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75. ミッドナイト・パレード

 わたしは確かに、ひどく疲れていた。
 肉体的にはそれほどの疲労ではないはずだけれど、精神的には追い詰められていて、気を抜くと動けなくなってしまう。
 何も悪くないとわかっているのに、自分を責めるのが止められない。
 重圧に耐えられなくなると、家を出る。
 別の繁華街はどうなのか知らんが、わたしが向かう先の街角に、人の姿はほとんどない。昼、人が集まる中心街は夜になれば文字通り火が消え、看板の電照もうすら寒く、生き物を冷たく拒絶している。
 ところどころ、雨露を凌げる隙間には、浮浪者が泥まみれの布団やジャケットを重ね着して、丸まって寝ている。道の際に並ぶコンクリート製の箱に擬態して、横を通り過ぎても身動き一つしない。
 彼らはしばしば犬を連れるが、その毛むくじゃらの連れ合いさえ寒さで顔を上げようともしないのは、ひょっとしたら彼の安息が、歩行者程度には脅かされないことを知っているのかもしれない。
 浮浪者へ恨みたらしい一瞥を投げかけて、鬱々と街を行く。
 それはいつも決まった場所から始まるわけではないのだが、一応目安にしている場所がいくつかあって、例えば某王室御用達食材本店の、裏道などがそうである。
 心当たりをふたつ三つ通れば、大体いつもそれに出会う。
 中心街、地階から数階上なら宣伝広告の明かりもあるが、そびえ立つ高層ビルの、上部は闇に包まれている。常にスモッグでけぶった空、今どんな月が出ているのかいないのか、推測もできないまだらに覆われた雲翳へ、輪郭も怪しく頭を突っ込んでいるのがいっそ哀れだ。
 温暖色の街灯に視界が染まり、ふと、通りに何もなくなる瞬間がくる。
 そういう時の瞬きは、ひどくゆっくりと感じられる。眠気でまぶたが重いわけでも、目に何かが入るなどの異常があるわけでもないのに。
 視線が切り替わる、と例えればわかりやすいだろうか。
 わたしは超自然的思考を持ってはいないけれど、もしも狼男がいるとしたら、ヒトから動物へ変化する瞬間がこれに近いものなのだろうと、勝手にそう信じている。
 恐らくは現実に、人が街からいなくなるわけではないのだろう。
 不思議なことに、それが目当てで徘徊しているわたしではあるのだが、待ち望んだその瞬間に対峙しても、すぐに「それ」と自覚することができない。
 深夜の散歩は、本心で行き詰まった気分に追い立てられて、するのだ。
 じっとり湿った暗闇に背を押され、疲れた足を引きずってでも立ち止まれぬ、焦燥が強すぎるのかもしれない。足元ばかりに目を落として、悪いことばかり繰り返し妄想してしまう。
 音がするでもなく、大仰な動きをするわけでもない、そに足に気が付いて顔を上げる。
 多くの場合、彼らは数ブロック先を歩いている。そして視界の中に存在を認める一瞬先には、角を曲がって姿を消すのだ。そうした時、わたしはほとんど無意識に走りだして跡を追う。
 そうすると急いだ分だけ、入った通りでは相手との距離が縮まることになる。
 淡く光る後ろ姿を視界の中に捕らえたら、もう近寄らない。絶対に触れ合わない位置、振り向く素振りを見せるならすぐさま逃げられる間隔を保って、尾行を続ける。
 角を曲がるごとに、その数は増えていくのである。
 一人が二人に、三人が七人に、加算は一定ではないけれど、確実に行進は長くなっていく。
 その頃になるともう、ただただ無心に殿を務める。いつしか大通りを埋めつくすほどになった群れに、一瞬たりとも自分が含まらないように、細心の注意を払って。
 街灯の下、青白く、仄暗く、浮かび上がる影は互いがぶつかってひとつになり、逆に何かにぶつかってふたつに分かれる。かと思えば、信号機をすり抜けるものもある。差異も共通点も何一つ確かでない。けれど、彼らは同じものである証に、同じ速度で歩を進めるのである。
 深夜の行列は、参加者になんとも言えない奇妙な感触を与える。
 先ほど一歩下がって決して触れず、と言ったように、それは肉体的な接触を持たない。それでいて、感触としか言えない刺激がある。
 物質である肉を離れて、歩いている自身を視覚する。
 その意識を再度身体に落とし込む、その重さが「ある」。ただその重量を、自分の肉体を通して感じているだけではなく、同時に受け止める地面として反発する抵抗もある。視点が当事者なのか客観的に捉える第三者のものなのか、定められない。
 事象が起こったという、単純な事実だけが残る。
 残るものがあるうちに、場を離れる。
 そっと距離をとり、出来るだけ振り返らないように遠ざかる。足元のアスファルトに反射する光を避け、オレンジ色の外灯が靴先に落ちるようになる頃には、街は平常を取り戻している。
 へとへとになって、帰路につく。
 歩き回ったわたしの足は棒のようになっていて、とてもじゃないけれどこれ以上は動けないから、帰りは深夜バスを使う。
 現在地から家まで、あるいは乗り換えできるバスをインターネットで検索し、それですんなり停留所が見つかったとしても、もちろんすぐには帰れない。夜はバスの本数が少ないので、待ち時間がかなりある。深夜の時間が過ぎていれば、始発を待たなければならない。
 やっと乗り込む車両は、利用客はほとんどないので、どこを座るにも自由だ。大抵、一階の一番入り口に近い優先席を選ぶ。段差を上る気力が残されていないのだ。
 プラスチックに布一枚貼られただけの固い乗客席に腰を下ろすと、背骨と膝から下に、重力以上の重みを感じる。
 足の裏を通して、バスが進む振動がわかる。


読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。