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39. 捜査

  交通課の中でも一番若輩だった自分が、別の部署の助っ人に呼ばれた時の話。
 もちろん、捜査に加わるなんてことはない。こちらはまだ、初心者マークもとれないど新人だ。交通違反の切符切りですら、一人で器械を押させてもらったことがない。まして呼ばれた部署ではその時、連続通り魔事件などという大犯罪を扱っていたところだった。
 きっとまだ記憶に残っていることと思う、一昨年から去年にかけて連続的に起こった、あの通り魔による無差別殺傷事件だ。
 被害者と加害者に関係はなく、起きた場所も時間も加害者もばらばらだったので、世間的には連続事件と思われていない。公的には、ただ連続して通り魔が発生しただけなのだ。動機が不明瞭だったことを単純に、社会情勢不安がある種の人々に同じような行動を起こさせた、とされている。だからマスコミの関心も徐々に薄れて、確か某政治家の汚職事件をきっかけに、話題に上がらなくなったと思う。
 わたしの担当する地区では、事件の目撃者がなかったため、最初は怨恨の線で調査されていた。ところがインターネットで気になる書き込みがあったとかで、急に舵を切ることになったのだ。
 なんでもどこかの掲示板で、通り魔発生の時間が等間隔なのではないか、と提起があったらしい。
 書き込みはすぐに削除された。わたしが調べたときにはオリジナルの記事は見つからず、ちらほらと共通点に挙げる似たような発言は見つかったが、あまり注目はされていないようだった。実際、ただ数えただけでは同じ時間があいているようには見えないのだ。ナントカいう数式を使うのだが、一般人では名前を聞いてもピンと来まい。
 とにかく捜査本部は、にわかに慌ただしくなった。
 が、困ったことに冬も始まりという時期、インフルエンザが流行って人員が足りなくなった。そこで一応警察官で機密を守れ、かつ引き抜かれても誰も困らない自分が、選ばれたというわけだった。
 当然のように、お茶くみとしてである。
 それも、たった一人の客に対する給仕係としてだ。客のすることには一切口を挟まず、邪魔をしないことが厳命された。しかしその言動はいちいち報告して、絶対に目を離さないこと。作業は取調室の一つを使うが、外に出る場合に必要ならば録音・録画するようカメラも渡された。機材は盗撮用のそれである。
 身分の高い死刑囚でも来るのかと身構えて待ってみれば、やってきたのはその辺で見かけるような、普通の中年女性だった。
 中年、と言ったが、思いだせばそんなに年はいっていなかった気もする。初見できれいな人だと思ったが、特徴に欠ける風貌で、とにかく物腰が柔らかく耳に優しい声をしていた。
 仮の上司たちが口酸っぱく指導した通り、油断しないよう気を引き締めて挑んでも、いつのまにか心を許してしまう。その人柄には困らされた。
 無骨な男二人に挟まれるようにして入室し、警備員は鍵のかかった部屋の出入口にそのまま残ったことを考えると、どう考えても一般人ではないことは明らかなのだ。女の人はしかし、拘束されているわけではない。なんとなく、皆が彼女を恐れているように感じた。
 わたしは来訪理由さえ聞かされていなかったので、業務の主導権は女性にあった。
 他愛ない世間話をして午前は終わり、午後から俄然張り切って、女の人は数字を計算し出した。
 東洋の計算機だというソロバンを使って答えを割り出すので、かなりの時間がかかった。計算機やパソコンは要らないというので、わたしはその間、お茶を淹れなおしたり言われたことを書き落としたり、次にいるという地図を手配したりした。こういうと激務に聞こえるが、矢次ざまに指示される短い時間が何度かあった以外は、暇な時間のほうが多かった。
 全ての計算が終わると、女の人はメモを片手に地図の上にピンでマークをつけ始めた。
 持参の本と数字をにらめっこしながら、三色のピンを使い、地図を埋めていく。正直、何をしているのかさっぱりわからなかった。同色に注目してぼんやりと紙上を眺めたが、ピンは雑然として、何の図形も表さない。
 夜中の二時くらいまでかかって、やっと作業は終わった。
 捜査本部の責任者数名が呼ばれて説明会が開かれたが、当然わたしは呼ばれなかったので、それが始まる前に帰宅してよいと許可が下りた。周囲にはとっとと帰れと言われたが、無視して取調室に顔を出した。最後の挨拶をすると、女の人はちょっと意外そうな顔をした。
 そしてにっこりと感じよく笑うと、この時期この場所には近寄ってはいけない、とさらりと忠告をくれた。警備員が私語をたしなめたが、女性は構わず口を動かし続け、「君は水系の星座でしょう。被害にあって、殺されたらいけないからね」と言われてやっと、次の通り魔に関係することなのだと悟ったのだ。
 上司が飛んできて他言しないことを約束させられたが、女の人が口を挟んだ様子からすると、分かる人には分かるから別に構わない、と結局誓約書までは書かされなかった。被害者は変わる可能性はあれど、「予定された確実に起こる」出来事ではあるから、あえて公表はしない方針であるらしかった。
 後日、予言通り事件は起きた。
 この事件は関係者に血縁があり、家庭内のトラブルと関連付けられて処理された。指定時間内で相当するものが、わたしの力ではこれしか見つからなかったので、確かではないけれど。場所を絞ったといってもそれなりに範囲があったことだし、ひょっとしたら露見されていない犯罪の中に、それがあったのかもしれない。
 とにかくそれを最後に、不可解な通り魔事件は起きていない。女の人とは二度と顔を合わせなかったし、そういえば名前さえ聞かなかった。

読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。