8/19 動き出す一歩め

 今日が締切の仕事のまとまらなさや、返却期限日が迫っている図書館で借りた本の圧を受け止めながら、頭のどこかで昨日映画館で観たトイ・ストーリー4のことばかり考えている。

 お風呂でぼんやり考えていたら、一旦はいろいろ腑に落ちて、ひとまず消化した、という気持ちになったはずだったのに、記録として残しておこう、と思ったら、またうまく言葉にできなくなってきた。

(以下、トイ・ストーリー4、内容に触れるので、これから観に行く予定の方は注意)

 わたしが、鑑賞中からさびしくなった理由は、別れのシーンより前の時間にあった。

 ウッディの、ボニーの遊び相手として選ばれない日々。ボーの、棚に飾られているだけだった2年間。ギャビー・ギャビーの、壊れたボイスボックス。デューク・カブーンの、CMのように飛べなかったトラウマ。

 「あの頃はよかった」なんて縋りたいわけじゃないのに、ふと考えに隙間ができると、あたたかな光景を見せる過去の思い出。「こんなはずじゃなかった」なんて思いたくないのに、いつの間にか忍び寄るくらい思考。このまま、大した変化も起きず、気持ちも居場所も停滞したまま時間だけが過ぎていくような先の見通し。そんな現実を、あきらめ、その場に自分を力なく横たえる。

 おもちゃたちに、共感して、自分の中のさびしさを投影して、苦しいのを飲み込んで我慢しているような気持ちになっていた、のだと思う。

 でも、この物語は、そこから新しい世界へと最初の一歩を踏み出す姿を描いた物語だ。

 一足早く、アンティークショップを抜け出し、ふんわりスカートのドレスを脱ぎ、広い世界を走り回るボー。一度はあきらめるも、自分を奮い立たせ再チャレンジで大ジャンプを成功させるデューク・カブーン。マイクボックスを手に入れるも、自分の夢見たとおりには事が進まなくて、自棄になりかけたけれども、「またダメかもしれない」という恐怖と戦いながらの挑戦で愛されることができたギャビー・ギャビー。

 ウッディの最後の選択は、ボーといっしょにいたかった、というのもあるだろうけれど、それ以上に「変わりたい」「新しい世界がみたい」という気持ちからの決断だったんじゃないか、と思った。

 ……みたいなことを考えているのだけれど。おもちゃたち、それぞれが新しい一歩を踏み出す、という前向きな結論を出したつもりなのだけれど。やっぱりまだどこかさびしさが消化不良で。まだまだ考え中。多分、まだ自分で気がついてない気持ちの根っこが、いっぱい埋まっているんだろう。気持ちのいろんなところが、もやもやざわざわしている。

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