見出し画像

65. 影渡りの思い出

 こうして話を聞いていると、多くの人達が怪異をあまり良いものと捉えていないように思います。
 もちろんわたしも、うかつに近づいては危険であることは重々理解しているつもりです。けれど、むやみやたらに避ければ良いというものではない。この考え方の違いは、わたしが甘やかされて育った子どもだからかもしれませんが。
 わたしには、祖父という理解者がありました。
 彼は大学で生物学を学び、若い頃に縁があって後の第一人者、幻想動植物学者メルガルと共同研究をした経験があったのです。ですので、多くが想像上の生き物や幻想と見なす中、それらが妄言ではないことをいち早く知っていたのでした。在来生物学を極める者として、幻想動植物への事解は両学問の発達を促すと、よく口にしていたものです。
 とにかくですから、わたしは幼少からそうした現在でも一般的ではない生き物たちと、触れ合うきっかけを多く持っていました。
 多くの怪異が現在は科学の名のもとに実在を承認されているのは確かです。ですが、当然のこと、全てにおいてではありません。未だに多くのことが原因不明とされています。それを科学的ではないとして、学問を根本から否定する意見も、未だに根強いわけです。
 全体的な傾向から言えば、怪異を恐れる必要はないと、断言するのは早計と言えるでしょう。
 ただしかし、理解しようとしなければ、それは永遠に証明できない。なによりも観察と仮定と検証の末に、事実を事実として認識したいだけなのです。
 それは例えば、影渡りについてです。
 物心ついてから、わたしの一番のお気に入りの動物が、この影渡りでした。
 あまり周知されたものではありません。怪談として語られることすら、ほとんどないでしょう。あまりにも狭小なので気が付かないか、発見したことすら忘れてしまう、そういう取るに足らないものです。
 一体、どのような観察眼を持ってすれば、己の影の上に現れるゴマ粒大の黒点に、気がつくことができるのでしょう。
 知っていても、それは簡単なことではありません。特にそれが、影の上を動き回っているのだとしたら、尚更のこと。
 影渡りは分類上寄生虫ということになります。影と影が重なるときに移動し、その陰影をかじって穴をあけます。無機物の影に生息することもありますが、生き物に寄生しやすいのは、その可動性に有用を見出したからでしょう。
 わたしはこれを、六歳のときロンドン動物園まで見に行きました。
 影渡りそのものが公開されていたわけではありません。飼育動物に奇妙なところがあるということで、祖父が呼ばれたのについていったのでした。
 祖父には原因の検討がついていて、危険がないことは承知だったのでしょう。そして孫娘の生物学入門にちょうど良いと考えて、実物を見せたかったのだと思います。その時も、また現在も、影渡りは脅威のあるものとは考えられてはいないのですから。
 それは蛇の温室に住み着いていました。
 いくつかの個体を採集し、祖父が飼育員に説明をする間、わたしは蛇と影渡りを、バックヤードの特等席から観察しました。
 蛇はベージュの肌に網目模様がつややかで、一見してよく世話されているとわかりました。静かにして距離をとっていたので、蛇もわたしへ攻撃態勢をとるでもなく、緩やかに餌皿にまとわりついていたのを覚えています。
 これは長所と自負していることですが、女子にはあまり人気のない虫にも爬虫類にも、わたしは等しく、愛すべきところを見つけることができるのでした。
 ただ逆に、一般的に愛玩される哺乳類へも、欠点を見ることもできたのです。一歩引いて公平に物を見ようとするあまり、冷たいと思われることもしばしばでした。
 しかし、祖父はこれが欠点ではないと断言し、わたしの性質を褒めてくれました。生物観察には、感情を殺すべき場面も多いのです。わたしは動物の生態を学ぶこと自体が好きですが、短所を認めてくれるという点でも、学問研究を好ましく感じていました。
 話が脱線してしまいましたが、ですからその時の蛇は、見た目に健康そのものであったと断言ができます。
 けれど、落ち着きはありませんでした。わたしには、尾をしきりに気にしているように見えました。ちょうど、影渡りに食い破られた影と、同じところを。
 動物園は、影渡りを放置することにしたようでした。
 祖父は未知の性質が多い生物であり、楽観視はしないほうが良いと助言しました(いつもそうなのです。祖父はどんな幻想動物に対しても、用心深く慎重でした)。しかし施設としてはむしろ、だからこそ余計なことはできないという方針なのでした。飼育者は動物に愛着を持っているものですが、その上司が絶対で、政治経済に情は必要ないのです。
 祖父は特に、動物園の決定に関して意見を言いませんでした。
 帰宅してから、ガラスの小さな採集容器に入った影渡りを一匹もらいました。
 わたしはそれを勉強机の上に置き、上からスタンドを当てて、瓶の中から影渡りが逃げないようにしていました。飼育法をそう教わったわけではなかったのですが、それも正解の一つであったようです。
 影渡りは一ヶ月ほど、そうしてわたしの部屋に滞在していました。
 時々、落ち葉やどんぐりを拾ってきて、影をつくってやりました。影渡りは気分によってはそれらの影に寄生し、かじるなどしていましたが、どれも仕方なしと言った感じで、明らかに元気がありませんでした。生き物の影でないからか、移動できなくて運動不足だったからかはわかりません。
 そもそも、影とは何なのでしょうか。
 光が当たるところにできるのが影といえるでしょうし、あるいは光がない状況のことを影と呼ぶのかもしれません。影渡りは、「ないもの」の何を食べて生きているのでしょうか。
 無邪気にもわたしは、観察を続けていればこの小さな黒点が、何の使命を与えられて存在する生き物なのか、いつかはわかると信じていました。
 二ヶ月めになるはずだったその日、祖父がやってきて、わたしに影渡りを渡すように言いました。
 動物園の飼育員が亡くなったので、念の為に虫を焼却処分するということでした。わたしは(その飼育員とは、あの蛇係のことかしら)とは思ったのですが、質問はせず、ただ採集瓶を差し出しました。
 小さな幻想動物に、悪気はないことはわかっているのです。だからといって、むやみに庇えるだけの力が、わたしにはありませんでした。抵抗は無駄と知っていたのです。
 祖父は瓶の中の影渡りを確かめ、何か言いたそうな顔を一瞬しましたが、ただわたしの頭を撫でて出ていきました。次に会った時、何のお祝いでもないのにプレゼントをくれたのは、きっと気を使ってくれたのでしょう。
 白状するとわたしは別に、そこまで気を落としていたわけではありませんでした。
 確かに観察を放棄しなければならなかったのは残念ではありましたが、このことがあって将来、正しい手順を踏んで研究ができるように進路を定めることができたのですから、怪我の功名であったと思っています。
 祖父を恨む気持ちはありません。
 ただ、あの時もし、影渡りを処分せず観察を続けていたら、わかったことがあるのではないか。少し、失望したのだと思います。

読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。