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72. 異臭

 家にいると、何かが臭う。
 日に日にその悪臭が、強くなっているように思う。古いアパートメントの中階だから、生活のトラブルは多い。上の階か下の階か、あるいは横かもしれないが、下水を詰まらせたりしたのかもしれない。
 壁の中だったら、どこに故障があるのかで、周囲が気が付くのに時間がかかるだろう。急に冬めいたせいか、体調が崩して自宅待機しているわたしが、たぶん異臭に気が付いた最初の住民なのだ。
 けれど不調の身の上だから、大家に連絡したり、いつ来るかわからない修理工を待つ気力が沸かない。甚だ不愉快ではあるが、他力本願に、誰かが何とかしてくれるのを待つことにした。
 数日経っても、誰も行動を起こした様子はない。
 わたしは軋む関節を励まして、何とかお茶を一杯淹れた。味のしないティーバッグのそれを啜り、ひょっとしたら悪臭の原因は、どこぞに入り込んだ動物の仕業なのかもしれない、と思った。
 ここのアパートではないが、以前住んでいて場所の上階で、コウモリが住み着くということがあった。
 否。住んでいた時は気が付かなくて、どうも伝染病にかかって群れの大半が死に、死体が腐って発覚したのだ。
 古くて雑な集合住宅だったから、昔の煙突と配管の間にあった隙間に巣ができていた。外からどうすることもできなくて、結局壁一面を取り壊すしかなかったそうだ。その後も問題が尾を引いて、全体的に管理は不可能となり、建物ごとなくなってしまったと聞いている。
 それかと思い、キッチンとバスルームの排気口に気を付けてみたが、異変はそこだけではない気がする。家の中のどこにいても、なんとなく嫌な空気が漂っているのだ。移動したから強くなるということがないから、問題は天井か床下なのかもしれない。
 断言ができず、そうなるとクレームをつけることもできなくて、またしばらく問題を先延ばしに放置した。異臭のせいで、なかなか体調も元に戻らない。
 突然、吐き気を催してトイレに駆け込む。
 億劫で掃除が行き届いていない、埃だらけの洗面台に寄りかかり、二・三度えづいた。喉に大物がせりあがってくるのを感じて、やっとのこと吐き出すと、胃であった。
 洗面台の中にある、ところどころ崩れて黒くなった内臓を、息を整えながらわたしはじっと見つめた。
 そういえば、ここ数日間鼻水が止まらなくて、紙を丸めて詰めていたのである。吐しゃ物に圧迫されている間、当然口では息ができていなかった。けれど別に、苦しいとは思わない。鼻からあまりにも大量に黄土色した体液が出てくるので、おかしいと思ったのだ。
 ああ、自分はとうに死んでいたのだ。
 悟った瞬間身体から力が抜け、その場に崩れ落ちた。


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