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13.カブラチョ

 雨が降ると、カブラチョが山から下りてくる。
 道路にへばりついて、身体を乾かそうとするのである。
 そうなるともう、仕事にならない。
 この辺りは山からも海からも近く、資源も豊かだから住人の生活にゆとりがある。大抵の人々はカブラチョが道を塞いでいるな、と見ると、「じゃあ今日は休むか」とおおらかに対処しているようである。
 カブラチョは農作物を荒らさないし、他の野生動物への影響も少ない。休暇の言い訳にするくらいしか、役に立たない生き物なのだ。
 でもわたしはあまり、カブラチョが好きではない。
 まず、仕事はきっちり、終わらせてから休みたいからだ。変な生き物に、勝手にスケジュールを変更させられては迷惑だ。
 それに、大きな図体でのたのたと動き回られるのも困る。
 赤黒い色のうろこもかわいくないし、それに臭い。魚類なら(見た目からしてそうだと思うのだが)、少なくとも水の近くで暮らしてほしい。勝手に出歩かれては困る。こちらには生息地をはっきりさせてくれたら、そこには近づかない心構えがあるのだ。
 山を下りてきて、壁の漆喰に齧りつくのも嫌だ。
 などと言うと、家に寄せ付けなければ済む話でしょう、と隣人に呆れて諭される。
 そんなことは知っている。だからこの辺の家の外装は石で出来ていることが多く、うちの家だって、割れ石を積んだ垣で囲まれているのだ。漆喰だって、最後に齧られたときにトタンで覆ってしまった。
 それなのに、雨が降るとうちの周りは、カブラチョでいっぱいになってしまう。
 多分接近路が、山から下りてきて、最初に現れる滑らかなアスファルトであるからいけないのだ。我が家より上の道路は古い舗装ばかりで、長いこと補修もされていないから、ぼこぼこになっている。彼らの柔らかい腹では、座りが悪いらしい。
 そういう常連客の中の、頭に白い禿があるやつが、壁を齧った犯人だ。
 どこに漆喰があるのか覚えていて、未だに塀を乗り越えて、土倉の壁を見に来る。未練たらしく、トタンに横腹をくっつけて潰れていたりする。
 犯人は現場に戻る、と両親は笑って放置するが、わたしはそれを見つけると、とりあえず水をぶっかけたりしている。残念ながら、あまり嫌がらせの効果はない。
 白禿は雨の毎に、うちの花壇を縦断して台無しにしてくれる。
 うちにくるやつらは八十センチがせいぜい、といった個体だが、山の反対側にいる大きなものは、一メートルを超えるらしい。
 昔話では、二メートルに育ったカブラチョが羊を丸のみしたというのもある。そうなると、少し怖いかもしれない。
 現実のカブラチョはずんぐりした身体で、手足が短く小さいので、素早い動きができない。地面に垂れ下がった腹を、這いずって歩く。実害と言えるのは時々、あくびをするように大きな口を突然開くので、びっくりさせられることくらいだろう。
 苔とか、腐葉土を舐めているのをよく見る。枯れ葉と一緒に食べられ、ずいぶん経ってから唇を押し広げて、自力で逃げたコオロギを見たこともある。
 そんな生き物に羊は捕まえられないだろうから、おとぎ話はしょせん創作だと思っている。
 この間、父とお酒を呑んでいた伯父さんが、庭を通り過ぎた白禿をみて、カブラチョは食べられるという話を始めた。
 伯父は猟師だから、頼まれて害獣を退治することがある。
 駆除した獣をただ廃棄するのを良しとせず、ジビエなど観光資源にする団体を立ち上げた人だから、この辺のガストロノミーに詳しいし、顔も効く。面白い話を拾ってきては、父との晩酌のつまみにするのが定番だった。
 カブラチョを使って、新名物ができないか、という案が上がったのだそうだ。
 実際に食べられる方のつまみを盗み食いながら、わたしが想像したのは、カブラチョの丸焼き(りんごを咥えてるやつ)だったが、あのぶよぶよが焼けるだろうかと疑問が湧いた刹那、イメージ中のカブラチョは串から滴り落ちて焚火を消した。
 わたしは眉間に皺を寄せる。
 あんなもの食べなくても、近海で美味しい海産物が、いくらでもとれるではないか。反論したら、伯父は苦笑した。案の定というか、この辺の人なら当然そう考えるらしい。
 けれどカブラチョは実は、見た目に反して、味はそんなに悪くない。
 むしろ美味の部類に入る。皮の色と、筋繊維が巨大なので、勘のいいひとなら何の肉かわかってしまうのが難点だ。おかげで、試食してもらうまで事が運ばない。
 それでまず、輸出しよう、という話になった。
 外国人なら、原料の想像がつかないだろうという浅知恵である。けれど思惑は当たって、慢性的に食料難にある国、そしてちょっと高いペットフードの会社が、そこそこ良い値を付けてくれたそうだ。けれど関税がかかると、期待したほどの利益にならなかった。
 最近では、近郊の観光局が県外に工場を建てて、お土産品の瓶詰を作っているそうだ。
 調理・加工過程で場所を移動すると、最終的な原料表記が「地元産白身魚」で良くなる。そしてカブラチョの名が消えた材料で、伝統料理の魚肉パテを作っているらしい。もうひとつは、ザクザクした魚肉を缶詰にして、「カニ身っぽいけどカニじゃない」缶。カニの絵のラベルで売ってる。
 酔っぱらった父が「詐欺じゃねーか」と大笑いしたので、それ以上言うことが無くなってわたしは庭を見た。
 白禿は、今日も土倉のポーチに原形を留めないほど身体を広げて、そろそろ夜になるというのに日干ししている。
 正直言って、カブラチョを食べる話に、わたしは嫌悪を感じた。
 変なものを食べたくないのもそうだが、白禿が捕まることを想像したら、それもなんだかちょっと、嫌なのだった。


読んでくださってありがとうございました。少しでも楽しんで頂けたらうれしいです。