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68. 一部

 小学校最後のサマーキャンプで、出てきたサンドイッチに耳が挟まっていた。
 湖に遠足へ行き、グループで好きなところに座って昼食をとっていたところだったので、幸い大した騒ぎにはならなかった。わたしたちは皆のいる水辺から少し離れた、倒木のうろで洞窟ごっこをしていて、叫んだ声が響かなかったのだ。
 けれど、四六時中行動を共にするのがサマーキャンプというものだし、子どもは守秘などできないから噂は瞬く間に広まって、夕方にはキャンプの誰もが、耳サンドイッチ事件を知っていた。
 それはわたしに渡された包みではなかったけれど、狭い場所で膝をつけるように座り合ったハリーのものだったので、どんなふうに入っていたのか、よく見えた。
 こっそり隠す気は微塵もない、順当にワックスペーパーを広げたらまず目につくところ、パンの上に添えてあった。そう、実際には挟まっていたわけではなかったのだ。わたしには、間違っても口に入らないように配慮されていたように感じた。
 耳はちょっとしなびていたけれど、綺麗な肌色をしていて、わたしは最初それを同じ班のジムのいたずらグッズか何かだと思った。だから実物を知らない子たちが伝聞する毎に「血まみれで」「ピアスだらけの黒人の」「手のひらより大きな」耳だったと大仰になっていくのが、なんだか可笑しかった。
 まだその時は、笑っていられる余裕があった。
 夕飯の時、食堂で一緒になった同じ音楽クラスをとっている子が、カレーを食べながら耳の出現について言及し、わたしは多少の事実訂正はしつつ、知りうる耳の特徴を述べた。
「やっぱりね」
 頭のどこかだとは思ったよ、とリックが言うには、去年は二の腕だったのだそうだ。
 なんでも毎年キャンプのどこかで、食事の中に人体の一部が紛れ込むということだった。
 リックは今年で三年目、六年前までは従兄が参加しておりどちらも在籍していなかった数年のブランク以外は、目撃者からの証言とその目で確かに事件を見て知っていた。
 夜になり、二段ベッドがふたつある四人部屋で、この日は年上の女の子たちと寝ることになった。
「キャンディバーの袋から出てきた年もあるそうよ」
 子どもだからという理由で極端に早い消灯時間は、多分寝ないでおしゃべりすることを想定しているのだと思う。
 電気が消された後、慣れた手つきでキーホルダーのペンライトを付けたブロンド髪のキャシーが、「耳、あんたの班だったんでしょ?」と明かりでわたしの顔を照らした。疲れてもう寝てしまいたいけれど、下段のベッドで逃げ場はない。頷くと、やっぱりね、と年上の女友だちはにやっと笑った。
 アニータが、バッグに隠してあったチョコレートを少し分けてくれた。
 これは余談だけれど、子ども達は持ち込みを禁止されているお菓子を、隠れて夜に食べる。だからサマーキャンプ後は歯医者が儲かるとまことしとやかに囁かれ、近くの歯科医はキャンプ場と経営陣が繋がっているという噂があった。
「指がね、グミの袋にバラバラ入ってたんですって。不思議よね、袋を開けた子は、それがいつ入ったものかわからなかったのよ。ここに来る直前に駅前のショップで買ったのを、普通にハサミで開けたんだもの」
 次々と開けられては空になるポテトチップスやキャンディの袋を前に、わたしは最初のチョコレートが、どうしても食べ終われない。
 二日後、ガーデニングの休憩時間にスイカを食べているときも、まだ話題は耳サンドイッチについてだった。
 わたしみたいな新参者も、その頃にはもうすっかり一連の内容に熟知して、初めて発見されたのは二十一年前だっただの、以来キャンプの最初の週には必ず食事の中から見つかるだの、聞かれれば即答えられるほどになっていた。
 警察が関与したことも一度や二度ではないが、いつも不明なままうやむやになってしまうので、どうもキャンプ側も、開き直って名物にしているような節がある。様々な街から来た子ども達とキャンプの間共通する話題として、ジョークのネタとして、これを利用して絆を深めているらしい。
 知ってる? 一番最初に見つかったのは足首だったんだ。この時だけは最終日のバーベキューの時、係りの先生がクーラーボックスから、挟みで掴んで網のうえにひょいっと乗っけたんだってさ。誰もそれがいつ入れられたものなのか、誰のものなのか、知らないんだ。左足首だったそうなんだけどね。
 実は犯罪者の処罰で切り落とされたものだとか、遺伝子検査結果から同じ男の身体であることがわかったとか、説は様々あるけれど、この辺は多分作り話だと思う。
 二十年以上ちょっとずつ現れるのであれば遺体は冷凍などして保存しているのだろうが、後に出てくる部分に焼けなり、痛んだところがない。いつもフレッシュであるのなら、きっとその都度切り落としたばかりのはずだ。被害者がひとりであるはずがない。
 わたしは数日耐えたが、五日後とうとう倒れて、家に帰された。
 どうしても食事、特に肉が喉を通らなくて、貧血になってしまったのだ。搬送された病院に両親が迎えにきて、そのまま、キャンプへは戻らなかった。
 わたしは理論的にベジタリアンという食事志向には懐疑的なのだけれど、それ以降は茹で野菜や果物ばかり食べている。
 当時の、あの光景を思い出すと、見た目に材料がはっきりしないものは、口に入れられなくなってしまった。ドレッシングやディップのように何が入っているかわからないものは食べられない。味付けがシンプルな食事は、時に苦痛である。
 あの夏を思い出すと、胃がぞわつく。
 今もキャンプの子ども達は、人体の一部が出てくるかもしれない食事を、何の疑問も抱かずに口に運んでいるのだろうか。材料を怪しむ様子もなく、無邪気に、楽しそうに。

読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。