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96. 黒のゴミ袋

 例の感染病が横行して、わたしの生活で最も変わったものを強いて挙げるなら、朝の習慣だろうか。
 まず、出勤することがなくなった。
 わたしはヤングアダルトを対象とする心理療法士をしている。学習能力に長けた子どもたちのカウンセリングと発達の研究をしていたのだけれど、近年の不況で研究が打ち切られ、もっぱらティーンネイジャーの愚痴を聞く相槌役となっている。
 幸い、インターネット回線さえ繋がっていれば、どこに居てもできる仕事だ。
 感染病を食い止めるためと自宅隔離を余儀なくされて、ストレスが溜まりがちな世相である。子どもたちにも保護者にも、カウンセリングは必要不可欠なものであり、リモート面談は快く受け入れられているように見える。
 親は特に、子ども一人を通院させなくて良いことに好意的である。思春期を迎えるとプライベートの問題を白状する心理療法士との面談に、同席しなくても親の同伴を拒否することは多いのだ。
 だから、これは表立っては言えないけれど、怪我の功名で子どもの部屋でチャットで話題にしている問題が「うっかり聞こえてきてしまう」のも良い、という話も聞いた。まあ、これはほどほどにね、と言ってある。親子の信頼関係的には良くない。けれど、所詮カウンセラーは助言を与えるのみ。誰にも命令はできないのだ。
 さて、それまで一時間かけて通勤していた時間がまるっと自由にできるようになって、のんびり朝食が取れるようになった。
 数年前に離婚し、誰と一緒というわけでもないから、メニューは簡素だ。面倒なときはシリアルに牛乳。作るとしてもせいぜいトーストと、玉子にサラダ、コーヒー。
 これを表通りに面した居間へ持っていって、外を見ながら食べる。
 と、その前にまず体温を測る。
 熱があったり目が充血していたら簡易セットでウイルス判定を行う。が、幸いまだ一度も陽性になったことはない。まあ、そうなっていたら今現在、ここでのんびり食事をしているなどありえないが。
 一般的に、八度を超えると疑わしいと言われている。高熱が数日続き、その後に四度をきったら決定打。後はない死病である。
 手元の体温計が指すは三十五度、わたしの平熱だ。今日の朝食は、最後の晩餐にはならなかった。お祝いに、たっぷりバターの染み込んだトーストを一口。コーヒーはまだ、十分以上に温かい。
 マンションの前の三車線ある通りは、郊外としては大きめだと言えるだろう。
 バスは二本走っている。以前もあまり頻繁ではなく、せいぜい二十分に一度の路線だった。現在は一時間に一本、ないこともある。
 地階に商店が入っている建物の間に、程よくマンションが挟まっている。通りで建築の高さが揃わないのは、ご愛嬌だ。それだって、三階に住むわたしからすれば、見通せる先にバリエーションを与えてくれる利点になる。
 朝早い通りに、人の姿はほぼない。代わりに色とりどりのゴミの、袋が通りを埋めている。
 ゴミの収集が毎日になったのは、この辺が一番遅かったと聞いている。都心が最も早かった。人の数が桁違いだから、それは当然だと思う。
 感染者との接触を避けるため、できる限り外出しない生活が推奨されて久しい。
 学校が閉鎖されオンライン化し、多くの物品はデリバリーシステムを利用して交換されるようになった。
 ゴミは以前なら一般ごみの収集日が、地区ごとに決まっていた。生ゴミ、リサイクルと再利用できる資源別に分けて、各地区の収集所へ捨てに行くのが普通だった。
 今は袋で色分けしておけば、毎朝回収してくれる。けれどある程度溜まってから捨てないといれる袋代がもったいないから、昨今の一軒家の住民はゴミに埋もれて暮らさなければならないらしいと、何かの記事で読んだ。
 集合住宅だと、ゴミはダクトシュートで毎日捨てることができていた。
 今もそうだ。今は午前が一般ごみ、午後からは月曜は紙、火曜はプラスチック、と資源別のゴミを出す日が決まっている。一週間でちょうど全種類廃棄できるようになっているので、生活に不便はない。ありがたいことだと思う。
 玉子を食べ終わったところで、通りの向こう、誰かが黒いゴミ袋を持っているのが見えた。
 街路樹の枝で、顔を見ることはできなかった。女である、と思う。政府推奨通りに、厚着の上で、首にはマフラーを巻いている。フードを深く被り、うかがえる口元にはマスク。キッチン用のゴム手袋には、黒いシミがついていた。
 黒いゴミ袋は、感染症関連で汚染の危険があるものだ。
 普通ならば大きく、重たいそれを出すのに女の腕力では足りない。心配になって見ていたら、女はすぐに建物へ引き返し、二つ目、三つ目と袋を次々に運んできた。よく見れば、それぞれ中身が半分以下しか入っていない。
 どうやら、内容物を小分けにして運ぶ作戦のようだ。工夫は評価できる。小分けにされた中身を想像すると、素直に感心はできないが。
 袋ひとつでも、女には十分な重量があるらしい。足取りも危なっかしく、ふらふらしている。ゆっくりと、落とさないように、女は数メートルの距離を移動する。
 恐らく、患者の縁者なのだろう。妻か、恋人か。わたしはフードに隠れて見えない目元が、赤く腫れているところを想像する。
 しかし、介錯人は何をしているのだろう。
 流行り病の後始末をつける職業には、そういうあだ名がついている。あるいはフェンシングの防具マスクに似たものを被っているので、ナントカレンジャーと呼ぶ人もいるらしい。『ナントカ』の部分に、好意的な単語が入ることはない。
 この伝染病は濃厚接触によって罹患すると考えられているのだが、分布が広いわりには患者数が少ない。目が赤くなった感染者はひと目でわかるし、症状が重くなると動きが鈍くなる。それらと距離を取るのは難しくないのだ。
 だから、自宅で身罷ることが許されている。
 そもそも、感染イコール致死の感染症を、病院で隔離するのが難しい。初期には公共施設にベッドを運び込んで集めておくこともやっていたようだけれど、錯乱した末期患者が別の患者を噛み殺した事件があって、人道的ではないと批判され閉鎖されてしまったのだ。現在、よほどの金持ちだけが、専用の施設で安らかな死を待つことが許される。むしろ、家に閉じこもってもらわないと困ると言えるだろう。
 ただし、感染がわかった時点で申請をしなければならず、意識があるうちに出入り口を厳重に封して、玄関に罹患者がいることを示しておかなければならない。違反は、遺族に課せられることになる。そうして自然に、互いを監視させるのが目的なのだ。
 そうした遺体を収容して消毒し、その後の然るべき処理をするのが、介錯人たちなのである。
 五つ目のゴミ袋は、玄関を出てきた介錯人が女に手渡した。
 様子を見て思うに、女がゴミ出しは自分でしたいと申し出たのだろう。さり気なく、最期を見届けることもできる。感染の危険を侵しても、そうしたい気持ちはよく分かる。
 女に声をかけた役人は、マスクで顔は見えないけれど丁寧で礼儀正しい身振りだったが、後の二人は明らかに手持ち無沙汰な感じで、始末道具を持って早く終わらせろと言わんばかりだ。
 その気持も、わからなくもない。家族にとっては唯一の死だが、介錯人にとっては毎日数件あるうちのひとつなのだから。
 女は最後の袋を歩道に出し、その前に膝をついて、熱心に祈っている。触れ合うほど近くに下げた頭に、ゴミ袋が触れそうになった。
 ビニールの中で、何かが飛び跳ねた。
 隣に立っていた介錯人が、慌てて袋を蹴って遠ざけた。わたしはその光景に驚いて、ついコーヒーを服にこぼしてしまったのだが、それをどうにかするよりもまず、何が起きているのが見届けることを先決とした。
 あんなに小さく切り刻まれても、まだ動けるのだ。
 この奇妙な病気は突然この世界に現れた時から、死んだものが動き続けるという恐ろしく奇怪な症状を示す。その頃には感染力が弱まっているとされ、通常の埋葬ができないことから、政府はそれをそのまま廃棄場に出すことを許可したのだ。
 だからわたしのような小心者は、毎朝どこに黒いゴミ袋が出たのかを確かめ、きちんとそれが収集者のローラーの中に消えていくまで見なければ、怖くて何も手につけられない。
 幸いなことに今朝は、それ以上の騒ぎは起こらなかった。恐縮しているらしい女と、それを宥める介錯人と、ただ突っ立っている後ろ二人の野次馬がやがて解散して、その場には誰も残らなかった。
 わたしはそれでも、しばらくゴミ袋を凝視していたけれど、こちらも何の反応も示さず、大人しくそこに落ち着いていたので、食べ終わった食器はテーブルの上に置き去りにして、着替えるために寝室へ向かった。
 セーターを脱ぐ時ふと、赤茶けたコーヒーのシミが目に止まり、一瞬ゴミ袋の中のあの人と、わたしが一つに重なった。
 けれど、わたしにはあのように、最期に運んでくれるひとがいない。
 時刻はそろそろ、最初の相談者がチャットルームに入室しそうな時間である。急がなければ間に合わない。居間に戻って、ゴミ収集車が着たのか見ることは、叶いそうになかった。
 脱いだセーターが汚らしいもののように思えて、それを床の上に捨て置き、わたしは脇目も振らずに寝室を出る。


読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。