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63. 幽霊屋敷

 わたしの家は幽霊屋敷と呼ばれている。
 某情報投稿サイトで『ロンドン、アクセス便利な幽霊スポット!』と紹介されたため、そこそこ有名になったのだ。
 オカルトは好きでも本当に曰く付きの場所に来ようとする人間はあまりないらしく、とりあえず実行しようと思いたったら吉日、待つことをしない。それで今すぐ行ける交通の便の良い場所を、と検索すると、ロンドン在住は大抵ここを選ぶらしい。
 なんせシティから電車で一時間以内、乗り換えは一度の手軽さだから、しょうがない。家の入口も駅前商店街から続く大通りを一本入ったところだから、迷おうという方が無理なくらいだ。
 何より、見た目に人気がある。
 まあ、管理が行き届いていないことは認めよう。庭木は茂り放題だ。大きな鉄柵の門は錆びて片方が外れてしまっている。そこからすでに、雰囲気が「それっぽい」。屋敷の正面玄関の壁は蔦が生い茂っていて、窓にカーテンなど要らない程だった。
 そうでなくても築二百年近い、ゴシックリバイバル様式の屋敷だ。
 渡り廊下で繋がった離れの窓は、ウェストミンスター宮殿の、一部とはいえ同じものなのである。歴史を感じさせる、故に幽霊がいて当然だという、説得力があった。
 そういう歓迎されない客がやってくるのは、大抵金曜日か土曜日の夜だ。
 一日働いて明日は休みだからと、友人と盛り上がって羽目を外し、肝試しみたいなバカなことをしたがる。
 はっきり言って、いい迷惑である。
 こちらだって、昼間は所用があって外出しているのだ。疲れて帰ってきてみれば、不法侵入者に睡眠を妨害されるなど、たまったものではない。ここはただの荒れ家だ。千客万来は望んでいない。
 それでもせっかく期待して来てくれているのだから、と思うと無下にできないのが人情というものだ。忍び込んだ音が聞こえれば、とりあえず影から様子を伺う。
 小さな物音を立てて逃げ出してくれるくらいなら、喜んでエンターテイメントを提供しよう。ついでに大げさに騒いで、今後誰も訪れようと思わないくらい、極悪非道な幽霊屋敷とレッテルを貼ってくれたらありがたい。
 けれど、世の中はそんなには甘くない。
 唸り声を聞かせても逃げ帰らず、二階からだ何だと、ずかずか踏み込んでくる勇み足の若者の、何と多いことだろう。
 こういう向こう見ずなのが、本当に困る。空気が読めないとはこのことだ。こちらがどんなサインを送って追い返そうとしても、一向に理解する頭脳を持ち合わせていない。
 はっきり言ってしまうけれど、ロンドン市内に普段暮らしていて、幽霊を見たことがないのなら、もうどこで探しても結果は同じだ。西暦だけで二千年以上あるのだから、どんな小さな場所でだって、かつて誰かが死んでいるはずなのだ。
 もし突撃してくる連中が聞く耳を少しでも持っているのなら、見たことがないイコールお前はもう、生涯幽霊を見ることはかなわない、と断言してやるのに。
 まったく、愚かだ。見えない聞こえないからといって、霊障がないわけではない。最も重要なことだというのに、彼らはわかっていないらしい。
 殊の外無礼な客である場合、わたしは後ろからそっと近づいて、そのうちのひとりの首を絞める。
 この時に気を付けるのは、室内にガラスが落ちていないところを選ぶこと。後に怪我をする可能性のある場所では、脅かさないように努めている。
 かける手には多少、彼らのせいだけとは言えない怒りが込もってしまう。大抵が昼間に、仕事が上手くいかなかったことへの不満だ。
 なんでこれだけ探して見つからないの、とか、タイバーンで失くしたことはわかっているのに、やっぱり手探りでは限界があるわね、とか。探し物がうまくいかず疲れているときは、イライラして時々やりすぎる。
 侵入者は一人で来ることは少ないけれど、そうやって気絶させられるのは、一度にせいぜい一人だ。でも効果は抜群で、その後は仲間が慌てて、被害者を担いで逃げ帰る。
 まあ時々、しばしば、置き去りになってしまうこともある。
 目が覚めて自力で脱出できるなら良し、再び気絶して追い出すのが朝になってしまっても、及第点といったところだろう。その後に静かに過ごせるのなら、こちらとしてはどちらでもよい。
 死なれるのだけは困るので、手加減している。
 だってそうしたら、屋敷が手狭になってしまうではないか。

読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。