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18.ルフ

 僕は昔から絶滅した動物が大好きで、特に恐竜と鳥の中間に位置するであろう恐鳥類だけは、いつか絶対作ってみようと決めていた。
 生物分子化学を修めてみたものの、現代の科学と倫理では生きている間に自分の夢は叶わない、と悟った。それじゃあもう用はないので、博士号に行くのは止めにした。
 それで紆余屈折の末、魔女に弟子入りしたというわけ。
 師事した魔女がおおらかだったので、面倒くさい基本教養ーー薬草学に幻想動物学なんかーーは一切免除してくれた。
 それは、僕がとっくに成人していたのも関係していたと思う。
 通常、弟子入りは物心が付くか付かないか、という頃に行う。そうでもないと、染みついた人間社会の常識が、魔術の習得を困難にするからだ。
 ずっと年下の姉弟子たちや、師匠の仕事仲間の多くは、僕をないものとして無視した。どうせ魔女に成れないのに、相手にしても仕方がないと思ったのだろう。
 そして、それは大体正しかった。僕は認定に必須項目を習得していないので、今でも正確には、魔女ではないのである(男なのだから当然だと思う勿れ、魔術を極めた”魔女”という名の職業なのだ)。
 変わり者の師匠が、暇つぶしに教師役を引き受けてくれなかったら、僕は今でも人生に絶望していたことだろう。
 彼女のおかげで僕はただ、有機錬成、特に使い魔作成に関係することだけを、集中して学習することができた。
 高齢を理由に職務から身を引いていた師匠は、実は緑雪の魔女と言って原始呪術学ではちょっと有名なひとだった。
 だから、僕のまじないは目的に合った使い魔を作り出すというよりも、呪いによって発生した自我の種へ受肉するのに近いらしい。
 それを指摘した同業者がいて、その時の会話から師匠の正体を知り、そんな著名人に教えを受けてなんでその素性を知らないんだと呆れられたのだが、それはこの話にはあまり関係ない。学歴社会で育った弊害で、師を少し自慢したくなっただけだ。
 とにかく重要なのは、僕の錬成するものは使役物ではなく、制作に主を特定する式が含まれないので、誰でも所有することができる、という点にある。
 つまり魔女であれば、マークを後付けして使い魔に昇格させることができる。
 誰だって楽できるところは、楽がしたい。けれど魔術の分野はその性質上、未だに既製品が少ないのだ。だから大量に使い魔を消費する場合や、専門外であまり作成を得意としない魔女たちが必要に駆られて、僕の錬成物を密かに、しかしこぞって注文してくれるのは、正直とてもありがたかった。
 修行を終えて、恐鳥類を作り出す、という夢に近づきはした。
 だからといって、まだ万全とは言えない。
 先ほども云ったように、僕はこの頃、まだ望んだ姿、性質を持つ生き物を安定して作り出すことができず、あえて言うなら性質の方向性だけ付属させた生き人形を量産しているだけの状態だった。
 知識も物質的なものも、圧倒的に不足している。研究しながら更に金策もできるのだから、下請け屋と罵られるくらい構わなかった。
 来る日も来る日も、安価な肉塊を作り続ける日々に明け暮れた。
 まずはひとつのものを、均一に造れるようになることだけに打ち込んだ。それができるようになったら、現存する動物を、そっくりそのままコピーした。
 恐鳥類は絶滅して、もういない。
 形だけを薄っぺらく作り上げたところで、再現したとは云えないだろう。まずは複製して観察し、再生のめどを探る必要がある。
 僕は天才ではない。経験はそうやって、蓄積するものだとわかっていた。
 そうやってまた数年、改善と改良に明け暮れた。
 だいぶ生き物の錬成に自信が付いた頃、初めてそれに近い錬成を、仕事で行うこととなった。意外なことに、人間からの注文によって。
 僕の作品は誰でも所有できる。ということは、ただの人間でも、正しい魔力の与え方を知っていれば、飼育することが可能ということだ。
 それを聞きつけた好事家が、幻想動物風のペットを作ってほしいと、依頼してきたのだった。しかもかなりの高額で。
 一も二もなく引き受け、湯水のように材料費をかけた。
 今思い出しても、あれはかなり楽しい仕事だった。
 まず作り出したのが偽コカトリスだった。
 もちろん、毒はない。ニワトリを爬虫類よりにしてワニのしっぽを付けた、それっぽい生き物である。生態が破綻しそうにないキメラ生物、あと個人的に恐竜っぽいのが良いな、と思って作ってみた。
 依頼主にはかなり気に入られて、十年くらい生きたらしい。それで話題になり、幻想動物風ペットとして、ちょっとした人気商品となった。
 初めての成功例だから、思い入れはある。後期のコカトリスはちゃんと蛇尾にも脳があって、あれは正直悪くなかった。
 けれど、しょせん幻想動物「風」である。
 野性味が全然ない。性質がまるでニワトリだから、ヒトには凶暴に見えるかもしれないが、僕から見たらまるでヒヨコも同然なのだ。
 僕が愛するティタニスやドロモルニス、獣脚類から進化したと言われる飛べない巨鳥たち。
 実際どんな生き物であったかは、もちろん明言できない。食性は複数説存在するが、どうであれ強靭な嘴や鋭い爪を持つ脚が、巨体が、非力であったはずがない。
 きっと、苛烈なまでの闘争心を持っていた。大型哺乳類、肉食動物と競合していたのだ。弱小であったはずがない。
 本物が知りたい。
 そこで僕は居ても立っても居られなくなって、頓挫していた魔術の修学を再開し、一部だけという条件を付けて師匠に、地脈と契約を結ぶ許しをもらった。
 地脈とは、本来なら正統魔術の宗派の継承者だけが接続を許されるものだ。
 地脈とは、魔力と魔素の流れのことだ。
 例えば、体内の水分や酸素は排出されて、やがて自然界へ還る。魔力も同じで、生きているものなら動物でもヒトでも植物でも魔力を生み出し、また無意識に消費している。やがて魔素へと分解され、そして全てが地脈へ戻る。
 地脈は河のようなもので、いくつもの傍流を持つ。
 流れによって歴史があり、得意とする動きがあるのだ。だから魔女の師弟は魔力傾向の似た同士がほとんどで、それぞれが保持する地脈と強固に繋がることによって双方の魔力を強化し、一派の術の成功率を上げる。
 本来ならおいそれと学べない、云わば奥義である。
 けれど何度もいうように、うちの師匠はちょっと変人だったので、僕がどういう理由と理屈で接続権が欲しいと思ったのかを丁寧に説明したら、あっさり許可をくれたのだった。
 師匠にはもう地脈契約を結べそうな弟子がなく、所有する地脈自身がそこまで重要な位置にないので、もしも枯れたとしても問題ないと判断してのことだった。
 そして恐らく、僕の説を面白いと思ってくれたのだろうと信じている。
 宗派によっては、地脈を「ビブリア」とも呼ぶ。
 そこではわざと魔力に跡を残して、地脈そのものに秘伝のまじないを記し後世へ伝えるのだ。系統の魔女だけがアクセスできる、積み重ねた記録を貯めておく、いわば会員制の書庫なのである。
 僕はそれを聞いて、利用できるのではないかと考えた。
 結局僕の仮定はそんなには間違ってはいなかったのだけれど、正確に証明することはできないし、それを長々と説明すると本が一冊できてしまうくらいなので、ここは手短に説明しよう。
 水循環だ。
 水はその形を変え続けるが、存在全体の質量は大体一定だ。そして魔力と水は、ほとんど同じ性質を持っている。
 正統な魔女は地脈との繋がりを「より強固に」しているだけで、元々誰もがーー魔女に限らずーー地脈と魔力を循環させているのである。魔力は分解はするが、そのものの状態を変換しない。恐らく、無限にも見える分岐の中、あるいは誰も到達したことのない地脈の主流のどこかに、創始の魔力があるはずなのだ。
 南極の氷が何万年も前から凍っているように、昔の形を留めて保存され、そこから当時の環境情報を得ることができるはず。
 理論上は、そこに全ての記録が「ある」。
 契約した地脈から鳥の魔力に近しい流れへアクセスし、その古い記録を抜き出して、まっさらな呪いに書き写して定着させる。鳥類の前種族に近しい性質が、再現できるのではないかと思ったのだ。
 そして偽ペットで稼いだ潤沢な研究資金を惜しげもなく使い、大元の呪いに少しずつ細かな設定をつぎはぎし、何年もかけて組み立てたのが、グーグーだった。
 この時は一番見込みがありそうだと思った、ガストルニスを参考にした。
 近縁だと言われているカモ肉を媒介の中心に、ダチョウの素材も足したので、体格はかなり本物に近づけられたと思う。少なくとも、骨格はアメリカの有名な化石そっくりに出来た。
 ドードーにダチョウのフリをさせたような体つきは、好みから筋肉をつけすぎたせいだ。首ががっちりしていて頭が大きく、ツル目に勘違いされたという足も、その面影がないほど太かった。
 全部が全部そのまま身体に再構築されたわけではないが、使った素材は三百キロを超えた。あまり脚は早くなかったと推測されているので、重さに関しては諦めた。まだ魂を定着させてないので、素体は運動不足で肥満気味だったこともある。
 嘴も爪も大きいのに丸みを帯びているため、ガストルニスは草食であったと考えられている。それに高さも二メートルほどしかない。安全を考えて、ガストルニスを選んだ所以だ。
 親和性のある呪いを重ねて作った感じ、かなり臆病な性質の生き物であるらしい。
 その時は、御しやすくて良いだろうとしか、思っていなかった。
 気が付くと、研究室の床に倒れていた。
 呪いに受肉させ、目覚めたグーグーから何の前触れもなく蹴りを食らったことは覚えている。
 多分グーグーは、知らない場所、目の前の見慣れぬ生き物に怯えたのだろう。それで、たぶん蹴られた僕は、打ち所が悪くて死んでしまったのだ。
 たまたま、注文の品を取りに来ていた魔女が気付いて、蘇生してくれたので助かった。昔読んだ、『ガストルニスは脚力が強くなかった』と書かれていた論文の、顔も知らない筆者へ内心毒づきながら、助けてくれた魔女へ礼を言った。
 それから上半身を起こそうとしたら、動かない。
 さては重大な肉体破損か、と見れば、腹の上にグーグーの頭が乗っていた。白目を剥いて、どうやらこちらも死んでいるらしい。
 魔女が見た話では、家の外からでもわかるほど、室内で何か大型動物が暴れまわっている気配がした、その後はぱたっと音が止んでそれっきりだったという。どうやら、心臓発作を起こしたらしかった。
 そんなふうに、最初のガストルニスからは、グーグー唸ることくらいしかわからなかった。
 その後、安全性を考えかなり小型に作り直した地脈由来の恐鳥類たちは、ことごとく長生きせず、中には誕生さえせず細胞が崩壊したものもあった。
 恐らくは、地球の環境が当時と今で劇的に違うことも関係しているのだろう。温度だけではなく、重力も酸素濃度も、ひょっとしたら魔素の質も異なっている。差異を「知る」恐鳥たちは、生きるというただそれだけにも耐えられなかった。
 僕はそこで、研究に頓挫してしまった。
 本物に拘るあまり、動物たちに不必要な苦しみを与えてしまった罪悪感は、長く僕を苛んだ。そして最終的に、恐鳥類の完全再現は不可能であるということを、認めざるを得なかった。
 ただ、この時は科学に失望したときのような、絶望は現れなかった。
 僕は特定の個体のクローンを作ることに固執していたわけではない。古代生物学において、わからないことは多いのだ。むしろ、多くの事実がこじつけの推論であると言っても過言ではない。
 僕は幼い頃に空想の中で愛した生き物を、この手に抱ければそれで良い。
 牙を保護する分厚い唇があろうがなかろうが、羽毛があろうがなかろうが、ティラノサウルスはティラノサウルスなのだから。
 それで僕は、慎重かつ大胆に、「僕が考える最強の恐鳥類」をデザインすることからやり直した。
 思うに僕は、ごく普通の子どものように恐竜に憧れがある。これは強く、しなやかで、冷血だ。
 その子孫である鳥も良いのだが、飛行のために多くが小型化したところが残念なのだ。だから、エミューのような飛ばない鳥に殊更惹かれる。これらは恒温動物、群れと言う社会を持つこともあるが、大抵の野生動物と同じく、人間とは一線を画する行動原理をもっている。草食よりの雑食。
 恐鳥類は肉食が多かったと思われている。後世で鳥が逃げるために磨いた脚力は獲物を追うために使い、歯を捨て嘴と爪だけでミニマルに狩りを行っていた。
 これらを踏まえると僕が欲しいのは「けして自分の思い通りにならない美しい大型危険動物」、もっと端的に言えば「ツンデレのモフモフ」ということになる。それを明言するのは、かなり恥ずかしいことではあったが。
 何はともあれ、方向は見えた。
 最終的な素材のベースは、ジャイアントモアにした。
 けれど、肉食であることは必須だ。脚は太くたくましく、大きな頭に猪首である。
 性質の基礎はヒクイドリ。地脈から産まれた鳥たちも臆病だったが、一旦激昂すると攻撃は執拗かつ荒々しかったので、そう遠くはないだろう。
 計画を始めてまず、名前を付けた。個体名はルフ。ゾウを餌にするくらい大きくて強いという、伝説のロック鳥からつけた。つくづく、僕は鳥が好きだ。
 ルフはまた、卵から作った。
 殻の中に素体の大まかな完成図を入れ、生態は後から少しずつ書き込むのだ。
 そしてそれまでと最も異なる点は、ルフそのものを地脈と関連付けたことだ。
 例えば肉食と書き込み、その他は卵の向かうままに任せる。繋がった糸が近縁の動物から設計を汲み、部位が埋まれば良し、そうでないならば誘導してやって、二人三脚で構成を作り出した。
 おかげで全部の行程が終わるまで、二か月以上掛かった。
 そうして更に三か月温めたが、結局ルフ自身が殻を破るのを待たず、未熟なまま取り出すことになった。
 ダチョウをモデルに作った卵が小さすぎたのだ。容量が足りず変形してしまったので、そうする他に方法がなかった。
 最低限の内臓は揃っていたし、何より地脈との繋がりが濃かったので生命力は十分ある。それ以外の一切の魔術が使えない僕だから、保育箱だけで延命できたのは、本当に幸運だった。
 二・三時間置きの給仕に湿度管理、何よりじっとうずくまる羽毛もないルフが心配で、眠れない数週間を過ごす。
 そんな中で唯一の慰めとなったのは、その美しさだ。
 体色の設定をすっかり忘れてしまったのだが、出てきたルフは白と黒の斑に、尾がメタリックブルーの配色だった。嘴は黒の筋が混ざった象牙色で、目元が血のように赤い。瞳は薄灰だったが、これは恐らく幼鳥の時だけだろう。
 これは本当に、嬉しい驚きだった。
 最終的に、ルフは左足が曲がったまま骨が固まってしまったが、ニワトリ大に成長するころには、家の中を自由に動き回れるようになっていた。
 鳥というより、前足のない犬のようなシルエットをしているのが興味深い。前かがみなのは室内に障害物が多すぎるからかもしれないし、いつでも跳びはねられるようにその体勢を保っているからかもしれない。
 ルフは大抵僕に付きまとい、周囲の最も高い場所から動かない。見つかったと思うと、素早く移動をする。障害があることを考えると、驚異的な機動力だ。
 餌は魚のスリミから茹でたささみになり、そろそろ生肉へ移行すべきか考えている。将来的にはウズラとウサギを飼って、庭で好きに狩らせるのが健康にも良いだろう。
 ルフはけして、僕に馴染もうとしない。
 眠っていると、時々檻から脱走してきたらしいルフが、じっとこちらを見ていることに気が付く。親愛の視線では、もちろんない。眼球、柔らかそうな喉元、そんなところを狙っている。
 いつか、恐鳥を作るという夢は叶った。
 後は特に希望はないので、生きるのに飽きたところでルフに食べてもらうのも、悪くないと思っている。


読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。