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12.曰く

 男がわたしを捨てたので、怨霊となった。
 別の女に懸想した男はわたしが邪魔になって、首を絞めて沼に捨てたのだった。物心つく前からの許嫁であったのだが、男からしてみれば、わたしは金を得るための人質でしかなかったのだろう。
 苦しみ、全てを奪われても、わたしには見ていることしかできなかった。
 わたしの恨みは男には届かず、どんなに憎しみを向けてもかの女には痛くも痒くもない。祟れば祟るだけ、彼らは幸運と金運を得て、幸せに暮らすのだ。そしてそれを見なければならない、わたしの苦悩は増すばかりだった。
 彼らの子孫も同じようなものだった。
 やがてわたしには、対象を共通する悪意を抱いた仲間ができた。けれど全員が暗闇の中、怒り嘆くこと以外を許されていなかったので、長いこと、お互いの姿を見ることもなかった。
 ただ周囲が更に陰気で沈むのを感じながら、それぞれが孤独に、男の一族を呪い続けた。
 幸福な子孫を眺め、許せないと歯噛みし血の涙を流し、それがいっそう彼らの多幸を高めるという悪循環を、断ち切ることができなかった。
 もう少しまてば、復讐の機会がある。それだけを心の支えに、自分の形を失って尚、祟りを忘れなかった。
 しかし刑期が明けてみれば、わたしたちに与えられたのは、ちっぽけな女の赤ん坊ひとりだけだった。
 不自然な幸運と歪んだ徳で栄えた一族は、死に絶えて末にはそれしか残らなかったのだ。恨みつらみ以外の全てを搾取されてきたわたしたちは、ちょっと呆然としてしまった。
 おまけにその子は、わたしたちの気に当てられて、目が離せないほどしょっちゅう死にかける。途方に暮れる暇も得られないまま、怨霊たちは手を取り合って、とりあえず女の子を延命しようと試みた。
 悪霊はそれぞれがほとんど自我をなくしていたので、ひとつの塊となって、女の子の面倒をみた。
 残りの祟りは言葉が通じない、なにかよくわからない生き物だったけれど、幸い三すくみ状態に落とせる性質を持っていたので、そうして小康状態を保った。
 とにかく祟る力を一か所に留めないよう、常に循環させて、生きるのに影響しないように細心の注意を払う。呪いを外へ発散させようにも、周囲にいるのは同じく少女の世話をする人間だけなのだ。関係のある人間が倒れれば即女の子の命の危機に繋がるのだから、下手をすることができなくてもどかしかった。
 そうやって慌ただしい日々を過ごし、やっと一息ついてみれば、それまで恨みに支配されていた年月が、バカバカしくなってきた。
 時代は移り変わる。
 今更亡い連中を思って、くよくよする時間が惜しい。
 わたしたちは子が受ける医療に興味を持ち、実験をするときの科学器具に心奪われ、社会の在り方そのものを楽しむようになった。
 一番の古株なので、わたしには主導権がある。
 けれど民主主義の時代にならって、したいことがあれば多数決で決める。少女の夢枕に立って、マカロンが食べたいとか、ワンピースが欲しいとか、頼むのはわたしの仕事だ。
 けれどそれを望んだ霊の願望が先にきてしまうので、いつも姿かたちが変わってしまう。女の子が各自を認識できていないかもしれない、と思うとわたしたちはいつも悲しくなる(ちなみに、よくわからない生き物たちは、夢でボール投げをしたりポルターガイストとなって遊んでもらったりしているので、ペットになった気分でいる。とても妬ましい)。
 わたしたちの娘は『受呪詛 対象第Ⅲ類』として、政府の研究施設で暮らす。
 特殊な生まれ育ちだが、多分あまり平凡とは変わらない生活を送ることができていて、朗らかに成長している。
 ちょっと大人しすぎるところがあるのが心配だけれど、とやかくいってうるさい、と返されるとショックなので、今のところ全部胸の内に留めただ見守っている。母親になったことはないが、その苦労はこんな感じかしら、と時々思う。
 先生たちの忠告をちゃんと聞いて、娘は霊的なものとは一切接触しない。影響を受けやすい体質だから、それは正解だ。危ないことには関わってほしくない。
 施設の研究成果は間違っていることも多々あるけれど、科学的なアプローチでもって超自然的現象を解明していこうという前向きな姿勢は評価できる。
 子ども達への態度も好感が持てるので、実験などで協力できることがあれば、わたしたちは助力を惜しまない。
 とにかく、死にかけていた赤ん坊は育ち、祟りへの受け皿も大きくなった。
 コツさえ掴めば霊視くらい、すぐできるようになるだろう。方法を学べば一流の霊媒師になれる素質は十分だ。
 いつかもし、娘が手を差し出してそれを望むのであったら、わたしたちはきっと喜んで手を貸す。世界を滅ぼしたいのなら、全力でサポートして、万物を祟り後にも残さない構えだ。
 けれど、わたしたちの何人かはそれを優しく諭すべきだ、と反対もしていて、今のところ、賛成派と反対派で半々。教育方針は一致せず、といったところだ。


読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。