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02. クラウディメルの呪い

 わたしには夭折したいとこがいるのだが、これが生まれついてクラウディメルの呪いを受けていた。
 年がそう離れていないので実際に見たわけではない。けれど大人たちの囁きを集めて想像するに、呪いの特徴がよく出ていて、輝く銅色の髪と緑の目が生えていたそうである。
 罹患による死亡率は低いという話だが、新生児のいとこは身体が小さく弱く、呪いが体表の大半を覆っていたので、生き延びることができなかった。
 このいとこが三つ子だった。
 一番下はなんの障害もなかったが、真ん中の子は顔の左半分が潰れていた。多胎が原因ではないので、呪いの弊害と思われる。幸い変形が著しいだけで、身体機能に大きな問題はないとの診断だった。
 とはいえ、治療は早期が望ましい。
 足りない部分は、亡くなった長女の遺体から移植された。ひしゃげた頭蓋の整形に、呪いの一部が使われたそうである。
 その事実を知ったとき、わたしは何を思うよりもまず納得した。
 というのも、彼らの母親であるところのわたしの伯母には、美に固執する性質があることを知っていたからである。わたしが物心ついた時にはそれと気が付いていたくらいだから、彼女のそれは相当根の深いコンプレックスだった。
 これも盗み聞きして知ったことだが、伯母は若い時分舞台女優を目指していて、成功しなかった原因が、容姿にあると思い込んでいるらしいのだ。
 クラウディメルの呪いは、確かに非常に美しい。
 本来あるべきではない場所に身体の部位が現れる。唐突に、あるいは微妙にずれて。それが重複する病例も多い。
 人間は一般とあまりにかけ離れたものに嫌悪を催すから、この点では悲惨の一言に尽きる。
 しかしそこに、他者は人知を超えた美しさを見るのだ。
 首筋に現れた緑の瞳も、脇腹から突き出されたすんなりした白い腕も、完成されている。だからもし仮に、症状が体躯の単純な変貌であったのならば、誰も呪いとは呼ばなかっただろう。
 だからこそ、余計におぞましいのである。
 亡児の胴を覆っていたのは比較的バランスの良い一つの顔であったそうだが、それでも切って体裁を整えると、半分しか使えなかったそうだ。
 「しか」と言うか「も」と言うかは、人による。
 翡翠色の瞳を移植するために元の眼球を取り除いたので、いとこの左目は視力が無くなってしまった。嘘か誠か、頭頂部分は姉を窒息死させたかもしれない、舌に生えていた毛なのだそうだ。他にも毛髪は生えていたが、それが最も映える赤色をしているので選ばれた。
 左右で異なる面相を整えるため、いとこは何度も整形手術を受ける必要があった。
 わたしの記憶の限り常に、赤く腫れて痛々しい手術跡を抱えたいとこは、ちぐはぐな印象は拭い去れないながらも、この世のものとは思えない美貌を有している。
 生まれ持った身体にメスが入らなかった場所はなく、それはつまり、本来の外見が失われたことを意味する。
 伯母は我が子の容貌がたいそう自慢であるようだが、本人は人の目を嫌がって、家に閉じこもりがちだ。不登校になって、もう何年にもなる。
 もしもいとこが女であったのなら、また別の救いがあったのかもしれない。
 けれど、致死病ではないはずのクラウディメルの呪いにかかった患者の、少なからずが自殺している事実を考えると、仮の話にも光明はなかったように思われるのである。

読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。