわたしは、未練たらしくまだ、空へ向かってぶら下がっている。
 他に、同じように首をつっている人はいない。
 ここは交通のアクセスが良く、昼間でも静かで落ち着いたところだから、わたし以外で「そんなこと」を考える人がいても可笑しくないように思う。実際、噂で散歩中の人が落ちた死体を見つけたと、聞いたことがあった。
 ただ、見える位置にいないだけ、という可能性はある。
 あるいは、この状況に陥っているのは、わたしだけであるのかもしれない。
 仲間がいたら嬉しいのか、と聞かれるとそうでもない。いてもいなくても、状況は変わらないだろう。どちらを望んでいるのか聞かれたら、どちらでも良いのだ。
 この固く閉じた結び目を解いて、落下してしまうのが良い。
 ひょっとしたら幼少に訪れることを夢見た、月の表面を掠めることができるかも、しれないではないか。宇宙はわたしにとってもう、空気がないことを恐れるべき場所ではない。苦しさへの恐怖は、一度克服した。
 自嘲はただのため息となって、喉から零れた。皮肉の音もなく、声にもならない。
 それともわたしは、落ち続けることが怖いのだろうか。
 考えるべきことが頭の中に浮いたので、それを言い訳にもうしばらく現状に甘んじてみようと思う。
 突然の北風に振り回され、苛立ちを覚える。


読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。