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91. 年末の習慣

 ある村のことだ。
 この村は山間の、かなり自然の厳しい場所にあり、人々は一年を通して食べるものにも困るような暮らしをしていた。
 元は流れ者が自然と集まって始まった村だという話だったが、おそらく真実では、罪人の流刑地であったのだろう。故に通常ならば住もうと思わない荒地でも、彼らにそこで生活をする以外の選択肢がなかった。
 夏でも寒く、冬には雪深くなる極地である。草一本、育つことが容易ではない。それでもなんとか生活していけたのは、『氏神』の加護があったからだと言われている。
 山神であった。
 原始の座に連なる存在だが、困ったことに人を食う。年に一度子どもを捧げさせる代わりにささやかな山の恵みを与えては、ヒトを飼い殺していたのである。
 それで食べる口が減ると、喜ぶ民ばかりならよかった。人である限りは情も湧く。特に子を奪われた親たちの、苦しみはいかばかりだったか。
 歯を食いしばって僅かな食べ物で食いつないでは、先が見えない生活を、ただ繰り返していた。
 ある時、行き倒れた旅の僧があって、これを助けた。
 普段であれば追いはぎにして見殺すところであったのだが、今年生贄になろうという幼子が乾き疲れた老人を不憫がった。そんな子に、少しでも良い思い出を作らせてやりたかった父母は、僧を介抱し、華やかな都の話のひとつでもしてやってくれと懇願した。
 事情を知った老僧は彼らを哀れに思い、祈願をしようと申し出た。
 寺で、話をするという。
 振る舞いを目当てに、村中の子どもが集まった。もちろん、生贄の子もある。参加できるのは子どもだけという話だったが、その母親たち、そして余所者だけでは不安であろうからと、村長もその場に招待された。
 子ども達の前方に僧、間には粗末な食事があったが、それは会の後のためだという。なぜ一膳しかないのか不明ながら、常時腹を空かせた子ども達は、飯から目が離せなかった。
 てっきり都の面白い話かありがたい説法があるのかと思えば、僧は子ども達に話をせよという。
 最初は訝しんだ子どもらも、幼子からぽつぽつ思い出が語られると、我は笑い話を、怪談を、ととっておきを携えて口を開く。
 またこの僧が聞き上手で、大いに笑い、驚き、泣くものだから、子どもたちはなんだか老人と過去を共有しているような気さえした。興に乗って、会談は夜が更けるまで続いたそうだ。
 実はこの夜というのが、年が変わる刹那、つまり山神へ物を捧げる刻であった。
 だから母親たちは、僧が生贄の最期を楽しく過ごさせてやろうと、この集まりを催したのだろうと考えていた。けれど全員を巻き込んで和やかに過ごすうちに、時間が経つのを忘れたのである。
 深夜、山寺の戸を叩く音がしたかと思うと、僧がろうそくをふっと吹き消して、辺りは真の闇となった。
 贄を受け取りに来た神は驚いた。何も見えるものがない。
 神秘の身には、怖がり叫ぶ子ども達から発せられるすさまじい恐怖は、肌が刺されでもしたかのような強烈さである。どこに彼の食があるのかもわからない。鼻に濃い餌の匂い、耳に飽和した喧噪があるだけだった。
 あまりの騒ぎに前後不覚に陥ったその時、「山神様、こちら今年の供えるものにございます」と一言響いた。
 母たちが慄き、子ども達を更に不安にさせ、寺は恐慌に包まれた。
 これは堪らんと山神は、差し出された贄をさっと掴むと、風が巻き上がる一瞬後には、もう山へ戻ってその場になかった。
 明かりが付けられた部屋の中、母たちは子を見つけては安堵の息を零したが、はてしかし、誰も消えた子どもがいない。その予定だった子どもも、母の腕に抱かれてその場に残っていた。
 ただ、一晩中声を掛けられ続けたあの一膳が、消えてなくなっていた。
 生贄のなかったその年もしかし、村には山の恵みがもたらされた。
 それを見届けた老僧は、上手く事が運んだようだから、次の年変わりにも子どもを集め、神饌へ向かって話をさせよという。子ども達が語る話は多ければ多いほど良いが、さりとて決して百を超えてはいけない。
 一膳の食事の前に、見えない子どもがいるつもりで行えと言い残し、僧は西へ去って行った。村人は感謝して、それから彼らの間で『氏神』といえば、密かに老僧を指すようになったそうだ。
 ある村が、如何にして山神を騙すに至ったか、という話。


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