9/21 #全部秋のせい

 水っ鼻がとまらない。鼻をかんだティッシュの水分をたっぷり湛えている具合がすごい。今週一度のどが痛くなってからすぐに治ったのだけれど、それがやっぱり風邪でぶり返したのか。それとも、秋花粉ってやつについに負けるようになってしまったのか。真偽のほどは不明。明日明後日は台風の影響で低気圧になり、体調や気持ちが不調になりやすい、らしい。そうやって、不調になりやすい時期と原因を前もって知っておけると、本当に不調に陥ったときに『これは低気圧のせい』と原因を自分の外に置けるし、自分ではどうしようもないと思えるから、自分の中に原因を探してぐるぐる考え込んだり落ち込んでしまうよりかなりよい。というわけで。連休中に心身ともに調子悪くなったら、『低気圧のせい』ということで。あと、『#全部秋のせい』というハッシュタグも見つけた。食欲わくのもなんだかセンチメンタルになりがちなのも体調がいまいちなのも『#全部秋のせい』。自分ではどうにもならない季節のせいにできるのは、精神安定上とてもよい。……とか言い出すと、『#全部冬のせい』『#全部春のせい』『#全部夏のせい』……いつでもなんでも季節のせい。でも、変に自責にしてどんどん自分を追い詰めちゃうよりは、ある程度季節のせいにして気持ちの荷物を軽くした方が生きやすいな、なんてことを考える。これも『#全部秋のせい』。

 映画『人間失格』を観てきた。気持ちがいろいろついていけず。自分、元気ないかもと思った。もしくは、感受性とか心とか、そういう部分が以前に比べるとこわばってかちかちになってるかもしれない、とも思った。客観的な自分が「もうちょっと感じるところがあったでしょ」と呆れているのがわかる。とはいえ。硬くなった体はストレッチで柔らかくなるけれど、こわばった感受性や心はどうやったらやわらかくなるのやら。あまりにいろいろ感じすぎる心は、それはそれで傷つくし凹むし疲れるしなので、ちょうどよい具合のやわらかさに整えたいのだけれど。

 花がどれもきれいだった。不穏な音楽が不気味だった。この作品の中では、太宰小栗と坂口藤原のシーンが両方とも印象的で自分の中に残った。他の人にはわからなくても、そのふたりだからわかる・文章から読み取れること。

 例えば、あの時代にパソコンがあって、太宰が小説執筆にパソコンを使ってたら、小説の質は違っただろうか。最後近くの執筆シーンで、万年筆の筆記音がガリガリいっているのを聴きながら、そんなことを考えた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?