2/19 自分の内側を外に出す

 自分の中で大部分を占めていて、ぐるぐる渦を巻いている気持ちや考えこそが外に出したいものなのに、いざそれを出そうとすると、絡まり過ぎちゃっているせいか、うまく出せないでいる。無理やりにでも外に出そうとすると、自己弁護やら言い訳やらでどんどんコーディングしてしまって、またそのコーディングの厚みがすごくて、『元々、なんだったっけ?』という代物ができあがる。人にも見せたくないし、自分でも見たくない、醜い仕上がりのもの。当然、表には出せず、もう一度自分の中に戻す。再考。熟成。もう、漬かりきってると思うんだけれどな。古漬けもいいところ。出したいのに出せない、そんなもやもやを抱えている。

 そんな状態なところで。山田ズーニーさんの本『「働きたくない」というあなたへ』『理解という名の愛がほしい。』、2冊を立て続けに読んだ。『「働きたくない」と~』をジャケ買いならぬタイトル買いで気になって読んだら、今のわたしにドンピシャの本だった。喉が渇いているときに差し出されるおかわりの水のコップのように、すぐさま「同じ著者さんの本が読みたい」ともう1冊手に取って、ごくごく飲んだ。こちらも、今のわたしのための本、だった。最近、出会う本出会う本『当たり』だな、と感じる。本のそばで働いてきたわたしに、本の神様みたいなのが、今出会うべき本に引き合わせてくれているように思う。そういう流れがきている気がする。

 読んだ2冊は、ネットで連載されていた文章をまとめたコラム集だ。別に厳しいことは言っていない。だけど、わたしは、自分の浅いところや意地が悪いところ、逃げているところや弱いところなど、自覚はあるけれど直視したくない自分のくらい内側を見透かされたような気持ちになった。それをズーニーさんは取り出して、両手の上に載せて「はい」とただ置いただけのようにして見せてくる。見たくないんだけど、不思議と嫌じゃなくて、まじまじと見てしまう。それで落ち込むかと思いきや、浄化されたような、清々しい気分になった。
 それとは別に、わたし自身は知らないでいた、内側の柔らかいところに光を当てて、「こんなところもあるんだね」と微笑んでくれたようにも感じた。

 この2冊、しばらくは本棚に入れずにすぐに手に取れるところに置いておいて、読み返したいと思う。自分の中に潜ったり気持ちを掘ったりするときに、「大丈夫だよ」と握った手を握り返してくれるような、そういう、仲間、じゃないな、メンターかな? そういう存在に出会ったような気持ちだ。自分の内側のぐるぐるを、外に『出す』のの、力になってくれる、かもしれない。

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