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71. 占いの結末

 ある占い師が居た。
 ヒトとしては大変腕が良く、その気になればどんな未来も過去も、ぴたりと言い当てることができた。なんでも幼い頃妖精に引き取られて、先占術の手ほどきを受けたという噂だ。
 しかし、占い師は人外を仰ぐ方が良い。
 なぜって、ヒトは感情的な生き物だからだ。好奇心も強い。誰だって、自分の運勢を占ってもらいに行って、勝手に知られたくない秘密まで、覗き見られてしまっては面白くないだろう。
 また、腕が良すぎるのも困りものなのだ。
 少しでも望みに添わない予言が出たとき、依頼者は激怒する。まるで占い師が、不幸を呼び込んだかのように。逆恨みを買うこともしょっちゅうだから、人間同士がその性質を捨てきれないまま、扱いきれない神秘で持って、関わりを作るとまず良い結果にならないのだった。
 だからということもあるし、いつも真実を見通せるものだからすっかり人生に憂いていたこともあって、この占い師は真実を虚実を混ぜ合わせ、適当な事ばかり言っていた。周囲の誰も、彼を有能とは思ってはいなかった。
 そうしてクリスマスフェアの中、子供だましの占い師を演じていた時だった。
 ある少女の未来を占っているふりをしていて、偶然この子の妹らしき赤ん坊の手相が見えた。それは今まで見たこともないような、素晴らしく幸運に満ちた人生を過ごすだろうことを示していた。
 占い師には、これがとても魅力的に見えた。
 どうしても少女の人生を手に入れたくなった占い師は、どうすればこれを奪うことができるのかと考えた。 
 運命とはスキーのジャンプコースだ。
 ほとんどの場合、跳ぶことはできる。けれど、選手によって飛距離が異なる。フォームの美しさも同じではない。そしてたまには、事故もある。多くの者が勘違いをしているようだが、運命は絶対ではないのだ。
 違うコースに乗るだけなら、誰にでもできる。
 多少コツはいるが、難しいことではない。けれど、他人と全く同じパフォーマンスをするだけでは運命を盗むのには不十分だ。繰り返しては、すでに起こったもの、手に入れられない。ただの猿真似になってしまう。その人として、その人がやるべき演技を先に成してこそ、真になり替わることができようというものだ。
 占い師は、その研究に没頭した。
 それに平行して、地位も固めていった。
 赤ん坊はこれから成長する。手相を定期的に確認し、軌道修正する必要があるだろう。幸いなことに少女の両親は超自然的なことに好意的ではあったが、道端で小銭を稼ぐような大道芸人が、頻繁に接触しては怪しまれる。近づきすぎず、周囲から噂を得られる程度の、社会的立場が必要であった。
 元々才能ある占い師だから、本気になれば好事家たちの興味を引くなど造作もない。
 経過は順調であった。
 ただ、苦労したのは名前のなり替わりで、どうしても上手くいかない。
 自分が少女の名前を自分のものとすると同時に、少女に別の名称を与える必要がある。そしてそれが、即座に身体に馴染まなければならないのだ。そこさえ成功することができれば、もう全てが終わったも同然なのだが。
 何年も何年も、占い師は試行錯誤を繰り返し、結局運命を盗むことは叶わずこの世を去った。 
 彼が高めた自身の名声は、全てを見通されると困る人間を不安にさせるのに十分な声量であったらしい。人込みに紛れて背中を刺され、あっさり占い師は死んでしまった。犯人はどこの誰かはわからない。これから先もわからないままだろうと思われる。
 少女はその運命を全うしたが、第三者から見ればごく一般的な人生だった。一体なにがそこまで占い師を魅了したのか、今はもう知りようがない。


読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。