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21.三人のアリア

 最初の少女が亡くなったのは、彼女が九歳になる前の月のことだった。
 珍しく乳母と一緒に買い物に出かけ、馬車に跳ねられて死んだのだ。
 花の好きな少女であった。父親が植物の研究者であったので、その血を継いだのだろうと人々は言う。
 身体の弱い子であったので、就学の年になっても学校へ通わず、屋敷に籠って家庭教師から学んだ。母親はとうにない。父は身分の高い男であったが学問に夢中でフィールドワークに忙しく、あまり家へ帰らなかった。
 そんな父親であったというのに、娘の死には叩きのめされてしまったらしい。その嘆きようといったら、詳しい事情を知らぬ者でさえ、胸をかきむしりたくなるほどだった。
 古い家柄なのである。
 高貴な血筋の人間は、時にこのような、後継者問題に直面する。珍しいことでは全くない。だからそれを解消してくれる商売と、コネクションがあるのは当然だろう。
 父親はその神秘のことを、昔から承知していた。
 それまでは機会がなかったので、使ったことがないだけだ。機会と、先立つものと、材料となるものと。
 男は伝手を辿って、ある魔術師に娘を黄泉がらせるよう依頼した。
 魔女は、少女が残した日記やお気に入りの品、あるだけの遺品を全て差し出すように男へ命じた。
 そこから記憶を再現するのである。多ければ多いほど、本物に近づくと言った。男は亡児の部屋中の家具からカーテンまで、どんな些細なものも、残らず魔女へ差し出した。
 さらに少女の遺体まで利用して、作り出したのはひとつのゴーレムだった。
 九歳になる直前の、娘そのものであった。
 相槌を打ち、返事をし、そして花を愛でる。
 父親は大層喜び、それからは趣味の研究もそこそこに、娘を猫かわいがりした。それこそ部屋から一歩も出さないほどに、大事にしたのである。
 異変に気が付いたのは、数年後のことだった。
 アリアは年を取らぬ。娘と全く同じ好物を食べ、口調を等しくしながら、成長が見られない。しょせんは思い出を泥で固めた人形であるのだから、これは当然のことではあるが。
 更に少女は己の存在を保つため、かなりの時間をかけて、魔術を習わなければならなかった。そこに、陽の中で植物を愛でる姿はない。だからといって肉体管理を疎かにすれば、たちまち腕やら足やらがちぎれ落ちるのだ。
 それに、父親は耐えられなかった。
 再び魔女へ、違うアリアを制作して欲しいと頼む。
 いわゆるホムンクルスである。
 母親はもういないので父親の遺伝子を多く受け継がせることになったが、魂の形はオリジナルを復元して作り、ほとんどクローンと呼べるほどの個体を作り出した。正しく、人間のアリアである。
 もちろん二人目は赤子から、育てなければならない。
 教育係には、一人目のアリアが就いた。
 遺髪の一本残っていれば完全なアリアを作り出せたものを、一番目に遺品も遺体も使い切ってしまったので、できなかったのだ。記憶を受け継いだ精神さえ、泥の身体と深く繋がっていて再利用できない。二番目のアリアを「アリア」となるべく育てさせる以外に、使い道がなかった。
 一番目のアリアは、黙って父親の指示に従った。
 ところが二番目のアリアは、オリジナルと全く違う性格になった。
 一番目のアリアは細やかにアリアの思い出を語って聞かせはしたのだが、しょせん二番目にとってそれは他人事でしかなく、同じように考え行動しようと、するはずがない。逆に反発するようになり、二番目のアリアは奔放に、好奇心旺盛な性質となったのだった。
 八歳の誕生日、かつて娘に与えた全く同じプレゼントを喜ばなかった二番目のアリアに、父親は再び失望した。
 そして三人目に魔女が作ったのは、ドッペルゲンガーだった。
 正確に言うなら、ドッペルゲンガー風である。一番目のアリアが蓄積したアリアの思考回路をベースに、二番目の育成具合から未来の姿を想像し、そうであるように成長し行動する女優人形である。
 これは、もう最初からいけなかった。
 父親の求める姿を察して鏡のように同じ猿真似をするので、かえって鼻につくのである。理想の娘像であればあるだけ、人外であることがくっきりと浮かび上がってしまうのだ。
 そうして、父親は姿を消した。
 何故三人のアリアを始末せず、自ら失踪したのかはわからない。ひょっとしたらそれは、全く同じ容姿を持つ年齢の異なるアリアたちへの、残された最後の愛情であったのかもしれない。
 三人のアリアたちは数年、変わらぬ暮らしを続けた。
 そしてある時、ひとりが「もうお父さまは帰らないのではないかしら」と言い出して、捨てられたことを全員で認めたのだった。
 二番目のアリアは、好奇心が旺盛であった。
 かつては家から出ることを禁じられていたが、広大な庭に生える全ての植物を観察・研究して暇をつぶしていた。更なる発見を求めて、南米のアマゾンへ行くと旅立った。奇しくも、オリジナルのアリアがいつか、訪れたいと話していた場所である。
 三番目のアリアは父親の前では淑やかで良き娘を演じていたが、目の前に観客がなくなった後は、非常に楽観的にだらしなくなっていた。
 形はアリアではあるが、それ以外ではもう、アリアである必要がない。
 人生は楽しむべきだとして、「何になればいいのか、探しに行くわ」と、家を出て行ってしまった。そして時々、こんなことをした、と一言添えて絵葉書を送ってくる。
 さて、一番目のアリアではあるが、彼女は当初、そう簡単に家を離れることはできないと思っていた。
 なんせ、彼女だけが姿が変わらないまま、年月を繰るのである。
 魔術的な管理も必要だった。そして、他の二人には決して言わなかったが、ひょっとしたらいつか父親が帰ってくるかもしれないと願い、家や財産の管理を代わってこなし続けていたのである。
 一番目のアリアは父親の失望を最も近くから、最も長く見続けていたので、多少捻くれて厭世的性質となっていた。
 そして何より、臆病であった。
 それを知ってか知らずか、妹分のアリアたちはしょっちゅう一番目のアリアを呼び寄せた。何かトラブルがある度に、問題を解決してくれるよう泣きつく。多少世間知らずではあるが、結局は一番目が、人生経験が豊富で頼りがいがあるのだから当然だ。
 最初は粗放な妹たちを呆れたものだが、何度も出かけるたびに世界には新しい発見があり、家から離れるのもそう悪いものではないと一番目も思うようになっていった。
 そうしてヨーロッパ各地、アジアの国をいくつか、アメリカへは密入国して、そして今回は初めてアフリカ大陸へ行くのだと言う。
 ヒースロー空港で旅客機を待っている時、隣に座った少女から聞いた話。


読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。